定年退職後の生き様

定年退職後、残された人生を如何に意味有るものに、しようかと悩んでいます。

近所迷惑?

2007年11月23日 20時47分57秒 | ひよこ関係
鶏が朝鳴くようになりました。
午前6時30分に四回程度。
これはまだ良い。
午前5時30分頃にも二回程度。
これはきつい。
番犬じゃないが、人の気配に警戒して時を作るようである。
牛乳屋さんと新聞配達の時間と符号する。

もし、それ以外の深更に鳴いたとしたら、気をつけなければならない。

休日返上

2007年11月17日 22時19分06秒 | お仕事関係
空港近くの河川で油漏れ情報が有り出動。
現場に行ったところ、生活排水が原因と思われる食用油の被膜が川の端っこの方に一部出来ていたのみ。関係者一同、即解散。
なにも無く、めでたし。めでたし。
でも、この一瞬の現地会合のために休日の半日は消えてしまいました。

好天気が続く。

2007年11月17日 10時19分04秒 | Weblog
東温市の重信川近くに住んでいる知人から聞いた話です。

今の季節、好天気が続きます。
大きな河川では、川底が干上がります。
普段は、車両通行不能な場所でも、この時期は、地球とラーメタル星に、千年に一度橋が架かるように、未舗装の道が出来上がるのです。
川の対岸にある工場の大型車両は、普段は遠回りをして町中に出なければならないのですが、この季節ばかりは、河川敷に出来上がった未舗装の近道を使って、町と行き来します。

しかし、近所の住民からは、「ホコリが立つ」、「騒音がうるさい」と、役場を初めとする関係行政機関への苦情が絶えないそうです。

はたして、誰が悪いのか?

作家気取り

2007年11月17日 05時39分18秒 | 家庭関係
世の中便利になったものである。
キーボードを叩けば、文章がどんどん出来上がっていく。

しかし、便利さには代償が伴う。

一つは「言葉」を大切にしなくなったこと。
これは、アメリカ製のワープロがOSと抱き合わせで世間を席捲したことにもよるのだろうが、日本語独特の微妙なニュアンスの違いを使い分けなくなってきている。
「おさめる」という言葉でも、「納める」、「収める」、「治める」、「修める」
との標記があり、それぞれに使い分ける必要がある。
しかし、テレビのテロップや新聞でさえも、「収める」を誤って多用している感じがする。

もう一つは、漢字バカになってしまうこと。書けなくても、読み方さえ知っていれば、機械がどんどん漢字に変換していってくれる。そのためか、最近の定期刊行誌などを見ていると、妙にこむずかしい熟語を多用しているにも関わらず、それに文章内容が伴っていない、頭でっかちな文章が多くなってきている。
読みや意味は知っていても、書けない文字は、辞書を引くめんどくささも相俟って、自分の文章にはなかなか使用できなかった。
でも今はどうだろう。「知り尽くしている。」→「知悉している。」
「ぬぐいさる。」→「払拭する。」などと、気取った文書のオンパレードである。

そして、それに伴い、言葉の意味のブレもどんどん大きくなっていくのである。
       

夜の散歩

2007年11月12日 22時07分52秒 | 家庭関係
健康診断で肥満を指摘されてから、律儀に医者の指摘どおり、夜に30分程散歩をしている。
最初、コースは特に決めていなかったが、コースをその都度考える煩瑣さは、自分にとって、散歩を中断させる言い訳として十分な要件を満たしていたため、かっちり固めることとした。
自宅を出て、10メートルほど西に歩くと、県道に突き当たる。
その県道を100メートルほど南に歩くと国道のある交差点。
信号で立ち止まると有酸素運動の効果が半減してしまうため、信号は渡らずにそのまま東に折れる。岡山本店の24時間スーパーや本屋を越えて400メートル程歩けば、び大きな市道と交わる交差点。この信号も渡らずに北方向に約200メートル。24時間営業のカレー屋を西に400メートル。最初に出発した県道に再び突き当たるため、100メートル南に行き、三叉路を東に10メートル歩けば自宅に到着する。
何のことは無い、長方形の単純なコースである。
しかし、この程度の単純なコースでなければ、先述のとおり持続出来そうな気がしないのである。

1年経過

2007年11月10日 18時01分15秒 | セロー250関係
バイク復帰してから、1年経過しました。
タコのような安全運転を続けているため、もちろん無事故無違反です。
それでも時々ヒヤッとするときがあります。
例えば、一車線分の幅員しか無い狭い道において、対向車が無意味に急に中央に寄ってきたとき。
もちろん、当方のバイクは減速して左側に寄り、徐行運転しますが、左側に自転車に乗った人がいたり、一時停止している自動車がいたり、または転落防止柵の無い裏法面の場合など、左側に寄るだけの余裕も無いほどに寄ってきた場合には、とっさの判断を必要とする場合も有ります。。
恐らく、自分が乗っている車の車両感覚を十分に把握出来ていない輩なのでしょうが・・

