定年退職後の生き様

定年退職後、残された人生を如何に意味有るものに、しようかと悩んでいます。

失言

2014年11月24日 20時46分21秒 | 家庭関係
三連休の最終日。

長男「あつ」を丸亀に送る途中、六十六番札所雲辺寺へ紅葉狩りに行った。
今から三十年以上前に両親と行った時には、山麓から山頂までの間、軽四で離合する箇所が殆ど無い山道を何時間も走った。

しかし、今では山麓から山頂近くまでロープウェイが開通しているため、午前10時に自宅を出発し、12時40分には山頂の雲辺寺を参拝していた。

105人乗りのロープウェイには、自分達家族以外は、白装束のお遍路で満員であった。

昔父親の運転する軽四で苦労した記憶がどうリンクしてしまったのか、悪気は無かったのだが、大きな声で妻に

「本当の歩き遍路さんは、ロープウェイに乗らずに、歩いて雲辺寺をお参りするんだよ」と言ってしまった。


空気が凍り付いた。

今から散歩に出かけよう

2014年11月23日 14時36分27秒 | 家庭関係
ブログについて、常連の友達がたくさんいる人や、同胞の魂を揺り動かさずにはおられないような特定の趣味に長けている人を除き、自分と同様、自分自身以外の読者は殆どいない方も多いのではなかろうか。

過去の記録を、テーマごとに時系列に整理してくれるため、自分にとってブログは、使い勝手の良い写真付き日記のような役割が重宝している。

日記であれは、個人名の悪口や中傷等の攻撃的な内容を取り扱おうが、勢い任せに逆接の接続助詞「が」を乱発することにより、文章全体のまとまりがなくなろうが、おそらく気にせずに連ねていくと思う。

しかし、ブログの場合、「誰かに見られている」(かもしれない)という緊張感により、ベタ打ちの文書に対して、「推敲」という一手間を加える必要がある。

コピペで文章の構成を組み替えてみたり、一度使った表現を再度使用する際には、陳腐化しないように別の言い回しを考えてみたり、あるいは匿名性が漏れてしまう内容がないか確認をしてみたり・・・・

この緊張感って何だろうと考えていたら、「世間」に近いものではないかと思えてきた。


本題とは関係の無い文章になってしまった。

三連休の中日。家族は皆、買い物やら友達と会うやらで、自分一人留守番をしている。
予定が無いため、今から恒例の散歩に出かけようと思う。
走行予定距離は約8キロ。


ボランティア清掃にて

2014年11月22日 21時27分29秒 | お仕事関係
(個人情報保護のため、「彼女の思惑」バージョンの氏名に置き換え、かつ内容も相当脚色しています)

本日、我社の早朝ボランティア清掃に参加したところ、珍しい人に有った。

八木さんの上司である、牛本係長。

午前8時過ぎ、堀之内の集合場所で自分の姿を見つけると、近付いてあいさつをしてくれた。
私は、社交辞令として「あなたの職場では農業関係者ともかかわり合いが深いから、温州みかんに悪い病気が蔓延してしまった今年は大変忙しかったでしょう」と近況確認をした。

「私は、植林さんと同じ庶務関係の係長だから、残業は殆どありません。でも、八木さんは・・・」

出来れば、これ以上聞きたくなかった。しかし、社交辞令である以上聞かないわけにはいかない。

「予算作成で忙しいので、可哀想に土日無しの毎晩午前様です。自分が代わってあげるわけにもいかないし・・・」


「自分が代わってあげるわけにもいかないし・・・・」のフレーズ

嫌でも八木さんとの別れを思い出してしまった。

思い出したくなかった。

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今年の春、彼女に仕事のことを電子回覧で尋ねる機会があった。
リース契約の更新手続きについて、時原さんに聞いても要領を得なかったため、二年度前の仕事で申し訳ないと思いつつ、前任者である八木さんに確認することとした。

翌日、彼女から対応方法の返信が来たが、抽象的であまり要領を得ない内容であった。
後ろめたさも助長して、「二年前の仕事を前任者に尋ねずに自分達で解決してほしい。」というメッセージが込められている気がした。
この回覧、仕事目的がもちろん一番では有ったが、年度が更に改まっても、八木さんと少しでもどこかでつながっていたいという気持ちもどこかに有った。
この下心を八木さんに気取られてしまった結果として、アバウトな文体になってしまったのだろうか。

その夜じっくりと考え、ある結論に達したため、翌朝、彼女に回覧を送った。

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1:植林治文
2014年04月17日(木) 08:22

おはようございます。

リース・委託契約について、「3月分の支払日をどう設定しているかによって新年伝票の処理方針をこちらで判断すべきだ」
と指摘いだいた際、図星だっただけに少しムッとしてしまいました。
そのため、前回の返信が、お礼の内容であるにも関わらず少し尖った文面になってしまいました。気取られてしまいましたね。
申し訳ありませんでした。


この職場に来て既に2年余り。色々な意味で八木さんから卒業するべき時期が来たようです。

私的内容(感情)を含む回覧はこれを最後にしたいと思います。 ありがとうございました。

(追伸)

昨年度の回覧の往信内容は、職場ではもちろん、家人にも話しておらず、墓場まで持っていくつもりです。安心してください。

(返信不要)


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6:八木幸美
2014年04月17日(木) 12:58

お疲れさまです。
昨年度からの普通でない残業量がずっとひびいて、土日も職場または家に持ち帰り仕事して毎晩寝るのは2時~3時(ひどいときは5時~徹夜)という状態で、仕事の能率も極端に悪く、記憶もかなり途切れがちになっています。

