kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

自分のために

2017-10-23 | 陸上競技
土曜日。雨予報だったので急遽練習計画を変更。前日確認をすると午前中は大雨だったので金曜日に走練習を行って土曜日は学内に引きこもろうかと。前日も2時間あるかないかの練習。土曜日はそれなりかなと思っていました。タータンの上での練習を計画していましたが実施できず。これはこれで仕方ないかなと。

が、朝から曇り。雨は降りませんでした。グランドでは他の部が試合をしていたので可能な限り屋外でやることに。ハンドコートを使っての練習としました。この時に微妙な感じがありました。ここ最近「取り組みの姿勢」についてはできる限り言わないようにしようと思っていました。すべては自分のことなので言う必要はないかなと。が、日傘がハードルの下に置き去りにされ破れかけていたり、荷物を運ぶのに軽いモノだけしか持っていなかったり・・・。どうなのかな、と。

ずっと思っていました。自分自身が「やりたくないな」と思うことをひたすらやるのは「苦痛」でしかない。その感覚。誰のためにやるのか。しかし、「基本的なこと」を度外視してまでやるのは明らかに違う。意味がありません。練習開始時に少しだけ話をしました。上級生がひたすら荷物を運ぶのは違うと思います。自ら動くというのも不足する。こういう状況で私が我慢しながらやればいいのか。違うと思います。私自身が「練習を見るのが楽しい」と思えなければやる意味はない。義務として強要されるものではないから。

こういう話をすると意気消沈して雰囲気が悪くなります。「あの時にこんな言い方をされた」とかいう批判合戦になる。周りを見て自分よりもきちんとできていない者を見つけて「やっていない」と批判するようになる。結局そこからは何も生み出さないのに。集団であればその手のことも生じるのだと思います。

が、本当に大切なのはなにか。自分自身が強くなることです。他者批判をしていて自分がよくなるわけではない。自分のほうがきちんとやっているという部分をアピールしてもそれは「本質的な意味」にはならないのです。ここは大きいと思います。本当にやりたいのは誰なのか?やっていない者を批判し続けても自分が強くなるわけではない。「自分のために」という感覚が欠落していたら成長はないと思います。

勧誘の時期です。うちの練習が云々というのはほとんど知られていないと思います。閉鎖的な県ですから「権威」や「伝統」に弱い。実際に勧誘に行って他校の批判はしないと決めています。正確な情報を提供するという意味では必要なのかもしれません。中学生にはその情報を得る手段がないからです。どのような指導を受けていて入学した選手がどのように成長しているのか。これはなかなか分かりにくい。もっといえば「そんな情報は必要ない」と思う保護者もいるのかもしれません。そんな時に「他校批判」をしても意味がないかなと。

私にできることは「自分自身のところをよりよくする」ということだけです。他者批判をして自分の指導力が上がるわけではない。他校批判をしてうちの選手が強くなるわけではない。他校がどのようなスタイルで指導をしていてもそれは自分自身の「指導力」には一切影響しないのです。メニューを与えて自主的に考えながらやる。そのスタイルでもいいという人はいるでしょう。私は現場で選手の動きを見ながら改善していくスタイル。メニューだけ与えてやっていてそのうち強くなるというのでは「時間の浪費」です。私自身の考え方としては「指導できないのであれば勧誘するべきではない」と思っています。責任を持ってやるしかないから。

チーム内で「できていない」部分を陰で指摘してもそれで自分自身の競技力が上がるわけではない。もちろん、指摘する必要はあると思いますが「末端の話」をしている時間があればもっと「強くなるためにどうするか」を考える必要があると思います。親しい指導者と話をしたときに「競技に対して興味を持っているか」という内容がありました。興味がないものは「とりあえずやる」というスタンスになる。これは仕方ないのかなと。こちらは競技に意識を向ける努力をする必要があるのか?実際はこちらが何をやっても関係ないのかもしれない。スイッチが入って「何が何でも」という気持ちにならなければ進まないから。

練習の中で「全力でやる者」がいる。「適度にやる者」もいる。それが集団なのかもしれません。その時に「全力でやる者」が「適度にやる者」を「もっと真剣にやれよ」と諭してもきっと何も伝わらない。別に求められていないのだから。価値観が異なれば「共通の感覚」ではないので全く先には進まないと思います。互いにイライラするだけ。

勧誘の話しであれば「集めてくること」に主眼を置く場合と「来た選手を育てる」ことに主眼多く場合、どれだけ議論しても平行線のままだともいます。「価値観」が違うのだから。

「自分のためにやる」という感覚。他者がどうであれ関係ない。本当に自分自身が強くなりたいと願うのであれば「まずは自分がやること」が必要だと思います。その感覚が生まれてくれば選手は勝手に強くなる。その時に指導者としてサポートできるかどうかだと。

こんな記事ばかりで面白くないですね。思うことがある。これだけは確かです。練習に関して「悪い」とは思いません。良い練習ができているのかなという感覚はある。が、それだけではない。現実社会で生きることはblogに文字を書くことやPC環境の中で起きている事実とは大きく異なるのです。

とりあえず記しておきます。

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