「もしも」は我がお堅い会社では、一番嫌われる思考パターンである。
ある一時期漫画家を目指していた自分にとって、上司との協議は、どうしても仮定を前提とした論理に流れがちであった。
しかし、返ってくる返事はいつも「絵空事」「妄想癖」「たら話」で済まされ、殆ど次のステージに上げてもらえることは無かった。
或る上司には、このような思考回路の自分に対して「性格異常者」と言われ続け、心を病んでいた時期も有った。(拙作
「奈義のいた村」の東京でのシーンがそれに当たる。
それゆえ、職場である程度責任ある立場となってからは、この「IF」の思考回路を封印してきた。
しかし、今回のブログでは、ある決意のもと、自己満足、自己欺瞞に満ちた「IF」の屋上屋を重ねていく。
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タイトル「もしも、三浦綾子文学賞を受賞したら」
この小説は、「性格異常者」とまで言われた自分に対して、「普通」に接してくれた女性部下がモチーフとはなっている。
ある正規の女子社員が「普通」に接してくれたことが珍しかったため、私は空想の翼を最大限に広げてしまい、
○もし彼女のような素敵な部下が、自分に対して好意をもってくれていたとしたら
○もし彼女のような部下と本音トークでのメールを交わすことができたなら
という前提のもとでの、妄想の産物である。
一時期当該ブログに掲載した彼女との春秋についても、ホームページに掲載した私的小説についても、全てがインターネットの匿名性にかこつけた妄想の所産である。
主人公及び彼女が働く会社ももちろん実在の組織をモデルとしたものではなく、その業務内容も全く空想上の話である。
自分の空想、憧れ及び願望をを自慰行為的にホームページに一時期掲載していた頃、「三浦綾子文学賞」募集を知った。
主人公が「彼女」の残業を減らすために組織の中で無理を重ねていくストーリーを、皮相的にキリスト教の「自己犠牲の精神」に直結させてしまい、もしかしたら応募に相応しい内容かもしれないと勘違いしてしまった。
これが応募の契機のすべてである。
そこで、ホームページの内容から大幅に校正を加え、舞台は山陽地方の架空の町とし、舞台を特定出来てしまえそうな描写はすべて改めた。
受賞した時に本名非公開でも構わないことは、事務局に確認した。
覆面作家として授賞式欠席については、時と場合によりますということであった。
しかし、上記前提がクリアできたとしても、いつかは自分の素性はばれてしまうだろう。
そのため、もし 受賞した時には、「彼女」及び今までお世話になった会社に対して迷惑を掛けないよう、今回のブログで掲載したことが事実であることを主張するために、一つの大きなセレモニーを実行しようと考えている。
ただし、このセレモニーを実施するためには、一定の準備期間を必要とするため、引き継ぎ書の整理等、空いた時間を利用して少しずつ準備をしているところである・・・・
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・・・と言った具合に、一度火が付いてしまうと、自分の妄想は留まる事を知らない。
やっぱり、「性格異常者」だったのかなあ・・・