そんな状況なので、思い出そうとしてもあまりできず、また返信も時間がなくなかなか打つことも出来ず、
お役に立てなくて本当に申し訳ありませんでした

色々とお気遣いいただいて、ありがとうございました。
(※返信不用にしていただいていたのに長々と書いてしまってすみませんでした。)(返信不要です)

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彼女がどんなに忙しくても、私は彼女の上司ではない。

彼女に代わって仕事をすることもできないし、仕事を手伝ってあげることも出来ない。

無責任に「がんばれ」「少しでも眠ってください」と繰り返すばかりが関の山である。

彼女自身が心身ともにもっと強くなるしかない。


今でもこの選択は正しかったと信じている。












サラタビの使い方について

2014年11月22日 10時10分16秒 | お仕事関係
大阪出張から帰省。

昨日午前中で研修が終わり、16:40分伊丹空港発の飛行機に乗るまでの間、自由行動。

私はベタに大阪城の天守閣に登り、結果、大陸系言語と関西弁の渦に悪酔いしてしまい、松山空港まで迎えに来てくれた妻に、「顔色悪いけど大丈夫?」心配された。

夕方に伊丹空港で合流した際、他のメンバーと雑談していると、残り半日の使い方は様々。
若い社員達は、梅田に出かけてショッピング。
エンジニア系の課長補佐は、早々に空港に到着、趣味である読書にふけっていたという。
マラソン好きのK専門員は、早朝に大阪城周回のジョギングが出来なかった代償として、大阪城すぐ近くの会場から伊丹空港までの約15キロ、徒歩で二時間半をかけて制覇。



大阪城は外人ばかり

2014年11月21日 20時51分01秒 | お仕事関係
今日午前中で研修が終わったため、研修会場のすぐ近くにある大阪城を見学することとした。

一般の人に比べると旅行経験は多い方であると思うが、大阪城には、今までに一度も行ったことは無かった。

大阪城は、高校二年の修学旅行で見学をする予定であったのだが、スケジュールが予定より遅れたためパスとなり、既に薄暗い公園内の食堂できつねうどんを食べた後、そのまま直行で、松山観光港行きの夜行フェリーに乗った記憶がある。

天守閣の中に入ると、中にはミュージアムショップが何軒も並び、8階天守閣に登るためのエレベーターまで完備されていた。
これが城なのだろうか。
地元の松山城の場合、小ぶりの天守閣の中を、とんでもない勾配で、殆ど梯子のような階段を駆け上らなけれならない。
しかし、床や階段は歴史を感じさせる黒光する木造で、現存12城の一つであることが、誇らしく感じられた。

そして、更に特筆すべき点として、観光客の中に殆ど日本人が見られなかったことが挙げられる。
顔つきは同じ東洋系なのに、男性はなんだか皆、妙に小太りしており、かつ大きな声で大陸の言語を発していた。
人の流れは一切無視して、思い気ままに立ち止まり、集合写真を撮影している。
孫の手ぐらいの長さの棒の先にスマホ、デジカメを装着し、きらびやかな装飾の前に来ると、それを背景にして自分撮りをしている者も多くいた。

白人の夫婦・カップルも多くみられた。一方、殆ど日本語を耳にすることは無かった。

たまに日本語の会話が聞こえると、たとえそれが普段は大嫌いな関西弁であったとしても、なぜか懐かしく、心強く感じられた。





招待状

2014年11月18日 21時39分15秒 | 家庭関係
昨日、旭川から招待状が来ていた。
三浦綾子文学賞の授賞式と記念パーティーへの案内。

落選した者にまで案内が来るのかと驚いた。
館長であった故三浦光世氏の生前の配慮が反映しているのかもしれない。

漫画投稿で落選した時は、黒い枠で囲まれた落選通知が届いておしまいだというのに・・・・

旭川で一番の豪華ホテルでの会食パーティー。会費はご招待。
しかも、お連れさんもご招待という大盤振る舞い。

何かを勘違いしている妻は、喜んで、「一緒に行く?」とはしゃぐ。

行けない。

季節は移る。

2014年11月16日 15時59分39秒 | 家庭関係
先週末は、一泊二日で道央旅行をしていた。
一週間前の今日、快晴のもとで旭川市内を散策していたが、本日は既に雪が積もっているそうだ。
北海道ではすぐに根雪になってしまうから、一週間違いで散歩での観光を満喫できた自分は幸運だったと言えよう。

暖房の効いた部屋でホームページを更新しながら、無人の塩狩駅舎内での底冷えする寒さを懐かしがっている。

塩狩峠

2014年11月08日 20時08分35秒 | 旅行関係
14:20 旭川駅発

宗谷本線 蘭留→塩狩間 1両編成のキハ54は、勾配がきついのであろう、魚臭い白い煙を吐きながら、あえぎあえぎ登っていく。

15:05 塩狩駅着

古い無人駅。 恐ろしく無人駅。対面ホームの向こうは、葉を落としたシラカバの原生林。クマが出てもおかしくない雰囲気。
誤解を恐れずに言えば、何だかテッちゃんが喜びそうなたたずまい。


駅ホームには、三浦綾子氏の「塩狩峠」主人公のモデルとなった国鉄職員長野政雄の慰霊碑があった。

駅舎側の和寒方向の高台にある塩狩峠記念館を見学する。

旭川市にあった三浦氏の旧宅を復元した作りになっており、趣向としても非常に面白かったが、駅に降り立った時と同様、来館客も私一人であった。

受付で自分の住所・名前を記帳すると、恐らく暇を持て余していたのであろう、受付の壮年男性は、「遠路はるばる・・・」としばらく話し相手をしてくれた。
男性の出身地である三笠地方には、北海道には珍しく、自分と同姓の人が何人か住んでいたと話してくれた。
私の故郷には良くある名前だから、屯田兵時代に、はるばる四国から渡ってきた人がいるかも知れないという所で落ち着いた。