定年退職後の生き様

定年退職後、残された人生を如何に意味有るものに、しようかと悩んでいます。

今生の別れ

2008年04月30日 21時36分15秒 | お仕事関係
二年近く現場のクレーム処理に東奔西走していただいた我が社の嘱託監視員さんが本日付けで退職されることになった。
そこで、同じ島で送別会を実施するよう、二人の部下に当たる人たちに仕掛けていたのだが、一向に乗ってくれる素振りを見せてくれなかった。
そこでやむなく二人で惜別の盃を交わした。

二年近く、日額6000円ちょっとで20日勤務。
50代家族持ちで月給120000円。
雨の日も風の日も終日現場に出てクレーム処理をしていただいていた。
それが、今年度から月15日勤務で、社会保険なしという悪条件に変化してしまった。

今年度更新の面接をした際、我が社の面接官の一言が退職を決意させたという。

「いやだったら来なくて結構です。」



夢を見た。

2008年04月23日 18時35分12秒 | 旅行関係
自分が死んだ夢を見た。

自宅で家人達が自分の遺体を出棺しているところを、何故か私は4メートルくらいの高さから眺めていた。(家の天井がそんなに高い訳が無いのだが・・・)
家人達に話しかけようとするが、当然私の姿は、彼女達に見えないし、私の声は彼女達には聞こえない。

そのとき、既に幽霊となっていた私は、突然恐怖を覚えた。
それは、「もう私は死ぬことが出来ない」という恐怖であった。
現実界とは接触できないこの状態で、終わりの無い永遠を過ごさなければならないという恐怖。
その恐怖に慄然とした瞬間、目が覚めた。

逆説的な表現だが、生と対峙して必ず死が有るということは、幸せなことなのかも知れないと思った。

偽善2

2008年04月11日 15時02分21秒 | お仕事関係
本日は、昨年秋以降、初めて丸一日有給休暇を取り、妻と近くの映画館に行き、昼食を済ませて帰ってきたところである。
世間の人が汗して働いている中、平日でガラガラの映画館で夫婦連れでムダをつぶすことは、やはり性に合わない。後ろめたい。
そこで、この罪悪感を誤魔化すため、いつかのブログで途中まで書いていた、「偽善」について続けることとする。

「偽善」について、何も事を起こさないよりは、たとえ下心が有っても何かをした人の方がマシであるということが、自分の逡巡の到達点であった。
ゆえに、「立派なお題目ばかり並べて自らは動こうとしないにわか論客よりも、票田確保のために地元にトンネルを抜く議員さんの方が立派であり、実際に世間の役に立っている」という偏向した気持ちのもと、今年度も清掃ボランティア活動の企画を始めることにした。

花見

2008年04月05日 10時59分46秒 | 家庭関係
庭の桜が満開した。
今から十数年前、二人の男の子の健やかな生育を願い、2本の桜の苗にそれぞれの息子の名前を付けて植樹したものである。

いつのころからか、桜満開の時期に、家族と親戚を呼んで、ささやかな花見(=昼食会)をすることが恒例となった。

本日、その日。

すでに甥は到着しており、花見を控え、庭にブルーシートがひかれるまでの間、自宅で長男とゲームに興じている。

悠久の春。 この平安がいつまでも続くことを願う。



歓迎会

2008年04月01日 21時19分40秒 | お仕事関係
 本日は、新年度。
 わが支社では、部内の歓迎会。
 54名の転入者を迎えて新体制が開始した。
 懐かしい顔ぶれが並ぶ。
 特に、今治時代に管理部門の補佐をして世話になったMさんが同じ部の課長として来訪した。
 現在、自分自身が管理部門の仕事をしているので、今後色々と教えていただくことも多いと思う。

 やはり、人との付き合いとは大事にしておくべきものだと思った。