前に書いたことの続きを。話が飛びまくります。
「与えること」について触れました。今、我々は「与えること」が多くなりすぎていないかという部分。それは「教育」として「考える能力」を奪っているのではないか。「生きる力」を育てられていないのではないか。待っていたら「与えられる」という状況を創り出していないか。そう考えると今の教育スタンスが本当にそれでいいのかを考えさせられる。
「アクティブラーニング」という言葉がはあちこちで聞こえてくる。教育の中で「アクティブラーニング」をすることで学びが深まるという感じ。ある一定の法則に従って「自分たちの中で深めていく」という感じがあるのだと思う。勘違いしやすいのは「教えない」ことで「理解が深まる」という部分。「やってみなさい」とやれば自然と考えるようになり、物事に対する取り組みが変わってくるという間違った考えがないだろうか。「考えるための材料」があって初めて「考える」ことができる。「やってみなさい」から生み出されるものは「自分たちのやりやすい感覚」だけではないか。
「お膳立て」してまるで「生徒がやっている」ように思わせる場面がある。知らない人が見れば「生徒が積極的に活動している」とみる。が、実はそれまでに「教員」が「お膳立て」をして「言われたとおりにやる」ことで「自分たちがやっているように見える」というもの。これも実際問題は力はつかないと思っている。指示に従ってやっているだけだから。
補習をする。これも一般的に行われるのかもしれない。最近強く感じていることがある。「勉強しないから補習に参加して勉強をさせる」というもの。これは一定の成果を出すかもしれない。強制的に勉強する時間を創り出すことで「表面的な力」が上がったように見せることができるから。しかし、その「強制的に作られた時間」というのはその強制力から抜け出した時に結局やらなくなる。「一時的な成果」だけで終わってしまうことが多い。
「補習」をすれば成績が上がる。時には個人塾以上につきっきりで勉強をさせて成績を上げていく。これは本当に「教育」なのか。その場を乗り切るだけの話になっていないか。「テストでいい成績を取る」ことが「教育」なのか。もちろん、成績が悪いよりは良いほうが好まれる。当然の話。しかし、それ以前に「取り組みの姿勢」がきちんとなっていなければ将来的な力にはならないのではないか。
検定週間に入る。課題考査を実施して「○点以下は強制参加」というのが一般的なのかもしれない。が、今回はそれを辞めると宣言した。「補習はしない」という話をした。なんと無責任な話なのかと言われるかもしれない。それは甘んじて受け入れる。が、「検定週間の補習の時間は1時間必ず質問に答える」という条件を付けた。私はその1時間教室で待機している。そこで質問をしたり教えて欲しいと来るのは自由。最大限の対応をする。
「補習をしてくれない」という意見も出るだろう。「他のクラスは補習があるのになぜ補習をしないのか」と言われれるかもしれない。が、「必要があれば必ず質問に答える」という時間と場所を設定する。それを利用するかどうかは「本人次第」ではないか。本当に勉強をして検定に受かろうと思えばそれを利用すればいい。利用する「権利」は与えている。それを行使するかどうかは自分次第。
合格不合格に対して教員が「全責任を負う」必要はないと思っている。本人が望むのであれば「勉強をすればいい」だけの話。サポートを一切しないというわけではない。手助けは徹底的にやるし、質問には最大限応える。しかし、「分からないのに質問をしない」ことに対してこちらが「責任を負う」必要がどれだけあるのか。結局は「自己責任」ではないか。
教育現場では「失敗しないためにどうするか」を先回りして教えていく。上手くいかなったら生徒が嫌な思いをするのでそれを回避するために。そうやって「先回り」することで「結局はうまくいく」という感覚を持たないか。自分でやらなくても最終的には「何とかしてもらえる」という感覚を育てるのが教育ではない。
「与える」ことで教員は「自分は生徒のためにやってあげている」という感覚を持つことにならないか。自分自身を追い込んで「生徒のためにこんなに時間と労力を使っている」という自己陶酔ではないか。本当に必要な場面で生徒が「自ら行動を起こす」場面を奪っていないか。「質問するのは恥ずかしい」という生徒もいるだろう。しかし、それがこれから先もずっと通用するのだろうか。将来のために「本当に必要なこと」を自らできるようになっていかなければいけないのではないか。「質問する」とか「自分に必要なものを取捨選択する」という能力は大人になったからできるようになるわけではない。自分自身で身に付けていくしかない。
