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うっとうしい梅雨なのに、
この花は負けずに花をつけては、椿同様、ボタッと落ちる。
が、椿のような風情はない。
カズラ(蔦)の名の如く、他の植物に寄生するように絡みつくせいか。
空に向かって咲くという意味があるそうだが、
この写真はまるで、水面に写っているかのように見える構図である。
相方が、隣家人に「なんていう花ですか」聞くと、
「毎年咲くけど知らない」
いつの間にか、寄生したのだろう。
カメラ爺としては、写真の被写体になってくれるだけでうれしい。
この花は負けずに花をつけては、椿同様、ボタッと落ちる。
が、椿のような風情はない。
カズラ(蔦)の名の如く、他の植物に寄生するように絡みつくせいか。
空に向かって咲くという意味があるそうだが、
この写真はまるで、水面に写っているかのように見える構図である。
相方が、隣家人に「なんていう花ですか」聞くと、
「毎年咲くけど知らない」
いつの間にか、寄生したのだろう。
カメラ爺としては、写真の被写体になってくれるだけでうれしい。
6944はこれを逃げ水とみた。追いかけても追いかけても行きつけぬ夏の風物詩。蜃気楼のような人生に重ね合わせ納得した。
ところでノウゼンカズラ。爺は椿を思い出されたようである。ボタッと落ちる花に共通性を見出されたようだ。明治以前、お武家は椿を嫌ったと聞く。その花の終わりが切腹の最後に似たためとか。うなぎの割き方でも腹開きを不吉としたのだからありえるかも。
でも平安時代に中国から渡ってきたノウゼンカズラに同様の話は無い。
真夏の赤い花といえばサルベリも東西の横綱格だろう。この花花期がながく秋の遅くまで萎れつつも枝にしがみつく。
ノウゼンカズラを潔しと愛でるか、サルスベリ的生き方に共感をおぼえるか、とかく人の世は住みにくい、と漱石先生も嘆いておられる。
体重維持の話がありました。一昨日行ったゴルフ場でズボンを新調しました。「とかく人の世は・・・」。お笑いの上、ご推察ください。
ウェスト・サイズ・ストーリー。
推察します。
椿の花の話、切腹ではなく、首が落ちるにたとえたのでは?(これも幕末から明治にかけての流言だと)
うなぎのさばき方、関西は商人の町なので、腹を割って話す、という意味で腹から切るそうです。なるほどね。
サルスベリ(百日紅)みごとな当て字ですね。でも、この程度の木肌では猿は滑りません。
ところで、ひとつの花の花期が長いのではなく、一度咲いた後にまた新しい花芽がつくので、長い間咲いているように見えるのです。