ヘロヘロではありましたが図書室で借りた本を読みました。先日から伊坂幸太郎さんの書籍を読んでいます。その流れの中で。素人なので時系列ではなく本棚にあるものを無作為に手に取って読み始めるという形です。
伊坂さんの作品には前の作品の登場人物がゲスト出演するというような流れがあるというのも知らず。無知は罪。とはいえ手に取ったのが「死神の浮力」でした。
読んでみるとこれは「死神の精度」という短編集?の続編とのこと。先に読んでおなければいけない作品があった。が、後日図書室に行くとその本はない(笑)あーということで本屋で文庫本を購入しました。
表紙のイメージが全く違います。ネット上に本来の表紙があったので載せておきます。
先に「死神の浮力」を読んでしまっていたので何か書く前に「死神の精度」を読んでからでないとダメだなと思っていたので。
人は誰も「最後」を迎える。その中でどのような「感情」があるのかというだけではない話です。大抵この手の話であれば「死神」が出てきて登場人物と関わっていく中で生き方が劇的に変わっていって「新しい自分」に気づき前向きに生きていく。「死神」本来の仕事である「最後」を与えることなく去っていくというようなパターンのものが多い。
が、この作品の「死神」は基本「先送り」と「可」の選択肢の中で「可」を選ぶ。何もしないと自然に「可」になるという形です。先に「死神の浮力」を読んでいたのでよく分かっていない部分もありましたが。
「死神の精度」は優れた作品だと感じました。最後に「え?」と2箇所思わされる部分が。そういう流れになるとは思っていなかったので。人にはそれぞれ背景があって、悔いること、もっとやりたいと思うことがある。だからといって「先延ばし」にならない。後のことは自分で想像するしかないという場面が多くあります。「恋愛と死神」の部分に関しては本当に苦しくなる感じがありました。この部分だけは始まってすぐに「最後」があってそこから逆に話が進んでいくというものでした。
「死神の浮力」。これはとにかく惹きつけられました。サイコパス。その人に向き合う時に人はどんな感情を抱くのか。他人の人生をゲームのように支配する。絶望を与えることに喜びを感じる。どう立ち向かうのか。複数の「死神」が出てきて途中、私の中で「え?まじか?」と思う部分がありました。そこからは想像力を働かせながらどんな展開になるのかを考えながら読んでいきました。
とにかく印象に残っている言葉。「寛容は不寛容に対して不寛容になるべきか」というもの。分かりにくいので意訳。「良い人は悪い人に対して許さずに悪い行為をしても良いか」というものです。大抵、「嫌な事をする」人の行為が勝ってしまう。こういう時に酷い目にあうのは「良い人」です。「良い人」は「良い人」が故に「悪い人」に騙されます。だから今度は「良い人」が「悪い人」に対して「許さずにやり返す」ことに関してどうか?という投げかけ。
「死神の浮力」はまさにそこが話の中心だからです。考えさせられらなが読むことができました。
また、「その日を摘め」という言葉も。普通の人がある事で自分以外の「最後」な事を考え始め不安で自分が保てなくなる。自分自身の「最後」ではなく大切な人の「最後」を考える耐えられない。その中出会った言葉が「その日を摘め」という言葉。ローマの詩人の言葉。紀元前1世紀の人の言葉です。調べてみたら本当にその時代の言葉でした。「今この瞬間を楽しめ」とか「今という時間を大切に使え」という感じの意味。
「不安」抱えるだけではない。誰にも分からない先のことを考えるよりも目の前のことを楽しめば良いじゃないかという言葉にもとらえられます。ここも考えさせられました。場当たり的な生き方をしなさいという話ではないと思います。その時その時が楽しければ良いというのではない。言葉だけをみると「瞬間的なこと」を最優先するという感じかもしれません。が、考えても仕方ないことをひたすら考え続けてたどうにもならないという捉え方をすれば、だから今目の前にあることをしっかりやろうという部分に置き換えられます。何が正解か分かりませんが。
話が飛び飛びになっていますが、どちらも非常に良かった。作家さんが何ヶ月もかけて生み出した作品を僅かばかりのお金で読ませてもらうというのも申し訳ない気持ちになります。とにかく作品に触れることで考えさせられるものがあります。
あえて作品の中身にはほぼ触れずに書いています。機会があれば作品に触れてみてもらいたいです。
ぼちぼちやっていきます。