どれだけ更新するのかは微妙なところですが。記録として残しておきたいなと思う部分はあります。
全国的に「最強寒波」が来ました。激寒です。通勤に1時間10分以上かかります。高速道路を使えないので常に下道でこの時間。流石に疲労感があります。高速道路の1時間とは全く違うんです。多くのストレスを感じていますが。
今回の寒波の影響で「通勤困難」になるなという感じがありました。木曜日は完全に諦めて息子の家に泊まろうと考えていました。息子が入院して不在のため単独で宿泊になるという感じでした。息子の許可を得て宿泊道具を持って自宅を出る。が、職場の近くまで来て「そういえば鍵がない」ことに気づく・・・。最低です。このタイミングで同僚から連絡があり「舎監を変わってもらえないか」とのこと。ラッキーです(笑)。
前任校で雪が降ってかなり交通状況が悪くなったことがあります。自宅を5時くらいに出て8時前後に到着するという状況でした。通常30~40分かかる場所にありましたから多くのストレス。今回は通常で1時間以上かかる場所に職場があるので、半端なく時間がかかる予想がされていました。舎監になったおかげでそれを回避できる。朝散歩をしていましたが6時過ぎの時点ですでに車が多くなっていました。案の定、その日は2キロ進むのに40分かかったと。宿泊していなかったらどうなっていたことか。
更に金曜日も天候不順。回復すると期待していましたが全くダメ。打ち合わせで娘の家に宿泊してもいいという流れになっていたようです。個人的には娘の家に泊まるのはちょっと・・・。本人と連絡を取りながら話を進めましたが、やはり娘の家に泊まるのは気が引けるので湯田に宿泊することに。今は割引があるのでそれを利用して格安で宿泊できました。クーポンも3000円分もらえたのでこうなると「無料」で宿泊したくらいの話になります。クーポンは使うタイミングがなかったので娘に渡しました。宿泊当日と翌日しか使えないので。娘の食費に消えていきました(笑)。
こうなると本当に不便だなと思います。通勤時間が長すぎる。万が一渋滞に巻き込まれたら半端なくストレスを感じることになると思います。今のところそれを避けて活動できていますが、今後どのようになるのか分かりません。せめて「高速通勤」を認めてもらえれば多少なりと違ってくるのでしょうが。
元々の条件が「高速通勤ができる」という話でした。完全にやられた感があります。仕方ないといわれたらそれまでですが、やはり「おかしい」気はします。教員になる人が少ない。これは「魅力」がなくなっているからだと思います。滅私奉公。これが当たり前になっていて「生徒のためにやるのは当たり前」と考えられています。個人を犠牲にして働くのが教員の仕事だと思われる。
なんかかなり理不尽な気持ちになったので木曜日と金曜日は「年休」をとりました。もちろん、仕事はします。が、ほとんど年休が取れない状況で余ることになります。これを買い取ってくれるわけでもない。実際に授業などもあるので「休む」ということも難しい。意味は全くないのですがそれに対する「反抗」という意味で「年休」にしました。
ネットニュースに「生徒の皆勤」について書かれていました。コロナの影響で少しの発熱で「出席停止」になります。あくまで「出席停止」なので「休み」ではありません。何日休んでも「出席停止」の扱いなので20日休んでも「皆勤賞」がもらえることになります。これって意味ある??という感じですね。その記事には「教員がアイドルのコンサートに行くために年休を取る」というのは「あり?」という感じでも書かれていました。別に年休を取って休むのだから問題ないと思います。たとえ話が「アイドルのコンサート」というのが微妙なところです。別に「アイドルのコンサートに行くから休みます」と公言する必要はないと思いますが(笑)。しかし、これは「問題ない」という話です。誰かに何かを言われる筋合いはない。これまでの「職場環境」であれば「生徒が授業を受けているのに休んでコンサートに行くというのは不謹慎だ」と言われていたと思います。今でもそうでしょう。しかし、これは「権利」であって誰かに何かを言われる筋合いはない。
「ラーメンを食べに行く」のは「良い年休」で「コンサートに行く」のは「悪い年休」なのか。それって完全に「毒されている」と思います。同じ「年休」なのでどう使うは人それぞれなのではないか。そこに対して他者が「あいつは休んで遊びに行っている」と批判するのは間違っている。でも、実際はそんな雰囲気があるのだと思います。「教員憎し」という人もいるでしょうから。
こうなると「生徒が休む」ことに対して「出席を促す」ことがこれから先必要になるのか。クラスで少し話をしましたが、結局は「自己責任」だと思います。休んで遊びに行く。これは「怠学」と言われる。きちんとやることをやらないことに対して「罰」が与えられます。が、これから先それがどれだけの「拘束力」を持つのか。義務教育とは少し違うのかなという気もしています。高校生が「やりたくない」と思って勉強をしない、学校を休むのであればそれは最終的に「自己責任」でいいのではないか。その代わり、「学校推薦」の時に「この生徒は自信をもって薦めることができない」という理由で「推薦をしない」という判断もできるようにする。それくらいの変革があってもいいのではないかなと思っています。これは個人的な考えですが。
何でもかんでも「学校の責任」とされるのは違う。そして教員にとって「自分の時間」が認められないのも違う。過剰労働があっても「生徒のため」と言われて正当化される。どう考えても「無駄」なことも、「生徒のため」と言われて実行される。本当に「生徒のため」ですかね?自分自身が「やってあげている」という満足感を得るためにやっている部分がないでしょうか。これはどこの職場にもあることだと思っています。「やりがい搾取」という部分はどこにでもある。それを「おかしい」と批判すると「あいつは・・・」と逆の批判が入る。
閉鎖的な社会だと思います。これは学校現場だけではなく多くの場面で。コロナの影響で多くの活動が変わってきました。それで「成り立っていた」にも関わらず、また「元に戻そう」とする風潮が見られる。時代は変わる。「流行」があるのです。「不易」だと思っていたことは、自分達の「思い込み」だったという部分も多くあると思っています。「古き良き時代」という部分。今は現状に即していないことも多々あるのかなと。
何の話か全く分からなくなりましたが(笑)。良いんです。書きたいことを記しておきます。