ノルマを増やせば嫌でもやるようになる。それは本当の力なのか。パターン学習のように「~になるのだから覚えておく」という「点を取るためだけ」のやりとりになる。それは別の場面では生きてこない。そこに対して我々はもっと責任を持つべきではないか。
補習をやらない。責任放棄かどうか。それを宣言して生徒がどう変わるか。自分のために動けるようになればそれは成長。それでもやらないのは如何ともし難い感じがある。「その気にさせる」というのが教育なのかもしれない。もちろん、そのための努力や工夫はする。ここは練習と同じではないか。これも生徒に話をしました。喉が渇いていない人に対して「美味しい飲み物」を差し出しても飲まない。「飲みたい」と思っていないのだから。
検定に受かりたいという気持ちがないのであれば「補習をする」という機会を与えたとしてもそれは「時間を過ごすだけ」にならないか。我々の仕事は「できるようになりたい」という気持ちを伸ばすことではないか。そういう「欲求」が生まれるために何をするのか。そこを考えたいと思っています。
そのな話をして授業を始める。グループワークでやるようにしていますが「活動」ができていた。そこに意味があるのではないかと。教え合いをしながら分からなければ私を呼ぶ。そうやって自分たちで学習をしていく。それが本当の意味での「学習」ではないのか。勝手ですがそう思っています。
私自身も「生き方」を考えたいと思います。真剣に。与えることだけを求められるのは絶対に違う。そう思います。
先週の合宿が終わり振り返りをする。この中で様々なことを考えました。やっていることの検討。本当にこのままでいいのか。改善点はないか。
合宿の内容を。もうここまで来たら何の話か分からなくなっていますが。基本的には「書きたいことを書く」というblogなので許してもらいたいなと思っています。かなり「マニアック」な内容になっているので「そこまで興味がない」と感じる方は読み飛ばしてください。本当に。
練習の中で「縦の動き」「地面に大きな力を加える」「力を逃がさない」という部分を重視してやっていきました。途中、スイッチングやスキップをやって「力の方向を変える」という部分も実施。1日目の午後は「加速段階の動き」もやっていきました。数歩だけですが。セミナーパークのタータンは硬い。あまり走るとダメージが大きすぎて怪我をしてしまう危険性があると感じています。ここで走る量は最低限にしないなと。「日本一硬いタータン」ではないかという話でした。記録が出るという話ではなく単純に硬化しているだけなのですが・・・。
ひたすら反発系の動きをやっていって2日目の午後は少しだけ(?)走る。タータンでは反発がもらいやすい状況になります。そうであれば意図的に「反発がもらえない」状況を作り出していくことで「反発がもらえる」時との「差」が明確になると思っています。セミナーパークの利点は「坂道があること」です。タイヤ引きでもいいと思いますが明らかに数が足りなくります。待ち時間が長くなると勿体ない。坂は便利です。
反発系の練習をして「走り」の中に「反発」を感じやすい状況を作る。その後、意図的に坂道に行く。そうなると進まなくなります。芝生の坂ですからやはり反発は弱い。そうなると「どうすれば速く走れるか」を身体が探るようになると思っています。片足スキップを40-55-70で2本ずつ。進まない中でどうするのか。間の動きが遅ければやはり走りが作れません。切り替える部分がきちんとできるかどうか。終わってから「パワーポジション」からのバウンディング。これは40m程度。最後に40-55-70を4本-3本-2本。競争形式に。
終わってからはすぐにタータンに戻っての走り。60mを3本としました。本当は5本くらい走れるといいのかなという感じもありましたが。16時終了を予定していたので本数を増やすとそれが果たせなくなる。見ていると本数を重ねるごとに走りが良くなってきました。芝生の坂道では反発がもらえません。そうなると本当は「接地」の部分を意識しして走らないといけない。膝の引き出しで進んでいく感覚が必要になるのです。坂道を走る効果はこの辺りにあると思っています。「競争」をするだけで速くなるわけではない。ここも理解してもらいたいところかなと感じていました。
「反発」とか「縦の動き」とかを意識できるというのはひょっとしたら一部の選手だけなのかもしれないなと思っています。特別意識しなくてもできる選手というのはいると思います。しかし、大半の選手はそうではない。以前から考えている「準備段階」を「走りに落とし込む」というのが必要になる。「準備段階」と「走練習」では意識する部分が異なってくると思っています。ここは非常に表現が難しいのですが。