卵を産まぬ。

2007年11月03日 19時23分08秒 | ひよこ関係
 夕方になると、小屋の中の鶏が騒ぎ始めます。
 日課の外に出れる時間が来たことをちゃんと知っているのです。
 小屋の扉を開けると、最初の2~3分は嬉しがって、狭い庭の中でも、駆けずり回ります。
 しばらく、庭の雑草や土をついばませた後、小屋の餌と水を交換してやると、律儀にあきらめて、トボトボと小屋の中に帰って行きます。

 7月に、夏の縁日で次男が釣り上げてきてから、はや4ケ月近く、我が家で勝手に雌鳥と思い込んでいる、白い足の方がそろそろ卵を産んでくれないかと待ちあぐねているのですが、一向に朗報は飛び込んできません。

 ましてや、次男から「小学生の集団下校の頃、子供達の足音に反応して、いつも雌がコケコッコーと鳴くんだよ。」という情報を耳にしては、この「白足」が、雌鳥である可能性は、殆ど無いと確信したのであります。

東京出張最終版

2007年11月01日 21時56分24秒 | 旅行関係
 先々週の東京旅行記を記します。
 本当は、ホームページの方に掲載したかったけど、「家族旅行」という範囲から逸脱してしまいます。
 そこで、長丁場になりますが、このブログに下記のとおり掲載することとします。
                  記
18日(木)(一日目)
  有楽町駅前ビルでの研修開始は、午前10:00 果たして、朝一の東京便で間に合うのか!

AM7:35 松山空港発
                (ANA582便)
AM8:50 羽田空港着
AM9:06 羽田空港発
AM9:35 浜松町着
                (モノレール)
AM9:39 JR浜松町駅発
                (JR京浜東北線)
AM9:46 JR有楽町駅着

 というわけで、初日10時から駅前ビルで開始する研修会に、余裕を持ってとはいえないまでも、なんとか間に合うことが出来た。
 午後4時過ぎまで、みっちりと初日の研修を終えた後、往復飛行機とのパックで予約していた宿所(銀座)に徒歩で向う。

PM16:30 ホテルにチェックイン。はとバス直営のこのホテルは、
     さり気ないサービスが行き届いていた。
      フロントに電話を入れ、今晩の飲み会の高田馬場までの
     交通手段を問う。
      フロント曰く、
       ○当ホテルから徒歩5分でメトロ日比谷線八丁堀駅に到着。
       ○一駅で茅場町。
       ○茅場町からメトロ東西線に乗り換え後高田馬場駅で下車。
      されば、茅場町まで徒歩も可能かと問えば、
     「一駅分徒歩が加わります。」と実に明確な答え。
      もう一度フロントから電話が掛かってきて、ホテル玄関から
     右側に行けば一本道で迷うことは無いとのこと。

PM17:00 高田馬場駅に向って出発。
      フロントに言われたとおり正面玄関からまっすぐ新大橋通を
     右に向う。
       ○メトロ有楽町線新富町駅
       ○〃  日比谷線八丁堀駅
     を徒歩により通過後、

PM17:30  〃 東西線茅場町に到着。
       大学時代、一番頻繁に使用していた路線(特に東京→松山への
      帰省時)のため、懐かしかった。
       入り口自動ドア上の電光掲示板に「早稲田」の表示が出た。
       本日旧友たちと会合する高田馬場駅は次であったが、
      反射的に座席を立っていた。
PM18:00 夕闇迫る早稲田駅の地上に出た。
      早稲田実業高校は郊外に移転したのか、既に無かった。
      4ケ月間通った予備校は、早稲田大学の施設の一部分となっていた。
      大隈講堂の時計台はやけに照明が明るくなっているように感じた。

      正門からキャンパス内に入り、図書館、大隈銅像を越え、
     右折すると商学部と政経学部の間の通路を抜ける。
      夜目に学生達の使う携帯電話の四角い照明が所々で光っている。
      キャンパスには所々、開学125周年のポスターやチラシが貼ら
     れていた。

      自分が通っていた頃は、丁度100周年と重なっており、
     なおかつ6大学野球優勝が早慶戦により決定したという、
     なんとも大学にとって華やかな時期であった。
      私が所属していた教育学部学生図書部のあった14号館は
     既に建て直されており、生協売店が有った頃の面影は既にそこには
     無かった。
      14号館と15号館の間の坂道を登ると、そこが我々教育学部学生
     の学びやである16号館である。
      改築もされず、当時のままのくすんだ無骨なビルディングは今も
     健在であった。

