く~にゃん雑記帳

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<日本調理科学会> 特別講演会「日本食の原点を探る」

2013年08月24日 | 考古・歴史

【奈良女子大で、松井章・前奈文研埋蔵文化財センター長ら3氏講演】

 「日本食の原点を探る―食文化の継承と発展的な再構築を目指して」と題した特別講演会が23日、奈良市の奈良女子大学で開かれた。23~24日に開催の日本調理科学会の一環。奈良文化財研究所の前埋蔵文化財センター長の松井章氏(写真㊧)や奈良国立博物館学芸部長の西山厚氏ら3人が講演した。

 

 松井氏は「食の日本史―考古学から見た日本人の食文化」と題して講演。縄文時代の文化や食生活について〝サケ・マス文化論〟の立場から「東高西低という特徴があった」と指摘した。サケ・マス論は川を遡上するサケ類などのおかげで東日本が西日本より繁栄したという見方。ただ、貝塚からサケ類の骨がほとんど見つかっていないとして否定的な見方も多かった。

 だが、松井氏を中心に奈文研が2007年から調査した長野県千曲市の屋代遺跡からサケの骨の破片が大量に出土した。見つかったのは掘っ立て小屋があったとみられる炉の周りから。〝土壌水洗選別法〟というやり方で0.5~3ミリの小骨が多く見つかった。松井氏は「千曲川を遡上したサケを燻製にして保存したのだろう」と推測し、「サケ・マスが東日本の縄文文化を支えた」と改めて強調した。

 奈良時代、天武天皇は「牛・馬・犬・猿・鶏の肉を食うことなかれ」と仏教の殺生戒に基づき肉食禁止令(675年)を出す。裏返せば、当時これらの肉がよく食べられていたことを示す。ただ、それ以降は肉食が広がる幕末~明治まで動物性たんぱく質はもっぱら魚介類に頼ったと考えられてきた。しかし、最近では各時代の遺跡から刃物痕を持つ鳥類や哺乳類の骨も多く見つかっており、「日本人はいつの時代でも貴重な動物性たんぱく質を無駄にしてこなかった」と松井氏は指摘した。

 奈良博の西山厚氏は「正倉院からみえてくる古代人の飲食の世界」のタイトルで講演した。西山氏は正倉院北倉に納められている犀角器や漆胡瓶、中倉の白瑠璃瓶、瑠璃坏、南倉の磁皿、磁鉢、貝匙などを1つ1つ画面で紹介しながら、「宝物の多くは人のためというよりも、仏様に供えるなど儀礼に使われたとみられるものが多い」と指摘。さらに「大仏に七種粥を供える」といった古文書などから、仏様に供えると同時にお坊さんが同じ器で食したこともあったのではないか、と話した。

 最後に酒造会社「今西清兵衛商店」会長、今西清悟氏が「日本の風土に育まれた稲作と米による酒造りの発祥と変遷」と題して講演した。


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