実際に走るときに「足首を固定する」という意識を持って走ることができるのか。「足首」は地面に力を伝える道具であってそこを意識することで「大きな力を生み出すことはできなくなります。「膝関節」も同様かなと。あくまで「大きな力を生み出す」のは体幹であって末端になればなるほど意識すべきではないと考えています。「足首でのキック」を意識して進むというのは本来的にやりたいことではありません。
「反発をもらう」ことを意識して走る。それが本当にできるのか。様々なことをやる中で「結果」として「反発をもらっている」のであって「反発をもらう」ことがメインではない。ここは指導する中でこちらも忘れないようにしなければいけないなと思っています。「固定」や「反発」などはあくまで「速く走る」ための要因であってそれができたらすぐに速くなるわけではない。「道具」としての意味合いが強い。ここをはき違えると効果はなくなっていくのかなと感じています。
「道具」として使うのであればそこは「無駄に動かないほうがいい」と思っています。地面に力を加えるための「道具」が「脚」だと思っています。これは「地面に大きな力を伝える」という言葉通り「接地局面」においてです。実際は「接地」した瞬間に「道具」の役割は終えています。「固定」すべきは接地したその瞬間以外に必要ない。接地後にずっと固定していたら走り自体が作れなくなります。実際、接地した瞬間以後は足首は反っていきます。走動作の中でずっと「足首を固定する」というのではない。
「膝関節」などは顕著だと思います。「接地した瞬間」に固定され、それ以後は素早く屈曲していきます。瞬間的に固定できればそこから膝が進展して「地面を押す」という感じにはならないのではないか。「膝関節」のみでとらえるのではなく「重心移動」を伴っていて「腰」が水平方向に進んでいく中で「膝関節」がどのように動いていくのかを考えるべきだと思っています。「局所的なもののとらえ方」ではない。
「台ジャンプ」や「台ドロップ」だけを見ると「固定し続ける」というイメージになるのかもしれません。これはあくまで「道具」を作るための「準備」だと思っています。こうやってまとめていく中で「選手へ伝える言葉」も気を付けなければいけないな感じています。「固定」という言葉が独り歩きしてしまうのは避けたい。
余談になるかもしれませんが。「台ジャンプ」や「台ドロップ」をするときに「グー」と「パー」の話をしています。接地した瞬間は「グー」です。接地局面以外は「パー」です。力を入れるところと抜くところのイメージとして「グー」と「パー」を使っています。実際に走るときにそれがどれだけできるのかはわかりません。が、「準備動作」の中でそういう意識づけをしておきたいのです。実際に走るときには「重心移動」や「膝の引き出し」に意識をおく。これは今までの練習と同じなのです。
表現が非常に難しい。これって読んでいて意味が分かるのでしょうか(笑)。完全に自己陶酔かもしれません。が、頭の中のイメージでは「固定」「固める」「反発」は「準備」として練習に取り入れるという部分があります。実際に走るときにそれが「自動化」されるように「体に覚えこませる」という感じでしょうか。走るときには「末端」には意識を置かない。ゆっくりした動きや補強などの「意識しやすい」レベルのときにやっておくことが必要だと思っています。
何の話だ?!もうすでに「哲学」のような状況になっています(笑)。
まとまりなく書いています。まー読んで面白いのかどうか。私には判断しかねます。私的に面白いことであっても他の人には面白くないだろうし。誰かに迎合した記事を書くという気にもなれず。何から何まで他者に合わせて生きていくのは不可能。性格的なものがあると思いますが。
とりあえず続きを。ほとんど合宿の話は関係なくなっている気がしますが・・・。
前の記事で「縦の動き」の話を書きました。地面から力をもらうためにどうするかという話。大きな力を加えるためには「上から下」のイメージが必要になるのではないかと考えています。スプリント時の「脚の動き」も「上から下」の縦の動きでなければいけない。そう考えると「膝から下の振り出し」は不要です。意識的に振り出すことはハムストリングの故障にもつながるのでやるべきではないと思っています。前の記事とつながる部分ですが、振り出すことで接地ポジションが身体の前になりそこに対して反対方向の「反力」が生まれます。その反力を打ち消そうとすればどこかに無理が来る。
10秒00の日本記録。この動きは「特別」だと思っています。リラックスして膝から下が前方向に振り出されていますがその後、接地局面では身体の真下でとらえるくらいになっています。そしてフォロースイングが遅れない。だから推進力が生まれている。この動きを真似してできる可能性はほぼ0だと思っています。だからやりません。
