く~にゃん雑記帳

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<橿原市博物館> 秋季企画展「シリーズ『千塚』① 巨勢山古墳群」

2016年12月05日 | 考古・歴史

【国内最大級の群集墳、御所市の丘陵に800基超!】

 奈良県橿原市の「歴史に憩う橿原市博物館」で秋季企画展として「シリーズ『千塚』① 巨勢山古墳群」が開かれている。「千塚」は狭い範囲に小規模な古墳が密集する群集墳のこと。同館も古墳約600基が集まる「新沢千塚古墳群」に隣接する。そこで各地の千塚を紹介するシリーズを企画、その第一弾として御所市にある国内最大級の「巨勢山(こせやま)古墳群」を取り上げた。12月18日まで。

 

 巨勢山古墳群(上の写真㊧)は御所市南東部の巨勢山丘陵にあり、東西3.3キロ、南北3.5キロの中に800基を超える古墳が分布する。直径10~20mの円墳が多いが、方墳や全長30~40mの前方後円墳もある。古墳群を造営したのは葛城山・金剛山の山麓を本拠地に絶大な勢力を誇った葛城氏に関係する人々と考えられている。古墳群のすぐ北側には全長約238mの前方後円墳「宮山古墳」がある。その被葬者は葛城氏の盟主である葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)とする説が有力視されている。(上の写真㊨は「巨勢山408号墳」のミニチュア土器出土状況)

 

 巨勢山古墳群が造られたのは古墳時代の中期前半(5世紀前半)~終末期中頃(7世紀中頃)。古墳群は尾根筋ごとに支群(小さなまとまり)を形成し、支群ごとに造営時期や埋葬施設の構造、副葬品などに特徴がある。副葬品には鍛冶関連品など朝鮮半島との関わりを示すものも。408号墳からは馬具やミニチュア炊飯具形土器が出土、773号墳からは土器や武器、馬具、玉類のほか銀製指輪なども出土した。371号墳は埋葬施設が2基あり、一方の被葬者は顔面が赤く塗られ、もう一方では棺蓋が赤く塗られていた。(上の写真㊧「巨勢山371号墳」、㊨「巨勢山773号墳」の遺物出土状況)

 

 古墳群の北側には宮山古墳(室大墓)や掖上鑵子塚(わきがみかんすづか)古墳、條ウル神古墳といった大きな前方後円墳がある。宮山古墳(上の写真㊧)は葛城地方最大の古墳で国史跡に指定。後円部の竪穴式石室(写真㊨)の中には長持形石棺が納められ、墳頂には石室を方形に取り囲むように家形や武具形の埴輪が幾重にも立てられていた。掖上鑵子塚は宮山古墳と同じ5世紀前半の築造で全長約149m。被葬者については葛城氏とする説や巨勢氏との関連を想定する説もある。條ウル神古墳は1世紀以上後の6世紀後半の築造。全長は70mほどで、被葬者は当時一帯で大きな力を持っていた巨勢氏の盟主と考えられ、許勢臣稲持(こせのおみいなもち)や巨勢比良夫(こせのひらふ)とする説もある。


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