く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<BOOK> 「一冊の本をあなたに 3.11絵本プロジェクトいわての物語」

2013年07月13日 | BOOK

【歌代幸子著、末盛千枝子編集、現代企画室発行】

 東日本大震災で被災した子どもたちに寄り添って絵本で励ましたい――。「3.11絵本プロジェクトいわて」はそんな思いから震災直後、岩手県盛岡市でスタートした。「絵本を送って」という呼びかけは瞬く間に全国に広がり、多くの絵本が続々と届いた。それを子どもたちに届けるため、6台の「えほんカー」がいまも東北各地を走り回る。本書はノンフィクションライター歌代氏が2年余の絵本プロジェクトの活動と共感の輪の軌跡を、丹念な取材の積み重ねで追った感動の物語である。

   

 絵本プロジェクトの呼び掛け人は絵本編集者の末盛千枝子。長年、東京で出版社「すえもりブックス」を経営し、詩人まど・みちおの詩から皇后美智子さまが20篇を選んで英訳された『どうぶつたち(THE ANIMALS)』(絵・安野光雅)の編集を手掛けたことでも知られる。震災前年の2010年5月、東京から岩手県八幡平市に移住していた。彫刻家だった父・舟越保武(「長崎二六殉教者記念像」の製作者)がアトリエとして使っていた別荘を住まいとした。(名前の「千枝子」は高村光太郎が「智恵子」をもじって名付けたという)

 末盛には講演集『人生に大切なことはすべて絵本から教わった』という著書もある。震災直後、脳裏に浮かんだのは「子どもたちを励ますのに一番効果的なことは膝に乗せて本を読んでやること」ということだった。震災2週間後の3月24日、末盛は盛岡市中央公民館の館長ら3人と絵本プロジェクトを立ち上げ、メールなどで関係者への呼び掛けを始めた。

 それをマスコミではいち早く日本経済新聞が28日付の夕刊で報じた。その反響は大きく、2日後には「200以上のダンボール箱が届き、たちまち7000冊を超えた」。執筆したのは取材を通じて末盛と20年来の付き合いがあったベテラン記者だった。その記者は支局勤務時代の中越地震の経験から、怖がる子どもたちの心のケアには絵本の読み聞かせが効果的なことを知っていた。

 全国から届いた絵本はその年の9月末までに23万冊に上った。それを年齢別などに仕分けし、移動図書館車えほんカーに乗せて保育所や小学校などに届ける。絵本が着くと子どもたちは歓声を上げ「本当にもらっていいの?」と目をキラキラ輝かせた。「子どもたちが欲しがるのは、読んだことのない新しい本よりも、むしろ前に持っていたという本が大半だった」。ある保育所では男の子が「ぼく、大好きだったんだ」と『ぐりとぐら』を抱きしめた。

 今年1月末までに届けた施設と絵本は275カ所、10万240冊に達した。そのために延べ4600人を超えるボランティアが地道な作業に携わってきた。子どもたちの喜ぶ姿がボランティアのメンバーにとっても大きな励みになった。絵本を送ってくれた人たちには、震災後「何かできることはないだろうか」と自問していた人が多かった。それを絵本が橋渡ししてくれた。「顔は見えずとも、確かにつながれている人との縁の不思議さを、末盛は感じていた」。

 2012年8月、末盛はロンドンで開かれたIBBY(国際児童図書評議会、参加74カ国)の世界大会で絵本プロジェクトの取り組みを報告した。スピーチに続いて1輪の花を胸に歌い継ぐ『花は咲く』の映像と曲が流れる。「人生の総決算」というつもりで臨んだという末盛のスピーチの反響は大きかった。12月にはIBBYの会長たちが来日して活動を視察した。

 末盛の元には皇后さまから折に触れて絵本が届けられてきた。『龍の子太郎』『三月ひなのつき』『おおきなかぶ』『わたしとあそんで』……。「ともすれば震災の記憶が遠くなりかけていくなかで、もうちょっと頑張って続けるようにという激励のエールなのではと思ったのです。『ずっと見守っています』というメッセージが込められているようでした」。

 皇后さまから贈られた絵本14冊は盛岡市中央公民館の「絵本サロン」に並べられ、誰でも手に取って読むことができるという。サロンは「絵本の好きな人がほっとできる場所」として震災1年後にスタートした。昨年9月からは「出張絵本サロン」にも取り組んでいる。今年3月には同じ公民館で皇后さまからお借りした絵本の原画展も開かれた。

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