力を加える。そのために「縦の動き」が必要だと思います。が、縦の動きをしたとしても接地した瞬間にその「力」が消え去ってしまうことがある。これが「力を逃がさない」という考えだと思っています。これまでこの局面で「体幹を締める」ことが大切だと思っていました。接地した瞬間に体幹が締まることで力を逃がさない。これが「固める」という感覚につながっていくのではないかなと。
とりあえず図を載せておきます。左側と右側の違い。これは明らかだと思います。
よく説明するときに用いる話です。体操競技。これは着地してからフィニッシュの姿勢を作るときに「その場にとどまる」ということが重要になります。着地してから動いてしまったら減点になるからです。そのため左の図のように着地した瞬間に「足首」や「膝」でその衝撃を逃がします。逃がさなければ地面からの反力によってその場に止まれないからです。「足首」や「膝」を使って力を逃がすことでその場に止まることができる。
スプリントはどうか。「止まる」のではなく「進む」ことが求められます。そうであれば「力を逃がさない」という部分が必要になります。「足首」や「膝」が曲がってしまえばそこで力を逃がすことになります。地面に大きな力を加えたとしても「力を逃がす」ことで意味がなくなっていく。ここに関しては「当然の話」だと思っています。
これまでその話をしてきました。が、この1か月の取り組みは少し違います。もちろん「力を逃がさない」という部分は必須です。ここは絶対にはずせません。しかし、走る動作の中で「体幹を締める」とか「足首」「膝」を固定するという意識がどれだけできるのだろうかという大いなる疑問が生まれました。これも当然の話です。意識して接地する瞬間に「固める」というのができるか。複雑な動きをする中で「関節の固定」を意識することができるようになるのか。指導の中では「緩めない」という言葉を使ってきましたが実際問題走るときにその動きができる可能性は低かったのではないかなと感じています。
そうであれば「走る前までに固定する意識を作り出す」という部分が必要になるのではないか。「走る」ことはそれ以外の部分ができた「結果」ではないか。「縦の動き」をしっかりとやって「地面に大きな力を加える」ことができ、「力を逃がさない」状況になれば自然に地面から大きな力をもらうことができそれを推進力に変えることができる。「前に進む」ことをひたすら考えて動くのではなく「結果として進む」という部分があるのではないか。複合的な動きを統合するためには「意識」している部分を「無意識」にできるようにならなければいけない。そこまで徹底してやらなければいけないのではないか。
「縦の動き」をしながら「力を逃がさない」という練習をやるようにしました。今回の合宿も一番のテーマはそこでした。走るだけではない。私が勝手にやりたいことをやっているので他の指導者がどのように感じているのかは気になるところですが・・・。台を使った練習をかなりやりました。道具を使うのでキャパが小さくなります。台を使って重心移動の練習をしたり、乗せる感覚を作る。乗るときに「積極的に接地」するのではなく「自然に落ちてくる」という感覚を作る。さらにそれができれば「接地した瞬間」のイメージを作る。関節を固定して「力を逃がさない」という動きをする。
台ジャンプなどは徹底的にやりました。台からドロップしたときに「その場に止まる」ようにしています。「縦の動き」をやりながら「接地」したらその場に止まる。かなりの負荷になります。筋力が不足する選手はここで「固める」ことができません。感覚が鋭くても必要な筋力がなければその衝撃に耐えられないのです。大臀筋や中臀筋は「接地した瞬間」に必要になってくると考えています。この部分を鍛えていないと地面からの反力に耐えられない。そうなると「足首」や「膝」を緩めて力を逃がすことになる。
接地した瞬間に「関節を固定する」というのを走る練習以外で徹底していこうと考えています。この部分は重心移動が小さいので意識しやすい。着いた瞬間に「固める」という部分は必要になります。台ジャンプや台ドロップで徹底します。この練習中にkrkくんが「この練習はハマります」と言っていました。これまで「無意識」にやっていたのではないかなと感じました。速い選手というのはやはりある一定の「感覚」が優れている。意識してやっていなくても自然にその動きをしている。だから速い。krkくんもmakinoもこの「固める」というイメージがすぐにできました。共通する部分なのではないかという感じがあります。
