く~にゃん雑記帳

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<柳沢文庫歴史講座> 「徳川将軍家の大奥 大名家の奥向」

2014年11月30日 | 考古・歴史

【畑尚子さん講演、「強い発言力で、政治的交渉の一翼を担っていた」

 柳沢文庫(大和郡山市)主催の歴史講座が29日、やまと郡山城ホールで開かれ、日本近世史研究家の畑尚子(ひさこ)さんが「徳川将軍家の大奥 大名家の奥向」と題して講演した。大奥といえば将軍以外の男子禁制。時代劇などの影響もあって嫉妬や敵愾心が渦巻く所という印象が強いが、畑さんは「決して〝籠の鳥〟のような所ではなかった」「強い発言力を持ち、難しい政治的交渉の一翼も担っていた」と指摘する。

      

 畑さんは江戸東京博物館・江戸東京たてもの園の学芸員。大奥・奥向に関心を抱いたのは、大和郡山藩の第2代藩主・柳沢信鴻(のぶとき)の『宴遊日記』で奥女中を召し抱える際、歌舞音曲の面接試験をしていたことを知ったのがきっかけという。著書に『徳川政権下の大奥と奥女中』『幕末の大奥 天璋院と薩摩藩』などがある。

 「江戸時代には将軍家や大名家に限らず、商家・名主などに至るまで、ハード(屋敷の構造)・ソフト(運営)の両面で、奥と表という二重構造で構成されていた」。江戸城だけでなく、御三家や加賀前田家、薩摩島津家などの大大名家の奥向も大奥と呼ばれた。江戸城には本丸と二丸、西丸の3カ所に大奥があったが、単に大奥といえば本丸を指す。そこには大奥を取り仕切る老女を筆頭に多くの奥女中が置かれた。

 畑さんは大奥・奥向の役割として以下の4つを挙げる。①世継ぎを産み養育する②贈答儀礼を中心とする交際③法事・祈祷など寺社に関すること④表だけで達成することが難しい、その家の政治的交渉の一翼を担う。このうち②は幕府によって諸大名に参勤交代などの際、御台所(将軍の正室)と老女・表使(おもてづかい)に白銀を献上するよう義務付けられたもの。「すべての藩の表向から大奥へなされた行為で、賄賂性はなかった」。

 献上する白銀の枚数は大名の石高によって決められていた。30万石なら老女に3枚、表使に2枚、10万石以上なら老女2枚、表使1枚、10万石以下なら老女1枚、表使に金200疋――。15万石だった郡山藩の第3代藩主柳沢保光は文化2年の参勤交代の際、この取り決めに従って御台所に白銀5枚、老女5人に各2枚、表使6人に各1枚を献上している(写真㊨「柳沢史料」参照)。柳沢家からは将軍の代替わり、官位昇進、家督相続・隠居の際にも白銀が献上された。

 御三家・御三卿と将軍の姫君が嫁いだ大名家など姻戚関係のある特別な藩は、年中行事や将軍家の儀礼の際に女使(御城使)と呼ばれる使者を大奥に遣わし、祝いの言上や献上を行うこともできた。これらの大名家には大奥からも贈り物があり、相互交流が行われた。「金銭的負担は大きいが、江戸城大奥という一つの政治勢力と結び付くことができた」。

 大奥にはこのほか大名・役人から商人まで、多方面から様々な働き掛けが行われた。「家格の向上や役職の就任、御用獲得などの目的のための贈答行為で、いわば賄賂である」。表立ってお願いできないので、ぜひおとりなししてくだされというわけだ。老女たちにはもちろん幕府から給金も支給されていた。加えて参勤交代などのたびに銀貨をもらったり袖の下まで受け取ったり! 講演を通して、大奥の財力と権力の一端を覗かせてもらった。  


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