定年退職後の生き様

定年退職後、残された人生を如何に意味有るものに、しようかと悩んでいます。

年度末

2015年03月31日 23時29分56秒 | まんが
職場の身辺整理を行って、先ほど帰宅。

この三年間、色々な意味で濃いかった。

三か月間、ベイマックスとからかっていたポチャかわのバイトの女の子が、
帰り際になぜかゴディバのチョコレートをくれた。

自分に好意を持ってくれた「女の子」が他にもいたことがうれしかった。

残る人に背中を押してもらって、明日からは新しい職場で心機一転頑張ろう。

2015年03月29日 15時03分14秒 | 家庭関係
久万ノ台と衣山の間にある、近所の山を長年管理してくれていた方が、高齢を理由に返却を申し出てきた。

義父(故人)名義であるその土地については、結婚以後20余年、存在すら知らなかった。
いずれは、我々夫婦や自分の子供たちが管理しなければならないため、天気も良いので散歩がてら、親子3人で現場の下見に行った。

山と言うので杉林か何かを想像していたら、急勾配の斜面に、手入れされた夏みかんの木が植えられ、隙間の土地には、除草の意味も込めてか、びっしりとダイコンが植わっていた。

近々、夏みかんの収穫が終わり次第、現状のまま返却してくれるそうである。

退職後は、野菜を植えたりして管理することも出来ようが、会社で勤務している間は、恐らく自分の性格上、本腰を入れることはできまい。

長年連れ添ってきた妻も重々そのことは承知で、当面夫婦で十分な管理ができない以上、転売することも考えていたそうである。

知り合いの不動産に訪ねてみたが、山というのは値段があって無いようなものだそうであり、住宅地造成等により施主からもとめられて売る場合とそうでない場合では、価格において、末尾ゼロの数が3つも4つも違うそうである。
もちろん、うちの場合には後者であり、後の管理のことを考えればタダでも嫌がられる場合もあるとのこと。

荒れ放題にして近隣の方に迷惑を掛ける訳にもいかないし、新年度直前、また一つ悩みのタネが増えてしまった。










引き継ぎ

2015年03月28日 01時37分01秒 | お仕事関係
本日午後、自分の後任と引き継ぎを行った。

後任も別の部署で会社の予算担当をしており多忙のため、手短に終わらせるつもりであったのに、3時間近く要してしまった。

夜、机の回りを整理していると、いよいよこの職場とも別れの時期が迫って来たことを感じた。

残業を終え、社屋の外に出ると、優しい春の風が頬を掠めた。


さらば 東京、さらば職場

2015年03月23日 21時59分53秒 | お仕事関係
恐らく私の残り限りある会社人生で最後となるかも知れない、東京出張をホームページにアップした。

わが社の人事異動内示のちょうど一週間前であったため、学生時代の思いを懐かしむ一方で、近い将来の結末に不安する、複雑な思いの旅となった。

さて、本日は課の送別会。

我が職場での今回の人事異動は課長以下、総崩れの感があった。

しかし、そこは大人、上座に座った者達は皆、宴ではバカになりきって元気を装った。

自分の隣に座っていた課長補佐自身にとっても、決して面白い人事ではなかったと思うが、職場を去りゆく我々に対して、古いヨーロッパの格言を引き合いに出し、
「(花のように)蒔かれた場所で咲きなさい。」と締めてくれた。

言いたいことが非常によくわかった。




夢多かりしあの頃に・・・

2015年03月12日 17時40分47秒 | お仕事関係
午後3時前。霞が関での午後の協議は、部下から担当者への耳打ちにより突然中断した。
仕事が早めに終わったら、飛行機最終便までの空き時間、新橋か浜松町あたりで大学時代の友人との再会を予定していた。

