【1400年の時を超えて今なお現役!】
入梅直前の好天の日、久しぶりに日本最古の屋根瓦を見ようとふと思い立った。向かったのは世界遺産「古都奈良の文化財」の一つ元興寺(奈良市中院町)。お目当ては極楽坊本堂と禅堂(いずれも国宝)の屋根だ。そこには奈良時代以前の瓦がまだ多く残り、中には日本最初の仏教寺院・法興寺(飛鳥寺の前身)の創建当時の瓦も含まれる。茶や黒、灰色など様々な色彩の瓦が織り成す“行基葺き”の屋根が青空に映えて実に美しかった。
法興寺(明日香村)は蘇我馬子が氏寺として約1400年前の6世紀末に創建した。その時、百済から渡ってきた瓦博士(職人)によって日本で初めて屋根に瓦が葺かれたといわれる。その後、法興寺は平城遷都に伴って718年、現在地に移築され寺の名も元興寺に改められた。移築に際して瓦や建築部材なども運び込まれ利用された。(下の写真は国宝「極楽坊本堂」を正面から)
飛鳥~奈良時代の瓦がなお現役なのは本堂の西流れと禅堂の南流れの屋根。ちょうど二つの屋根が交叉するように葺かれている。法興寺の創建時の丸瓦や平瓦が200枚ほど残っているという。ほかに藤原京や東大寺の瓦、平安時代の瓦なども使われている。元興寺の屋根瓦こそ、まさにリサイクルの“原点”だろう。当時の瓦の耐久性には驚くほかない。軒丸瓦には奈良時代の文様を復元した新しい瓦が使われている。
国宝の五重小塔(奈良時代)や重文の阿弥陀如来坐像(平安時代)などを安置する総合収蔵庫「法輪館」内の一角に、ユニークな瓦が展示されていた。鎌倉時代の平瓦には3行にわたって平仮名で和歌が刻まれている。「おくやまのこのしたかけのすす しさにおもいたかへて 志かやなくらん けんせんはう」。その隣の瓦には「請取申候れう足 合三千貫文 六月五日 まこ□郎(花押)」。瓦職人が3000貫の代金を受け取ったという領収書代わりか。ただ現在の貨幣価値に換算すると3億~4億円と破格なので「架空の領収書の可能性もある」という説明が加えられていた。
境内には禅堂と法輪館の間を中心に無数の石仏や石塔が林立する。その数2500余基。稲が田んぼにずらりと並ぶような様から「浮図田(ふとでん)」と呼ばれている。石仏などを取り囲むように黄色いハルシャギク(ジャノメソウ)が今が盛りと咲き乱れ、そばでは紫色のキキョウもちらほら咲き始めていた。毎年8月の地蔵会で営まれる元興寺の万灯供養は、ならまちの夏の風物詩になっている。