昨日の午後、勝幡町のコミュニティーセンターで「平和のつどい」が行われました。ちょうど昼食時に「すいとんをたべよう!」という企画があり、小麦粉を水で解いて練った物を味噌汁に入れて固めたものです。70才近くの方は「戦後よく食べたものだ。」「こんないい味はしていなかった。わしらのとこは団子汁といっていた。」など思い出に花が咲いていました。戦後は特に食糧難で食べる米さえなく、アメリカから配給でもあったのでしょうか。こうしたすとんを食べて飢えを満たしていたのでしょうか。
私は戦後の21年生まれで、田舎にいた成果、サツマイモをよく食べた記憶はあるのですが、すいとんを食べた記憶はありませんでした。しかし、姉たちに聞くと「あんなまずいものをよく食べていた。もう食べたくない」と話していたのを思い出します。帰りにゴーヤの酢漬けと菊芋の粕漬けがおいしくてお土産に頂きました。
そのあと長崎で行われた原水協世界大会に愛西市から2名が参加して、10分ほど報告がありました。国連から事務局の方がパン事務総長の挨拶文を持って参加したことは、この運動が世界的に認められ、核兵器を世界からなくそうという運動に発展してきた証ではないでしょうか。私たち夫婦もこれからも地域で核兵器廃絶の署名運動を継続して、進めなくてはならないと強く思いました。