しかし、協議中断の合間に、協議が長引きそうな予感がしたため、彼にお断りの連絡メールを既に入れてしまった。

担当者の急用の理由により、協議の再開は無かった。

わざわざ貴重な仕事の時間を割いてまで会ってくれようとしていた後輩に、今更「やっぱり時間が出来ました。」と連絡を入れるのは憚られた。

・・・・・

19:15羽田発松山行きの最終便までどのように時間調整をすれば良いのか全くノープラン。

とりあえずSuikaで地下鉄の改札口を越え、丸ノ内線に。

その時は、東京駅で山の手線か京浜東北線に乗り変え、浜松町からモノレールに乗り換えて空港への直行を考えていた。

日帰り用回数券のため、17:15発の1便早いに乗り換えることが出来る。


しかし、私は、(恐らく学生時代の習慣がフラッシュバックしてしまったのかもしれない)、刹那、反対側の荻窪行きに乗ってしまった。


丸の内線は、四谷で一度地上に出る。あの頃と同じ、上智大学キャンパスのテニスコートがまぶしい。

新宿御苑前で下車した。

学生時代の下宿の最寄り駅である。

200円を支払って新宿御苑に入る。

下宿から歩いて5分程の至近距離にありながら、女学生との縁が無かった学生時代は、一度も入ったことが無かった。

広い園内の緑地では、高齢者の夫婦や若いカップルが平日の昼下がりを楽しんでいた。


新宿御苑を出て、次の行動を考えた。

新宿四季の道を越えて、新宿駅からあえて外回りの山の手線に乗り、高田馬場→池袋→上野→東京→浜松町のコースで空港に行けば、ゆったりと最終便の飛行機に間に合う。

しかし、少し心を病み、「自主退職」の4文字ばかりが常に頭をよぎっている私は、飛行機出発の時間を全く無視し、東京医科大学前→栄通り→抜弁天→総務省統計局→戸山公園→夏目坂・・・というコースを彷徨してしまうこととなった。

抜弁天前にある自分の下宿を訪ねた。

ちょうど取り壊しをしている最中で、大家さんの勉強部屋を改造した下宿は既に消滅しており、西側に隣接している畳屋の風景がむき出しになっていた。

(もしも気が向けば、続きはサラ旅で・・・)






無題

2015年03月09日 20時15分13秒 | 家庭関係
また、昨日は長男「あつ」を丸亀まで自家用車で送った。
毎度の運転にも慣れてきたため、中途のSAでの休憩を抜きにして、ノンストップで私が運転した。
16:30に自宅を出発。
はなみずき通りまでは夕方の混雑でノロノロ運転だったが、高速道路に入ってからは極めて快調。19時前に丸亀市内着。
おか泉でうどんの夕食を済ませ、あつのアパートに。
ボーっとテレビを見ている間、妻はいつものごとく、トイレ、風呂、部屋掃除。
いってQが終わった頃、気が済んだらしい。
家路に。
明日は仕事だからとの理由で、妻が全区間運転してくれた。




腹をくくる

2015年03月07日 16時29分53秒 | お仕事関係
前任の臨時職員が1月一杯で退職した後、人事担当課から、新年度に入るまで補充は無いと伝えらえていた。
年度末の多忙時期に事務補助無しはキツいと思ったため、前任と後任の中継ぎとして、1月~4月の4ケ月間、アルバイト女子職員を雇うこととした。
柳原可奈子似で少しぽっちゃりしている彼女、控えめで大人しい女の子なのだが、実にテキパキと効率的に仕事をさばいてくれる。
そのため、部下の女子正職員もすこぶる機嫌が良い。


2月の末、人事担当課から連絡が入り、「急に臨時職員を配属できることとなったから、雇用依頼書をすぐに提出してください。」と要請があった。

ポチャかわのアルバイトさんのお陰で、今は組織が円滑に動いている。 こんな中途半端な時期に一方的に押し付けて来られる臨時職員は、言い方は悪いが、
自分の経験上、いわゆる「いわく物件」が多い。

上司とも相談の上、「最初のそちらからのお約束通り、課としては、新年度に入るまで臨時職員補充の必要はありません。」と鄭重にお断りした。

人事担当課の係長は、甲高い声で「こんなこと前代未聞です。」とかなりご立腹であった。


本社業務に見切りをつけた中年男性は、いよいよ腹をくくった。

東京出張

2015年03月02日 21時40分53秒 | お仕事関係
3月11日にまた日帰りの東京出張が入る。
恐らく、今の職場で最後の東京出張。
週末に出張の日程を重ねて一泊するという選択肢も有りはした。
しかしもう既に「年度末」という重苦しい雰囲気が自分の回りに充満しており、出張に私的な旅行をくっつける気持ちにはなれなかった。

異動直前の南九州への一人旅もグズグズしているうちにいつの間にかタイムオーバー、ボツとなってしまった。


自分の心の中に今まで張りつめてきたものが、少しずつ、そしてゆるやかに融解を始めたようである。


コミュ障の僕に・・・・

2015年03月01日 21時33分30秒 | お仕事関係
今日から3月。

あと1ケ月で、足掛け14年間の本社勤務が終わる。

昨年末の管理職との人事異動希望ヒアリングを思い出す。
「定年退職までのあと7年間は、残りの会社生活を有意義なものとするため、現場勤務を希望します。」
「昨年のヒアリングで言っていた、『切った張ったの世界が向いている』と言うことかね。」
「はい。決して後ろ向きな理由ではありませんが、理事から突かれないようにするため、差しさわりの無い文章や発言にのみ長けていく本社勤務よりも、はるかに自分の適正に向いていると思っています。」

善良な人物の管理職は、それ以上何も言わなかった。

ヒアリングの会議室から退場する間際、課長が一言。

「植林君。君は緊張すると少し早口になる傾向がある。今後は、今日のヒアリングのように、自分が発する言葉の意味を咀嚼しながら、ゆっくりと話す習慣を心がけるようにすると良いよ。」

コミュ障の自分にとって、ありがたい箴言であった。