速い動きをするとこの部分ができなくなります。ここは「膝締め」の動きにもつながるのですが。「膝締め」ができなければ「縦の動き」ができないと思っています。そうなると「前段階」で作った動きが走りにつながりません。「縦の動き」と「地面に大きな力を加える」に「力を逃がさない」という要素を加えてやっていく。ここはあくまで「走りに必要な要素」であってそれができたから走れるわけではない。この部分を「走りに落とし込む」という作業が必要だと思っています。もも上げなどをすると顕著になります。「膝締め」と「直線的な動き」ができない選手は「縦の動き」ができないのです。回転運動をしてしまうので「掃くような接地」になりやすい。「足首」の固定もできないのでつま先接地になります。さらに悪くなる。
このあたりのことはまた別に書きたいと思っています。今回やった練習の振り返りとしては「縦の動き」を走りに落とし込んでいく部分が必須だからです。また書きます。たぶん。
というか、これって面白いですか?私が好き勝手に書いているだけなので興味がない人にとっては苦痛だと思います。文字だけでは伝わりにくいと思って先日「技術的なミーティング」で使った資料から図ももってきました。しかし、それで「理解につながる」かどうかは別問題です。そしてこれが「面白い」と感じられるかも別問題。どうなんでしょうか。
続きを。面白い記事にはならないと思いますが。やったことをまとめておきたいと思っています。
「足首」を固定すること。この部分と「関節の固定」について触れました。そこから段階を追いながら「固める」という部分をやっていく。1日目の午前中は本当にこれだけをやった感じでした。「力を逃がさない」というテーマ。それが自分でやっていると「できている」と思い込んでしまう部分が出てきます。意図的にペアワークをさせました。パワーポジションを作る。その時に本当に力が逃げていないのかを確認する。自分ではできていると思っていてもペアワークにするとすぐにわかります。その場でジャンプしてパワーポジションを作る。着地した瞬間に肩を押さえてやると「逃げている」選手は動きます。つぶれるというか。上から押さえている選手もそれが分かります。
動きが変わらない選手の特徴は「自分はできている」と思っています。単独でやらせているとそれが「できたつもり」のままでやっていくので先に進みません。練習は段階だと思っています。何のためにやっているのか。それができているのかどうか。ここが分かるようにならなければやっていても効果はありません。動きをしているときに常に下を向く選手もいます。指摘すると「できているか見ているだけです」という返答。目で見る話ではない。何度か指摘しましたが同じことを言うのでそれ以後は指摘するのをやめました。「改善しよう」と思えば言われたことに対して素直にならなければいけない。正当化する必要性はない。それが分からないようであればこちらから指導する必要はないかなと。
冷たいかも知れません。前から書いていますが「断舎利」をしようと思っています。私自身が持っているエネルギーには限界があります。すべての部分に力を使うと本当に使うべきところに力が持っていけません。そこに関して「全員をきちんとしたい」という部分が少なからずありました。しかし、これでは何がメインかわからなくなる。「すべてに平等に与える」という聖人君子になればいいのかもしれません。が、もうそれはいいのかなと。「本当にやりたい」「強くなりたい」と思っている者だけに与える。そのなにが悪いのか。「不平等」だといわれるのかもしれません。好きに言ってください。「きちんとやる」者に対してそれに応える。
で、話を戻して。ある程度の基礎的なことをやってから「力の伝え方」についてやっていきました。これは「作用反作用」の関係から考えられます。どのように地面に力を加えていけばいいのか。ここを理解する必要があると思っています。「接地」に関してどれだけの人が興味関心を持っているのかわかりません。少し話になりましたが10秒00の日本記録が出た時には「膝から下を振り出す」という話が出ました。また、同時期に「フラット接地」という話が出ました。これはトップ選手が「自分はフラット接地を心掛けている」と言ったのでそれが大きく取り上げられました。
これは前の記事にも重なる部分があります。足首を固定する。その状態で重心が前に進んでいけば自然に「足の前側」で接地することになります。「母指球で接地する」というのが広く言われています。それにより「つま先から接地する」ということが正しいという感じがありました。それによりつま先が下がって接地することになる。足首を固定していたら「結果」として母子球側から接地することになるのです。それを表現したのが「フラット」という言葉ではないかなと思っています。表面的な言葉だけでその局面をとらえるのではない。そう考えています。
地面に力を加えようと思えば「縦の動き」が一番だと思っています。これは表現が難しいのですが。前の進もうとしてジャンプする。前方向に跳ぶと接地した瞬間、それに対する抵抗がかかります。
