定年退職後の生き様

定年退職後、残された人生を如何に意味有るものに、しようかと悩んでいます。

イベント中止

2009年01月25日 13時16分42秒 | お仕事関係
夜明け前からの降雪により、本日の野外型イベントは中止された。
三か月以上の準備期間により手塩を掛けて育ててきたイベントだっただけに、中止への決断には勇気がいった。

今はとにかく脱力状態。

今の職場に在職出来る、あと2ケ月間、後任に迷惑が掛からないように、引き継ぎ文書の作成を準備していくこととしよう。

写真は、本日午前中のイベント会場付近の風景・・・

気を揉む。

2009年01月24日 10時12分50秒 | お仕事関係
明日、我々の会社で屋外イベントが開催予定であり、私がその実施責任者となっている。
悪天候ならば中止となる。

地域住民の方々にも参加いただく内容であるため、この一週間、天気予報の動向に非常に気を揉んでいた。
昨日、金曜日の時点で、余りに寒く悪天候である予報であることから(最低気温マイナス2度、降雨確率60パーセント)、部内では早めの中止連絡をしようという動きもあった。
ただし、若干寒波も緩みがちの傾向であったため、「最低気温0度以上、降雨、降雪が無いこと」を条件として、明日(すなわち当日)、午前6時現在の段階で、開催か中止の最終判断を下さなければならない。

午前10:00現在、寒さはともかく、青空の広がるイベント日和である。

さて、明日は・・・・・

覚悟

2009年01月18日 13時24分29秒 | お仕事関係
離職者対策として、我が支社において、派遣切りの憂き目に遭った2名の男性を雇用し、清掃業務等をお願いすることとなった。
二人とも好感の持てる男性で、寒い中業務に専念していただき、頭が下がる思いである。

彼らが寒空の現場で頑張っていただいている頃、会社の中では次元の低いセクショナリズムが紛糾していた。
先週末、急きょトップダウンで決まったこの事業において、まずは彼らの受け入れ先をどこにするかで、互いの部署で羽掛け合い「うちは足りています。」「必要ありません。」自分が現場でクレーム処理をして職場に戻ってきたら、いつの間にか「欠席裁判」により、自分たちの部署が管理する土地の清掃業務ということに決定していた。
それは、まだ良い。
彼らを雇用するに当たっての体制として、就業規則の制定や現場送迎車両の段取り等、いわゆる庶務業務が必要である。これらの内業の雑用に対しても、私たちが現場に出て不在の間にに、「現場業務ばかりでひまそうだ」という上司の判断により、私が作成することに決定していた。
現場で清掃してくれている方々が、一日も早く生活環境が改善出来るためならばと思い、何の文句も言わずに上司命令を粛々と履行はしているが、事務所の中には、自分たちの係よりも暇そうにしている人たちが、いくらでもいるではないか!

私は、ついに、ある覚悟(悲壮なる決意と言い換えても良い)を決めました。


一段落?

2009年01月17日 20時46分40秒 | 旅行関係
本日は、休日出勤することなく、土曜日を満喫することが出来た。
近くの本屋で重松清と佐藤多佳子の文庫本を購入し、コタツに転がりながら読破した。
重松清は、大学時代のクラスメートだったので「直木賞」を何かしら身近に感じていたが、このたび地元出身高校の一期上級生である天童荒太さんが直木賞を受賞したため、更に身近なものに感じられるようになった。
だからと言って、自分程度の文才で直木賞を語れる資格が有るとは思っていない。

携帯電話

2009年01月05日 22時13分25秒 | お仕事関係
年末年始の休暇中も、職務関係の各クライアント(一部クレーマーに近い方々もいる。)から色々な電話相談を受けた。
相手の懐に入り込む目的で、基本的に自分の携帯番号を公開してきたが、最近少し疲れてきた。休日はしっかりOFFにしたいという気持ちが随分と強くなってきた。

今年の3月で、今の職場から別の部署に転属する予定(→希望)である。
そのタイミングに合わせて、今までの3年間をリセットする気持ちを込め、携帯電話本体と電話番号を変えてしまおうかと思っている。