     夕闇にとっぷりと暮れてしまった16号館のロータリーに座ってみた。  
     直木賞作家で一躍有名になった重松清氏もクラスメートだった。
     出席番号が近く、必修科目で班別行動するときには、いつも同じ班
    であったが、あまり会話をした覚えはない。         
     自分の現場人生と照らし合わせてみたが、惨めな気持ちにはならなかった。
         「三品」の牛丼の香りがキャンパスまで流れ込んできた。
         「今でもやっているんだ・・・・」名物「かつ玉牛大盛り」を掻き込みたかったが、
    旧友との懇親会が20分後に迫っていたので我慢した。

PM18:15
     早稲田通りから明治通りを抜け、高田馬場に向う。学生時代の古書店は
    今も多く健在で有ったが、飲食店は様変わりしており、自分たちが昼食を
    取っていた食堂は殆ど残っていなかった。

PM18:30
     集合場所の高田馬場駅前ビッグボックス前で佇んでいると、
    まず2年後輩のNが来た。最大手印刷会社で営業課長をしている。
     次に大学で事務をしている1年後輩のYが来た。彼も大学の人事部で
    働くエリートだ。

     四国のど田舎で泥水にまみれながら現場勤務をしている自分であるが、
    不思議なもので、会った瞬間に学生時代の先輩後輩関係に戻ってしまう。
     この3人での懇親会はこれが始めてでは無い。6年程前に山形出張が
    有った際に、酒田市で教員をしている同期のAと飲んだ後、帰途東京で
    途中一泊しており、その際にもこの馬場で、一献している。
     学年はそれぞれ違うのに、当時からなぜか気が合うといった感じの仲間であった。
     居酒屋で2時間半程歓談した。学生時代の思い出話に盛り上がった。
     料理、飲み物の注文はすべて、テーブルの片隅に置かれている10インチ程の液晶モニター
    にタッチして行う。さすが東京であると思った。
     飲み会が終わったとき、Nが、私が昔住んでいた下宿がどうなっているか、
    今から見に行きたいと言い始めた。
     大学から歩いて30分程の新宿6丁目に有った私の下宿は、大家さんの
    子供の勉強部屋を改造したもので、4畳半一間では有ったが、トイレ、
    流し台付の一軒家であった。
     また、家賃も20000円と、当時でも破格の安値であった。
     YNを含めて、多くの友人が終電に乗り遅れたなどと言い訳を言いながら、
    よく泊まりに来ていた。
     酒の勢いも加勢して意気投合。
     タクシーを拾って、下宿すぐ近くの「抜弁天」まで。

PM21:15
      タクシーを降りると、昔ながらの商店街が有る「招き通り」に入り、
     「法善寺」という大きな寺を越えた所で右に折れる。
      下宿は今も有った。大家さんの本家の横に小さく張り付いていた。
      明かりは付いていなかったので、今はもう下宿業はしていないのかも知れない。
      大家さんにあいさつをしたかったが、もう午後9時を過ぎていたのでやめておき、
     そのまま墓地を抜け、明治通りを越え、四季の道を抜けて新宿に出た。

PM22:15
       新宿の喫茶店で暫く再び歓談したのち、再開を祈念して解散した。

PM23:00
       JR新宿駅から中央線に乗り、JR東京駅で京葉線に乗り換え、
      八丁堀駅下車。徒歩により、宿に向う。    
          


19日(金)(二日目)
        二日目の研修である。研修自体は本日で終わりであるが、飛行機の都合で、
       ここでもう1泊することになっている。
       今日の夕方と明日は家族の土産の物色等で色々歩き回ることになると思い、
      2日間の東京メトロ乗り放題カードを980円でホテルのフロントで購入した。
       されば、有楽町の会場まで歩く必要など無い。
       メトロ有楽町線で新富町→有楽町まで早速使用することとした。
AM9:20
       バイキング形式の朝食を済ませ、新富町駅に向う。有楽町線にて、有楽町の会場へ。
       玄関の前にはとバスが停車しており、ご高齢の夫婦などが乗車していた。
       皇居や上野公園などの東京観光に出かけるのだろう。

PM16:15
       2日間の研修は無事終了。
       本当は、本日の最終便で松山に帰省する予定であったが、修学旅行
      の時期と重なっており満席のため、やむなくもう一泊することとなった
      ものである。
       みやげ物購入のため、メトロ日比谷線で秋葉原へ。
       長男に頼まれていたジョジョ関係のフィギュアはどこにも無く、
      再びメトロ日比谷線で八丁堀に到着後、徒歩にてホテルへ。