前に進もうとして台から降りるときに前の降りると「赤矢印」のような力がかかる。「前方向に進む」ことを考えることで「前に進まないための力」が加わることになります。これはスプリント局面でいうと「前接地」と同じだと思います。前に進みたいけどその逆方向の力が加わってしまうのでスピードが落ちる。「地面への力の伝え方」と「地面に大きな力を加える」という部分だと思います。ここの物理的な話を無視して練習をしても効果は上がらないのではないかと考えています。いまさらという話もありますが。
しっかりと地面に力を加えてそれを推進力に変えていく。きちんと反発をもらって前に進むための力にしなければいけない。そのために何をするかだと思っています。上記の図の「赤矢印」のような力が働けば後ろ方向に巣進む形になります。そこでいったん力を打ち消して反対方向への力を生み出す必要がある。だから地面をけるような動きになるのだと思っています。はっきり言って不要な力を使っているのです。上述の図のようなドロップの仕方では「その場に止まる」ということは困難になります。後ろ方向に進もうとする力に対抗するために本来必要な「固定」ではない形で止まらなければいけないからです。
めちゃくちゃ分かりにくいでしょうか・・・。この図のようなドロップの仕方では「地面に大きな力を加える」こともできませんし、推進力を生み出すこともできない。「前に進もうとしている」ことが実際はマイナスの力を生み出すことになっているのだと思っています。
そうであればどうするのか。ここで「縦の動き」の話になります。「上から下」に力を加える。垂直に力を加えることでその反発をストレートにもらうことができると思っています。
台から降りるときに「前方向」ではなく「上」に浮く感覚で降りる。そうすると「重力」が働くので垂直に落ちていく感じになります。真上に投げたものはそのまま垂直に落ちてくるイメージですね。そうすると地面から返ってくる反力の方向は当然「垂直方向」になります。この図での「赤矢印」となる。そうすれば力を打ち消すことなくストレートに反力が返ってくることになります。「上から下」というのはこの部分を示しています。
垂直に「上から下」の力を加えることができればそのまま真っ直ぐの力が返ってきます。打ち消さないことで間違いなく地面に大きな力を加えることができるのです。「縦の動き」と「地面に大きな力を加える」ことは同じ部分につながっていきます。まずはこうやって大きな力を地面に加えなければ進む力は生まれない。
前に進むことを考える。それによりいつの間にか「作用反作用」の関係を度外視してしまうのではないか。正直、こんなことを考えなくても「速い者は速い」のです。技術的な話をするまでもなく速い。そして意識しなくても必要な動きができる。そんなものだと思っています。しかし、今目の前にいる選手はずいぶん違います。そこに対してのアプローチをどのようにしていくのか。そう考えた時に「縦の動き」を徹底する必要があると感じました。
これと同時に「力を逃がさない」という話が生まれてくるのですが。ここはまた別に書かないと大変なことになるので。「縦の動き」をすることで「地面反力」をもらいやすくなります。正確にいうと「地面に大きな力を加えることができるようになる」だけなのですが。この部分が忘れ去られて「足運び」だとか「重心移動」だとかだけ話をしても結局根本的な部分が変わらないと思います。「なぜ縦の動きが必要なのか」だと思っています。
マニアックな話になっています。合宿でやった内容を踏まえながらもう少し書いていきたいと思います。また書きます。たぶん。ここで書くのをやめたら非常に面白いと思います。気になった人にとっては「続きを言えよ」となるでしょうから(笑)。まー良いんです。気が向いたら・・・。
合宿のことを。多少なりとやったことを記録しておきたいと思っています。それが何の意味があるのかは別として。
今回の合宿は年末の合同練習会の続きというか「再確認」という意味合いが自分の中では強くありました。これまでやってきたことを少しずつ走りに生かしていく。落とし込んでいく。この形の練習がどの程度他の人に受け入れられるかわかりませんが。感覚を作るための練習という部分と「固める」ための準備をします。通常の練習スタイルとは違うのでこの手の合宿でやるのはどうなのかなという感じはありますが・・・。
練習としては前から書いていますが「縦の動き」「地面に大きな力を加える」「力を逃がさない」「力の方向を変える」という要素を「練習の中に入れ込む」という感じでいます。そのために何をするか。4回練習ができるのでこの時間を有効につかって「目的とする動き」を作りたいなと思っていました。多分、この手の練習を徹底するというのはなかなかないと思います。時間の関係が一番大きいと思いますが。一つのことに時間をかけてやっていくというのは難しい。
