定年退職後の生き様

定年退職後、残された人生を如何に意味有るものに、しようかと悩んでいます。

フルムーン夫婦グリーンパス

2007年01月28日 21時55分41秒 | 旅行関係
今年7月に妻が誕生日を迎えると、夫婦合わせての年齢が88歳に到達する。
今年の冬もJRで「フルムーン夫婦グリーンパス」の企画が残っていたならば、晴れて適用年齢に達することとなる。
適用時点で、まだ高1と中1の子供がいるのに「フルムーン」と呼ばれるのも何かしら悲しい気持ちがしないでもないが、JRから「ワイド周遊券」「ミニ周遊券」が消滅して以降、久しぶりに食指が動く。

ただし、もし使うことになるとしても、もちろん「あつこう」と一緒にということになるのであろう。

しかし、この企画切符、「あつこう」の家族旅行に便乗させてもらう場合、子供達の指定席券の座席番号と連番で予約することは可能なのだろうか?

「フルムーン」切符の企画本来の趣旨と大きく乖離することは間違いないが・・・

ガイドブック

2007年01月14日 14時43分41秒 | 旅行関係
実際のところ履行は困難であると思われるが、春休みの3日間を利用して、家族で沖縄旅行に行きたいと考えている。

昨日、割と分厚いガイドブックを購入した。
厚さの割りに値段が安いので、不思議に思いつつ、ろくに中身の確認もせずに購入し、自宅に持ち帰った。

我々が学生時代、国内旅行のガイドブックと言えば、ブルーガイドパック全盛の時代で、それにJTBが追随している時代であった。
 本に関しては、物持ちが良いほうなので、今でも当時のガイドブックが全て保管されているが、当時のガイドブックを開いてみると、企業宣伝の欄は、表紙裏と背表紙の表裏に、地元大手の宿泊施設や製菓会社などが掲載されていた程度で、後は観光施設の案内が殆どであった。

しかし、本日購入した、某社によるA4変形版のガイドブックを開いて驚いた。
300ページ近くのうち、およそ100ページ近くが宣伝。それも、出版社が紙面の企画として扱っているならまだしも、ベタの原色まがまがしい「ダイビングスクール」の宣伝が、延々と何十ページも続いている。
残りの出版社作成の情報にしても、「沖縄料理の店」か「ペンション」の紹介ばかりで、これらにしても、手放しで絶賛しているあたり、大小を握らされているようなヤラセえお感じを受けるような内容が殆どである。

純粋に観光施設等を紹介しているスペースは、1/10くらいしか無い。

昔、別の項で、インターネットが普及し、顧客と宿泊施設、交通機関の直取引が増加しても、善良な旅行代理店は存在続けうるといった内容を書いたことがある。

あのときは、旅行代理店がテーマであったが、こと旅行情報誌にいたっては、あるいは危機的な状況にあるのかも知れない。

宿泊施設に限らず、観光施設、飲食店などの情報は、すべてインターネットの「口コミ」により、タイムリーに入手が可能だからである。

観光施設においても、郷土を愛する有志により「穴場情報」が整備されている。

自分の趣向に合わせて、テーマを絞ってこれらの口コミ、穴場情報を検索し、プリントアウトしていけば、自分色のガイドブックが一冊出来上がってしまうというわけだ。

もちろん、インターネットには、営利目的の美人局的なガセネタも多く存在するであろう。

だからこそ、旅行情報誌においては、「金を出して買って良かった。」と思えるような、優良な情報の提供に徹底してもらいたい。

○○○町戦争

2007年01月08日 13時39分04秒 | お仕事関係
地元が舞台となる行政主導型の映画が2月に放映されます。
(あくまで自分個人の評価ですが、)第一作目が散々だったので、第二作目では同じ轍を踏むことの無いことを期待して、原作本を読んで見ました。

なんだこりゃ?というのが最初の感想でした
戦争に要する経費を一般会計予算から捻出出来ないので、特別会計予算を組むために腐心する話や、密偵(スパイ)を敵地に送り込む際に、旅費を支給する都合上、所定の経路を使わなければならない話など、行政関係の人が見れば面白い話かも知れないけれど、私には、単なる「楽屋オチ」のような気がしました。

また、フツーの主人公が、不思議な魅力を持つ年上の女性と出会い、彼女の導きにより、戦争をモチーフとした不思議な体験を積み重ねていくという話は、今から30年前に、松本零士氏著による「大純情くん」の中で、物野けじめが島岡さんと出会い、地球を機械化させていく行政局職員と戦う話に酷似している感じを受けました。

槙原の一件もありましたので、訴えられないことを祈ります。

以上。


休みが終わる。

2007年01月03日 18時31分28秒 | 家庭関係
正月休みも本日で終わり。
明日からは、再び生々しい日常が始まる。
この6日間、仕事の事を完全に頭から切り離して、リフレッシュさせてもらった。
スイッチを切り替えて、テンションの高い職場に再び、いざ出陣しよう。

本日は午前中、義母とともに、四国霊場52番札所太山寺に初詣。今年になって、4箇所目の初詣である。それぞれ宗旨も違うであろうし、食あたりしないかしら。
本堂近くの社務所で、長男の合格祈願を受ける。

この9ケ月、生来の性格によるものか、長男からは受験生としての緊張感が感じられなかった。
テレビのニュースで、目の色を変えて塾通いしている受験生の映像が映ると、少し不安な気持ちがよぎる。
 しかし、受験ノイローゼ等に陥ることなく、家庭が今までと全く変わらず平安無事であったことを有り難く思う。
 

年の初めに

2007年01月02日 16時40分52秒 | 家庭関係
実家の裏に山がある。
行政の行き過ぎた開発により、無残にも山頂には、ドイツの古城を模したという、円筒形の展望台や芝生の公園が整備され、昔日の面影は全く無くなってしまったが、少年時代には、格好の遊び場であった。

実家の両親、兄夫婦の家族と共に、南山麓にある神社に初詣に歩いていった。
帰途、私はふと神社の後ろの崖が山頂に続く秘密の道となっていたことを思い出し、二人の息子と一緒に登ることとした。

第二次世界大戦中の防空堆跡の上に両側から雑木が被い、数十メートルの緑のトンネルとなっている箇所は、幾分木の数が減っていたものの、今も残っていた。自分には幼少時代に通り慣れた道であったが、息子達には新鮮な経験であったらしく、帰宅後も体験談を興奮気味に妻に語ったという。

トンネルを抜けると、岩がむき出しの緩やかな崖に辿り着く。そこからは、松山市街が一望出来た。子供の頃には、遠足の折り、この安定の悪い岩に座り込んで、友達と一緒に弁当を食べたっけ。

更に登ってゆけば、山頂へと続く尾根伝いの道に到着するはずで有ったが、我々を迎えたのは、先述の円筒形展望台であった。

展望台前の広場では、あらぬ方向から現れ出でた男3人組を、家族連れが奇異な目で見ていた。