PM18:00
       ホテル途中の立ち食い蕎麦屋で天ぷらそばを食べ、コンビニで夜食を買い込む。
       昨晩と大違いで非常に侘しい第二夜となった。



20日(土)(3日目)
AM8:30
       朝食を済ませた後、神田書店街に向う予定で有ったが、
      開店までまだ少し時間が有ったため、近辺を散歩することとした。
       快晴。
       聖路加病院の高層ビルを目指して歩く。
       このビルの屋上には展望台が有るらしいが、病院施設を中心とした建物に
      威圧感を感じたため、建物の中には入ることが出来ず、素通り。

      隅田川ほとりの遊歩道に出た。
      水辺にビル群の景色が映えて非常に美しい。

      佃大橋を渡ると、そこは佃町。
      ビルの一角に、江戸情緒を残した木造の古い町並みが残る。
      佃煮の店が一件開いていたので、土産用として購入することとした。
      しかし、老舗というだけあって、弁当箱の大きさにも満たない小さな
     詰め合わせが3000円もした。

AM9:00
      隅田川左岸側の遊歩道を下流に向けて歩く。

      ビルの谷間から東京タワーも垣間見えた。

      1キロ程歩くと、かちどき橋。
      地元愛媛県の長浜大橋同様、昔は開閉橋だったところである。
      亀有派出所のアニメの舞台にもなった。
      アニメでは開閉していたが、道路通行量の増加及び船舶通過料の減少
     により、今から37年前に開閉はしなくなり、今ではジョイント部分も
     アスファルトで塗り固められ、物理的にも開閉不可能な状態になっていた。
      橋を渡ると、左側のたもとに「勝鬨橋の資料館」が有った。
      小さな施設ではあったが、入館料無料で、中には勝鬨橋がモーターで
     開閉するミニチュアのジオラマが展示されていた。

AM10:00
      再び、宿泊したホテルの前まで出ると新富町から有楽町線に乗り、
     永田町で半蔵門線に乗り換え神保町に。

      地上に上がると、懐かしい書店街の風景が目の前に広がった。

      学生時代、卒論のネタ探しに幾度となく、この書店街に通った。
      町並みは殆ど変っていなかった。

      長男に漫画を頼まれていたので、学生時代に東京中の書店で、
     漫画が一番充実していると睨んでいた「書泉グランデ」の地下に降りたが、
     所望の本は見当たらなかった。

      「本と街の案内所」で調べてもらったが、わからなかった。
      店員に漫画の豊富な古本屋を教えてもらい、数件当たってみたが
     見当たらなかった。
      やむなく、適当に子供達の読みそうな漫画を見繕い購入した。

AM12:30
      昼食は、書店街の喫茶店(近頃はやりのチェーン店)で、アイスコーヒーと
     海老入りサンドイッチ。

AM13:00
       飛行機にはまだ時間があるので、半蔵門線で渋谷に向う。

       人また人。ハチ公前は工事中。
       面白グッズが色々ある東急ハンズを目指すが、昔と町並みが変っているせいか
      なかなか到達出来ない。

AM13:30
      NHK前など、後で振り返ればかなり見当違いの場所もさ迷いつつ、     パルコ裏にある東急ハンズにやっと到着。
      長男には限定版トミカ マツダコスモ。
      次男には鳥のペーパークラフト。
      妻には、クリスマス用に雪だるまの人形。
      いつ来てもここではすぐに時間が過ぎてしまう。

AM15:00 
      羽田空港を目指す。普通ならば、山手線内回りにより品川駅に行くのが
     一番妥当な線であろう。
      しかし、東京メトロの2-DAY OPEN TICKETをまだ
     最大限有効に使い込みたかった。

      渋谷→永田町までメトロ半蔵門線で移動し、南北線に乗り換えて目黒下車。
      目黒からJR山手線内回りにより品川駅へ。
      品川駅から京浜急行に乗り換えて、羽田空港に。

AM15:45
      羽田空港到着。
      まだ飛行機に少し時間があるため、再び土産を購入。
      「東京プリン」等、家族親戚用の菓子を購入。
      小腹が減ったので、カウンターから搭乗口までの間にある食堂で掻揚げうどん
     を注文する。
      味はまずまずであったが、海老の足の部分を掻揚げの一部に寄せ集めているのが、
     食感として新鮮であった。

PM17:05 
      ANA595便にて、松山空港へ
      前方窓際の座席を確保出来た。
      東京上空に上がったとき、夕闇に真っ黒な富士山のシルエットが見えた。
PM18:45
    逆風の気流により、若干遅れて松山空港に到着した。