最初の段階で「大臀筋」「中臀筋」に刺激を入れる動きを。これも正確性が問われます。どこでもやっているような練習ですが「正確にやる」ことで必要な刺激が入ります。走っているときにその部分を使いなさいといってもやはり無理だと思います。予備負荷をかけることで「自然と力が入る」状況を作り出す必要がある。体幹トレーニング云々が言われますがそれが何を目的として存在するのかを考えていきたいと思います。
前の記事にも書きましたが「足首の固定」という部分。これが基礎だと思います。これが「できる」ということからスタートする。よく言われますが「速い選手は足首が硬い」というのがあります。立った状態からしゃがもうとすると足首が硬いので座れない。これは先天的に「硬い」のかもしれません。足首が緩まないので接地のポジションが良くなったり力を逃がさないという部分が自然とできる。が、そうではない選手に対してどのようにアプローチするのかは考えないといけません。足首が緩むと接地が悪くなりますしつぶれることになるので力が逃げる。自然にできないのであれば徹底して「意識する」ことで「自動化」する必要があります。ここは本当に時間がかかります。
「足首を固定したほうが楽なのに」というkrkくんの話。意識して固定しているのか無意識に固定しているのかは分かりません。彼の走りに関する意識の部分はずば抜けていると思っています。結局、地面に力を加えてそこから反発をもらうことを考えれば「固定」しているほうがもらいやすい。簡単な話です。「足首を固定する」という指導はどこでもするのかもしれません。しかし、その意味合いをきちんとわからなければいけない。「固定しろ」というだけでは必要性が分からないので緩みます。何をするときにも「足首の固定」は必須。補強をするときにも同様にやっていく必要があると思います。ここは本当にしつこく話をしました。
動き始める前に「固定する」という話も。人数が少ないからできる部分があります。ペアワークで「逃げている時」と「逃げていない時」の「違い」を身体で感じ取る必要があると思っています。本来的にはその部分に時間を使いたいのですがその前段階ができていなければ「やっていることの意味がない」と思います。「やるだけ」の練習になってしまう。狙いがあってそこに対してのアプローチが正確でなければ理解できない。
補強と固定を組み合わせながらやっていきました。「トンパ」をやる。その時に「逃げている」と「逃げていない」を感じさせる。「練習負荷を高める」というのは必要だと思います。が、「きついことをやるのが良い練習だ」という考えはありません。強い負荷を加えるだけで「満足する」というのではなく「走りに落とし込む」ための練習負荷になってもらいたいと思っています。
いきなり「固定」のための練習をするのは難しいと思っています。ある程度の準備段階が必要。「固定する」ことがなぜ必要なのかも理解したい。「意識してやる」というのは簡単ではありません。明確な「差」が出るからです。簡単な例を。うちの選手で未だにT字バランスが正確にできない者がいます。合同練習などでT字バランスを教えると2日目の後半でできるようになっている者が増えます。「正確にやろう」という意識をもって2日間やるだけで明らかに動きが変わります。が、「できている」と思って何となくやっているので8か月経過しても「基礎的なもの」ができません。足首の固定にもつながっていきます。
「普通の選手」をどうやって「速く走れるようにするか」が大きなテーマです。「速い者が速い」というのだけではなくこういう部分を考えていくことが「楽しさ」の一つだと思っています。が、そのためには「速く走れるようになりたい」と本気で思ってもらわなければいけません。「練習をしたから速くなるだろう」というだけでは足りないのです。いつ果たせるのかわからないことを求めても意味がないのです。明確に答えを導き出したいなと思えばやはり「意識する」ことができるようにならなければいけない。ここは「強い選手」にはわからないと思いますね。
力を逃がさないことの必要性が分かれば「固定しよう」という意識が生まれます。感覚が鈍い選手もいると思います。だからこそ「逃げている」「逃げていない」という違いを理解する必要がある。頭で理解するのではなく「身体」で感じ取る必要があるのです。ここは必須。やってみて「違い」が分からなければ練習自体が正しいかどうかは分からないからです。
本当に根本的な部分から始めました。人数が少ないからできることだと思っています。増えるとできない。そしてこの手の練習を徹底するということの大変さ。ここを感じながらやっていきました。練習のベースになる部分を理解してもらうために時間をかけました。良いことかどうかは分かりませんが。
また書きます。