く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<広島・縮景園>上田宗箇作庭、清水七郎右衛門が大改修

2019年10月21日 | 旅・想い出写真館

【国の名勝、広島県立美術館に隣接する池泉回遊式庭園】

 国の名勝「縮景園」(広島市中区)は大名庭園の先駆けといわれる。浅野長晟(ながあきら)が広島浅野藩の初代藩主として1619年入国した翌年から別邸として「泉水屋敷」の築成が始まった。当時「御泉水」と呼ばれた庭の作庭を担当したのが浅野家家老の上田重安(宗箇)。茶人・造園家としても名を馳せた宗箇は徳島城表御殿庭園、和歌山城西の丸庭園、粉河寺庭園(和歌山県紀の川市)、名古屋城二の丸庭園などを手掛けたことでも知られる。

 ただ縮景園がほぼ現在のような規模と姿になったのはおよそ1世紀半後の1780年代の〝天明の大改修〟による。7代藩主浅野重晟が京都から庭師清水七郎右衛門(尾道出身)を呼び寄せて改修させた。庭園中央に濯纓池(たくえいち)が広がり、跨虹橋(ここうきょう、通称「太鼓橋」)が南北を結ぶ。池の中には大小10余りの島々。ほとりには茅葺きの四阿(あずまや)「悠々亭」などが立つ。これらも清水の手によって造られた。池の島々は参勤交代の途上、船上から眺めた瀬戸内海の多島美を再現させたものといわれる。

 

 池の北側のやや小高い所に「慰霊」と刻まれた原爆慰霊碑が立っていた。案内板によると、1枚の写真がもとで約30年前の1987年7月末、この場所から埋葬された原爆死没者の遺体が見つかった。発掘された遺骨は64体分に上り、その翌月、平和記念公園内の原爆供養塔に納骨された。以来、毎年ここで慰霊祭が開かれているそうだ。

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