定年退職後の生き様

定年退職後、残された人生を如何に意味有るものに、しようかと悩んでいます。

作家気取り

2007年11月17日 05時39分18秒 | 家庭関係
世の中便利になったものである。
キーボードを叩けば、文章がどんどん出来上がっていく。

しかし、便利さには代償が伴う。

一つは「言葉」を大切にしなくなったこと。
これは、アメリカ製のワープロがOSと抱き合わせで世間を席捲したことにもよるのだろうが、日本語独特の微妙なニュアンスの違いを使い分けなくなってきている。
「おさめる」という言葉でも、「納める」、「収める」、「治める」、「修める」
との標記があり、それぞれに使い分ける必要がある。
しかし、テレビのテロップや新聞でさえも、「収める」を誤って多用している感じがする。

もう一つは、漢字バカになってしまうこと。書けなくても、読み方さえ知っていれば、機械がどんどん漢字に変換していってくれる。そのためか、最近の定期刊行誌などを見ていると、妙にこむずかしい熟語を多用しているにも関わらず、それに文章内容が伴っていない、頭でっかちな文章が多くなってきている。
読みや意味は知っていても、書けない文字は、辞書を引くめんどくささも相俟って、自分の文章にはなかなか使用できなかった。
でも今はどうだろう。「知り尽くしている。」→「知悉している。」
「ぬぐいさる。」→「払拭する。」などと、気取った文書のオンパレードである。

そして、それに伴い、言葉の意味のブレもどんどん大きくなっていくのである。
       

最新の画像もっと見る

コメントを投稿