く~にゃん雑記帳

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<瓦の来た道Ⅲ> 「中国・朝鮮、そして日本へ」瓦の歴史を辿る総集編

2014年05月20日 | 考古・歴史

【帝塚山大学付属博物館10周年記念特別展示】

 帝塚山大学(奈良市)の付属博物館で同大学創立50周年・付属博物館10周年記念の特別展示「瓦の来た道Ⅲ 中国・朝鮮、そして日本へ」が開かれている。昨年度から2回にわたって開いてきた「瓦の来た道」の総集編。同博物館が所有する膨大な古瓦コレクションから特徴的な50点を選んで展示している。31日まで。

   

 瓦は中国で3000年以上前に生産が始まり、日本には約1400年前、朝鮮半島を経由して伝えられた。今回の展示ではその歴史を振り返りながら瓦の変遷を辿っている。展示の内訳は中国10点、朝鮮半島11点、日本29点。その中で最も古いのは紀元前12世紀の中国・西周時代の平瓦。これに続いて戦国時代の半瓦当、「長生無極」の銘が入った漢の軒丸瓦、南朝時代の蓮華文や獣面文入り軒丸瓦、さらに龍の文様が入った清の黄釉瓦などが並ぶ。

 朝鮮半島で最初に瓦づくりが始まったのは前漢・武帝が漢四郡を設置した時期(紀元前108~107年)以降。その後、三国時代に高句麗、4世紀に入って百済、5世紀には新羅でも瓦づくりが始まった。日本での瓦づくりは588年、飛鳥寺建立のため百済から渡来した瓦博士の手によって始まった。そのため、日本の初期の瓦は百済の瓦と非常に似ている。ただ、620年ごろには新羅の影響も受け、蓮弁中央に凸線が入った瓦も出現した。

 

                     

 上段㊧は飛鳥時代の川原寺の瓦。子葉を2枚並べた複弁形で、同寺が建立された660年代以降、各地に広まった。同㊨は法隆寺の軒平瓦で、中心の飾りから唐草文を展開させている。694年に遷都した藤原宮は瓦を使用した最初の宮殿で、その文様は本薬師寺の瓦(下段㊧)を踏襲している。下段㊨は平城宮の瓦。藤原宮や大官大寺の意匠を基に創作され、その文様は奈良時代の瓦の基本形になった。

   

  東大寺の瓦(上㊧)の文様は京の西寺の瓦に見られるように平安時代にまで受け継がれた。上㊨は東大寺の鎌倉復興期に製作された軒平瓦で「東大寺大仏殿」の銘文が刻まれている。江戸復興期の瓦にも同様の銘文が入った。下㊧は安土桃山時代の軒丸瓦。豊臣家の家紋の桐文に金箔が貼り付けられている。江戸時代の軒桟瓦(下㊨)は丸瓦と平瓦を一体化したもので、1674年に西村半兵衛という人物が発明したという。その瓦は後の瓦葺き建物の普及に大きな役割を担った。

  


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