4月1日以降、今までの何百件もの回線がいきなり不通になってしまうなんて、想像しただけで、・・・・わくわくする。


頑張れ息子たち

2009年01月04日 19時19分35秒 | 家庭関係
息子たちは、夕食が終わると早々に、2階の勉強部屋へと上がっていった。
相変わらず昼間は全く勉強しないが、食事後勉強に上がる時間が少しずつ早くなってきていることが、受験が近付きつつあることを感じさせる。

長男は地元の大学には残らないと言う。
出来れば、なるべく近くにいれば良いとは思うが、親の感傷が子供の向学心の妨げになってはならない。

個人的な企みで、模試の際に、一時期は北国のH大学を第一志望に書かせていたが、最近はクラス担任の指導及び本人の志によるものであろうが、第6位まで記入出来る志望校欄に全く顔を出さなくなってしまった。

更に一時期は、愛読マンガの影響で、杜の都仙台市にあるTH大学を第一希望としていたが、今やそれも下位の方、桜前線とは逆の方向に、志望大学が少しずつ南下してきている。

学歴よりも、その仕事に対して自分の適性(もちろん後天的な意味も含めて)が有ることが一番大切なことである。
一流大学を卒業していても、本人のモチベーションが職場のベクトルと一致していないために、(はっきりと言うが)組織の一員としては既に腐ってしまっている人間を何人も見てきた。

大学はそれを見極めるためのモラトリアムであると考える程度でよいと思う。


初夢

2009年01月03日 16時51分36秒 | 家庭関係
第一幕 窓の無い、コンクリートの地肌むき出しの部屋にて 
部屋の中には、昔日本人で有ったという中年男性の看守と、着の身着のままでこの場所に連行された私の2名のみ。
連行された際に所持していたマンガ雑誌が私の横に何冊か転がっている。
看守「この本はいけない。検閲にひっかかる。ビリビリに破いて、ごみ箱に捨てておきなさい。」
看守は私を心から気遣ってくれているような気がしたので、彼の指示通り、怪しげなカラーグラビアも掲載された、その青年マンガ雑誌を両手で破り、部屋の隅のダストボックスに放り込んだ。
やがて、看守退場。カツカツと高い靴の足音を鳴らしながら、4人の教育係の女性が登場。テレビ報道番組によく出てくる、小太りした天然パーマのメガネをかけた君主を賛美する教育が延々と開始された・・・

第二幕 起伏の多い河口付近の砂浜の海岸。
日はかなり傾き、既に夕景となっていたが、その夕景を背景として黒いシルエットとなっている人口建築物の形態から、舞台が日本でないことは明らかであった。
自分と同じように強制連行された何十人もの人たちが、束の間の水遊びに興じている。しかし、脱走されないよう、四方では自動小銃を抱えた何人もの兵隊がを囲んでいた。


第三幕 第一幕と同じ部屋に私は横たわっていた。 自分が洗脳されつつあることを自覚していた。小太りした天然パーマのメガネ男は、いまや自分にとってほとんど神に近い存在となっていた。しかし、その時点では、まだわずかに本来の自己が残存しており、時々覚醒していた。
「悪い夢ならばさめてくれ・・・」私はうめいた。

夢から覚めた。
これが私の、平成21年の初夢である。
今年も余り期待出来そうにないなあ・・・


 

元旦

2009年01月01日 22時25分49秒 | お仕事関係
2009年がスタートした。
恐らくは、今の職場での勤務期間はあと3ケ月。
有終の美を飾れるよう、あとくされが無い様に仕事を片づけていきたい。
本日は、実家で暴飲暴食。すぐに精算をしなければなりません。

子どもたちは2階で勉強中。静かな居間である。

自分が子供の頃には、年末年始の何日間は、信念を持って全く勉強をしていなかったが、山のように宿題を出されているらしい。
昔のようにはいかないのだろう。
今年、あつこうは高校3年生と中学3年生。受験生となる。
自分の資質の範囲で、悔いの残らないよう精いっぱい頑張ってほしい。