く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<中津・寺町通り> ひときわ目を引く赤壁の合元寺

2018年08月12日 | 旅・想い出写真館

【黒田官兵衛ゆかりの地、石畳の両側に12カ寺】

 大分県中津市のメインストリート福沢通り。その西側にある石畳風の寺町通りには戦国~江戸時代開創の寺院を中心に12カ寺が立ち並ぶ。この町は中津城の総曲輪(そうぐるわ)内の東側に位置し、城下の防衛を目的に造られたといわれる。寺院の中でひときわ目を引くのが黒田孝高(如水)ゆかりの合元寺(ごうがんじ)。外壁などが色鮮やかに赤く塗られており「赤壁寺」とも呼ばれる。

 豊臣秀吉から豊前国を与えられた〝軍師官兵衛〟黒田孝高は中津入部の際、播磨国姫路から恵心僧都作と伝わる阿弥陀如来を移し、空誉上人を開山に迎えて合元寺を建立した。ただ、地元の武将の宇都宮鎮房(しげふさ)は孝高の入部に反旗を翻す。鎮房は中津城内で誘殺され、合元寺に待機していた家臣たちも黒田勢の急襲で全員斬り伏せられた。

 

 その血で寺の壁は真っ赤に染まった。その後、壁は何度白く塗っても血が染み出してくるので、やむなく赤く塗ったという。赤壁の背後にはそんな血なまぐさい伝説があった。山門をくぐって左手には「お願い地蔵」が祀られていた。3つの願い事を聞き届けてくれると評判で〝三願成就の地蔵尊〟と親しまれている。あの福沢諭吉も祈願したそうだ。そばには健康や家内安全、商売繁盛、受験合格などを祈願する絵馬が所狭しと掛けられていた。

 

 中津城の城主は黒田氏から細川氏、小笠原氏、そして奥平氏と移り変わる。黒田藩時代には合元寺のほか大法寺、円応寺、西蓮寺も造られた。大法寺には加藤清正を祀る浄池宮や「慶安の変」で有名な由井正雪が植えたという塩釜桜、大石良雄(内蔵助)奉納という2基の石灯籠などがある。円応寺の境内にある〝河童の墓〟と呼ばれる五輪塔は、中津城内で誘殺された宇都宮鎮房に一の太刀を浴びせた野村祐勝(黒田二十四騎の一人)の墓といわれている。西蓮寺は黒田孝高の末弟で兄に従って中津に来た光心師(俗名黒田市右衛門)によって1588年に開かれた。

 

 孝高入部以前からある寺院は地蔵院と安随寺。黒田藩以降では細川藩時代の普門院、宝蓮坊、本伝寺、小笠原藩時代の円龍寺と浄安寺、奥平藩時代の松巌寺がある。円龍寺には閻魔大王像を安置した焔魔堂があり〝えんまさまのお寺〟として知られる。山門を入ってすぐ左手には戦国大名で茶人の古田織部が考案したという「織部灯籠」(県指定有形民俗文化財)が立つ。竿の上部が膨らむ形が十字架を、下部に彫られた人物像が聖人をイメージさせることから隠れキリシタン礼拝用とみる説もあり〝キリシタン灯籠〟と呼ばれている。寺町通りを抜けた所には福沢諭吉が長崎遊学までの幼少・青年期を過ごした茅葺きの旧居と、西南の役の中津隊隊長増田宋太郎の生誕の地の石碑があった。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« <双葉の里> 大横綱双葉山... | トップ | <安土城跡> 信長の夢の跡... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