【野島断層「地質遺産100選」に、保存館裏手には「神戸の壁」】
久しぶりに淡路市の「北淡震災記念公園」を訪れた。ここには阪神大震災の断層変動を生々しく物語る野島断層が当時のまま保存されている。開園は震災3年後の1998年春。最初に訪ねたのが2000年の夏だから、もう24年前、ほぼ四半世紀ぶりになる。
「世界の『地質遺産100選』に野島断層が選ばれました」。館内に入ると左手の壁面に、赤地に白抜きの大きな文字でこう掲示されていた。国際地質科学連合(IUGS)によって2022年秋に選定されたという。日本ではここと、同じ兵庫県の玄武洞(豊岡市)の2カ所だけ。海外ではグランドキャニオン(米国)やエアーズロック(オーストラリア)なども含まれているそうだ。
その向かい側には以前同様、修学旅行などで訪れた生徒たち手作りの千羽鶴がずらりと並ぶ。そばに奉納団体名の一覧も。眺めていると、北海道の高校や熊本の中学など遠方の学校名も含まれていた。
断層保存館はドーム状の屋根で覆われる。そこに破壊された道路や地割れ、大きく横ズレした畦道や生け垣などが、そっくりそのまま残されている。地形の変化を赤と青のマークで分かりやすく標示した場所もあった。
保存館の南側には「神戸の壁」が立つ。元々は約100年前の1927年ごろ、防火壁として神戸市長田区の公設市場に建設されたもの。1945年に神戸大空襲、95年には阪神大震災に遭遇しながら倒壊せず耐えてきた。いわば戦争と震災の“語り部”だ。壁は保存活動の結果、1999年に旧津名町のホール隣接地に移設され、さらに2008年、断層保存館のそばに再移設された。
保存館北西側には「べっちゃないロック」と名付けられた鎮魂の碑がある。3つのビラミッド型が印象的なこのモニュメントを制作したのは世界的な彫刻家⋅作庭家として高松を拠点に活躍した流政之さん(1923~2018)。「べっちゃない」は淡路弁で「大丈夫」「たいしたことない」を意味するそうだ。震災に負けないぞ。モニュメントにはそんな思いがこもる。そばの慰霊碑には犠牲となった町民40人の名が刻まれていた。