【沖縄のシンボル、北殿や南殿なども全焼】
早朝5時前、いつもの通り寝床に入ったままネットで最新ニュースをチェック。すると、衝撃的な悲報が流れていた。首里城の炎上! 3年前の2016年秋久しぶりの沖縄旅行で、鮮やかな首里城正殿の姿が目に焼きついていただけに、にわかには信じられない。だが紅蓮の炎に包まれた首里城の写真が現実を物語っていた。正殿は骨組みだけを残し今まさに崩れ落ちそうになっていた。(火災の写真は「琉球新報電子版」から借用、その他は2016年10月7日撮影)
首里城は約450年続いた琉球王国の政治・外交・文化の要。しかし戦時中、沖縄守備隊の司令部が置かれていたこともあって、米軍の猛攻撃を受け灰燼に帰した。その後、1980年代後半から復元事業が本格化し、守礼門や歓会門に続いて1992年には正殿などが復元された。首里城跡は2000年秋、斎場御嶽(せいふぁーうたき)や中城城跡などとともに「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」として世界遺産に登録された。
正殿内部でとりわけ印象に残ったのは煌びやかな国王の玉座が飾られた「御差床(うーさすか)」。上部に飾られた扁額は清国皇帝から贈られたもの。玉座も扁額も往時の忠実な再現という。正殿裏側は「御内原(うーちばる)」と呼ばれる国王とその家族の生活空間で、2014年には寝室があった「黄金御殿」や「奥書院」などの一般公開も始まった。まだ真新しい室内に清々しい空気が漂っていたのが懐かしく思い出される。その黄金御殿や奥書院も焼失してしまった。
首里城では10月27日から「首里城祭」が開催中だった。11月3日までの会期中、琉球王朝絵巻行列や古式行列、伝統芸能の公演、園内を幻想的なキャンドルで彩る「万国津梁の灯火」など多彩な行事が予定されていた。出火時も未明までイベントの準備が行われていたという。最初に火災に気づいたのは警備員で、警備システムのセンサーに熱反応があり、確認すると既に正殿から火の手が上がっていたそうだ。出火原因は何か。漏電? 煙草? それともイベント準備中の失火? まさか放火ではないだろう。それにしてもスプリンクラーなど防火体制は一体どうなっていたのだろうか。