定年退職後の生き様

定年退職後、残された人生を如何に意味有るものに、しようかと悩んでいます。

「こう」の慶事

2014年07月26日 00時12分46秒 | 家庭関係
次男「こう」は、地元の私立短期大学に通っていたが、4年制大学への編入試験を受け、昨日、無事に合格通知が届いた。
試験前日頃にはかなりナーバスになっていたため、しばらくはリラックスして、そして二年後の就職を目指して頑張ってほしい。
もし、「こう」が短期大学を卒業して就職してくれたなら、私もその時期に合わせた「卒業」を夢想していたが、取りあえずこれも二年後以降に先送りとなった。

塩狩峠 2

2014年07月12日 21時20分22秒 | 旅行関係
最近「塩狩峠」を再読して感銘を受けた自分は、この夏、以下のとおり一人旅を敢行することを決定した。

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(一日目)
7:35 松山空港 発

JAL1782便

9:10 羽田空港 着
10:45 羽田空港 発

JAL1107便

12:25 旭川空港 着
13:00 旭川空港 発

旭川電気軌道(バス)

13:40 旭川駅 着

ーー旭川市内観光ーー
・三浦綾子文学館
・国際見本林 等々

18:00 旭川市内のホテル 着


(夕食・宿泊)

(二日目)

8:08 旭川 発

(宗谷本線) 323D

8:58 和寒 着
9:44 和寒 発

(宗谷本線) 名寄4号

9:57 塩狩 着

ーー塩狩峠記念館見学ーー

12:15 塩狩 発

(宗谷本線) 324D

12:58 旭川 着
13:14 旭川 発

(函館本線) オホーツク4号

14:45 札幌 着
15:10 札幌 発

(千歳線) エアポート150号

15:46 新千歳空港 着
17:00 新千歳空港 発

JAL518便

18:35 羽田空港 着
19:25 羽田空港 発

JAL1471便

20:55 松山空港 着

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もちろん、まだ妻には話してはいないが、人間が出来ている妻のことだから、恐らくNOとは言わまい。

もし、今年5月の中国夫婦旅行の時のように、「私も行こうか?」と言われたら・・・

もちろん、喜んで連れて行く。


塩狩峠

2014年07月06日 20時08分32秒 | 旅行関係
先週末、夫婦で「アナと雪の女王」の映画をみて、とても感動したことについては、既に触れた。
雪だるまオラフを初めとした登場人物の、「自己犠牲」の精神に感動した。

これに触発されて、今週末、12年振りくらいに、三浦綾子さんの「塩狩峠」を二日がかりで再読した。

私はクリスチャンでは無いし、聖書も読破したことは無いが、三浦さんの作品は、自分にとってバイブルとなっている。
妻がいない日曜日の昼下がり、グズグズになりながら読破した。

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その日、長野信夫は、婚約者であるふじ子の旭川の実家へ、名寄から国鉄で向かっていた。
列車が塩狩峠を越えようとしたとき、機関車と客車の連結が外れてしまう。
客車は狂ったように加速度を上げながら、名寄方面に疾走していく。
車両内では、何十人もの旅客が恐怖で半狂乱になっている。
敬虔なクリスチャンであり国鉄職員でもあった長野は、とっさにデッキに移動し、力を込めてハンドブレーキに手を掛ける。
少しずつ減速していく車両。
しかし、前に大きなカーブが長野の視界に入る。
このスピードでは脱線してしまう。
須臾、長野は車両前方に身を投げて散華した。
車両は、大きな異物を挟み込んだ感触で、一度ガタンと大きく揺れた後、カーブの直前で停車した。
長野の「自己犠牲」のお陰で、乗客全員が救われた・・・・

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この小説が事実に立脚していることを知って、更に感動した。


二年前に旭川市神楽にある三浦綾子さんの文学博物館に行った。

今年は宗谷本線の塩狩峠のすぐ近くにあるという、記念館に無性に行きたくなっている。


奥道後温泉の思い出

2014年07月05日 12時33分58秒 | 家庭関係
奥道後温泉が経営者が変わって新装オープンした。
子供の頃から行き慣れていたジャングル風呂がついに消滅した。

自分は妙にこのジャングル風呂がお気に入りで、昔に比べると建物も老朽化し、熱帯植物も随分と減ってしまっていたが、自分の子供たちを何回も連れて行ってやった。広い室内で、熱帯植物の繁みの中に、大小合わせて20個近い浴槽が配置されていた。子供たちは小さい頃、喜んで駆け回っていた。

自分が大学生の折には、帰郷している際に自宅を訪ねてきた友人に、松山の観光地として、道後温泉よりも先にこの奥道後温泉を案内していた。
東北地方出身の友人は、ジャングル風呂の広さに驚いていた。

さらに自分が子供の頃は、映画館やお化け屋敷、釣り堀まで併設されており、家族と夏の一日を楽しく過ごして、最後にジャングル風呂で汗を流して、家路に就いた。

新装奥道後温泉にも一度足を運んでみることにはなろうが、昔の総合レジャーセンターの頃のようなワクワク感は、もう味わえまい。