【坂本コレクション、撮影が可能になった!】
奈良国立博物館(奈良市登大路町)に古代中国の青銅器を一堂に展示した一角がある。「なら仏像館」と渡り廊下で結ばれた「青銅器館」。これまで新館や仏像館とともに原則撮影が禁止されていたが、青銅器館に限り10月8日から来場者が自由に撮影できるようになった。展示中の青銅器類は古美術商で世界的な古美術収集家でもあった坂本五郎氏(1923~2016)から寄贈されたもので〝坂本コレクション〟と呼ばれている。
中国の青銅器時代が始まったのは紀元前2000年頃で、夏、商(殷)、周を経て戦国時代後期の紀元前3世紀まで続いた。とりわけ初期の商・周時代の青銅製容器は支配階級専用の祭器として「彝器(いき)」と呼ばれ、世界の青銅器文化の最先端にあった。坂本コレクションはその時代から漢代にわたる青銅製の容器や楽器を中心に約400点に及ぶ。同じ種類の器物が多く含まれているのが特徴で、美術的価値とともに学問的な比較研究資料としての価値も高い。
例えば鍋の一種で主に肉などを煮炊きする「鼎(てい)」。コレクションにはこれだけでも約50点がそろっており、比較することで形や文様の変遷を辿ることができる。当初は実用的なものが多く文様も無文かごく簡素だったが、その後、祭祀用として次第に装飾したものが増えていく。また鼎は通常3本足だが、四角い器身と4本足を持つ「方鼎(ほうてい)」も現れ、春秋期中期以降には蓋や縁に両耳(取っ手)が付くようになる。中には蓋の表に3つの突起があり、逆さに置くと浅い皿になるように工夫したものも。
酒を温めるための3本足の「爵(しゃく)」もコレクションに40点近くがそろう。商前期のものは底が平たく扁平な器身を持つが、商後期になると鋳造技術の発達により洗練された丸底の形のものが増えてくる。「卣(ゆう)」という取っ手の付いた酒壷は商前期に出現し、西周~戦国期にかけ頚部がくびれ腹部が張るなど形が少しずつ変化していった。春秋末期~戦国期には扁平な楕円形の「扁壷(へんこ)」が流行した。北方騎馬民族の水筒から形を写した可能性があるという。戦国期には「盉(か)」と呼ばれる鳥形の注ぎ口が付いた急須のような器も登場した。3本または4本の足が付いており、酒などを温める機能も持っていたとみられる。
時代ごとに器類の変遷を見ると、商(殷)代には酒に関係する器が多く、西周期には食べ物を入れたり煮炊きしたりするための器が多いそうだ。殷代の暴君に因む故事に、贅を極めた酒宴を意味する「酒池肉林」がある。展示パネルはこの故事をひきながら「商の人が酒を飲みすぎて滅び、そのことを西周王朝では戒めとしていたから酒器が減ったともいわれる」と記していた。