く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<映画「海難1890」> 125年前と30年前の史実を基に「日土」感動の物語

2015年12月12日 | メモ

【忽那汐里が対照的な2役を好演―翳のある女性と気丈な教師役と】

 全国の映画館で公開中の注目作『海難1890』(田中光敏監督)。125年前に和歌山県串本町沖で起きたオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号の海難事故と、その95年後の1985年にあったイラン・イラク戦争下でのトルコ救援機による邦人救出劇――その2つの史実を基に日本とトルコの強い絆を描いた感動作だ。5カ月ほど前、紀伊大島の海難現場付近を訪ねていたこともあって何度も目頭が熱くなった。

     

 明治天皇への親書を携え友好親善のため日本を訪れたエ号が遭難したのは1890年9月16日の夜半。トルコへの帰途、台風による激しい暴風雨のため樫野埼灯台直下の岩礁で難破した。600人近い多くの乗組員が犠牲になったが、大島島民の必死の救助活動によって69人が助かった。いま大島には「遭難慰霊碑」が立ち、「トルコ記念館」には犠牲者の名を刻んだ銘板や引き揚げられた遺品などの〝記憶遺産〟が展示されている。これらの施設や灯台を初めて訪ねたのは今年の7月8日。難破場所(下の写真)が切り立った海岸からあまりにも近いことに驚いた記憶が昨日のように蘇る。映画化を知ったのはそれからだいぶ後のことだった。

  

 映画では主演の内野聖陽が遭難者を手当てする医師役を演じる。どっしりとした存在感が印象深い。ヒロインの忽那汐里は前後半で一人二役を演じた。前半は許婚を海の事故で亡くして以来ショックで口が利けない女性役、後半はテヘラン日本人学校の先生。ほぼ1世紀という時を隔てた2つの時代で、翳のある暗い女性と日本人生徒・家族の帰国のため堪能な英語を駆使しながら奔走する気丈な女性を見事に演じ分ける。

 もう1人、トルコの男優ケナン・エジェも一人二役を演じた。前半は遭難した軍艦の海軍機関大尉役。1人ひざまずき涙を流して大破した愛艦をずっと見下ろす場面や漂流物の刀剣などをきれいに磨く地元民の姿を感動の面持ちで見る場面が印象に残る。後半は駐テヘラン・トルコ大使館の職員役。当時、イラクのサダム・フセイン大統領は48時間の猶予期限が過ぎたら、イラン上空を飛ぶ航空機を無差別に攻撃すると宣言していた。大使館職員がテヘランの空港でトルコの救援機にはまず日本人に乗ってもらおうと大勢のトルコ人を説得し、トルコの少年が日本の少年の手を引いて搭乗口に向かう場面は感動的だった。

 トルコ救援機のおかげでイラン在住の日本人200人余は猶予期限が迫る中、無事に脱出できた。日本人の搭乗を優先したことにトルコ人の間で抗議の声はなかったという。大島の「トルコ記念館」で、救援機派遣に関する当時の駐日トルコ大使のコメントが紹介されていた。大使は救援機派遣の背景にはトルコ人の親日感情があり「その原点は1890年のエルトゥールル号の海難事故です」とあった。記念館にはエ号海難事故を詳しく紹介したトルコの小学校高学年用の教科書も展示されていた。地元串本町はいまトルコの2つのまちと姉妹提携を結んで交流を続けている。


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