kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

考えさせられる

2019-04-23 | 陸上競技
今回の支部大会、数名入賞しましたがこちらが考えているものとは随分異なる結果でした。力を出し切れない。その感覚がすごくありました。
 
 
練習に関して大きな失敗をしているとは思えませんでした。流れの中でかなり動きは変化してきました。走り自体は良くなっていると感じています。それは私の「走りを見る目」が鈍っているだけなのかもしれないというだけなのかもしれませんが。手応えはありましたし、本人たちも感覚が良くなっている。それと試合での結果の差は大きいなと。
 
 
リレーに関してはアンカーを変更するだけで0.6秒上がることになります。とはいえそれくらいのタイムで走ってもとても太刀打ちできない。その明確な原因が分からなければ先には進めないと考えていました。
 
 
この数年間、力のある選手がいてくれました。そこに合わせてメニューを作っていた部分があります。毎年毎年洗練されていく。必要なメニューを取捨選択しながら。その中でいくつかの必要な要素を切り捨てているのではないかと一人で考えました。誰かと話をしながら気づくというのではなく1人引きこもりながら考える。
 
 
その要因の一つ。ある一定水準の競技力になった時、確実に練習量が減ってきていた。前任校では上手く言いくるめて走らせていました。走る量は今の倍はあったでしょうか。この数年間は明らかに減っていました。走練習を嫌がる傾向があったというのもあります。これは私の甘さだと思います。以前であれば有無をいわさず走っていた。今は選手の表情を見ながらそこに合わせていくいう部分が少なからずありました。
 
 
最大でも120を2本。そんな感じの走練習になっていました。時としてそれくらいで良いのかもしれない。しかし、本来的な動きが維持できるための基礎ができていない。これは精神的な部分にも繋がると思います。自信を持てるだけの走練習ができていなかったのではないか。走りが変わったが、それを維持するだけの部分が足りない。スピード持続にも繋がるのかもしれません。ここが足りない。長い距離を走る気はさらさらありませんが、やはりある一定量の走練習は必要なんだと思います。
 
 
動きが変わっていくのは指導する側としては面白さを感じます。やりたい動きを身につけていくことで走り自体が明らかに変化する。技術的な要素は指導者としてはやりがいを感じます。「走り込みで走りを作るのではない」という視点で考えている部分はあります。しかし、それが極端に減ってきているという部分がある。環境を言い訳にしている部分もあると思います。走れないから仕方ないと私自身が言い訳を作っていたのではないか。
 
 
本当に私の指導が明らかに間違っているという可能性もあるのかもしれません。そうであれば指導から距離を置くべきなのかもしれないなと思っています。方向性が間違っている。それは選手に申し訳ないですから。何も考えずに走る練習をしているだけで強くなることだってある。私自身は全員に納得できる形で結果を残してもらいたい。「力がないから」という言い訳はしたくない。必ず走れるようになる。そう考えています。
 
 
もどかしさがあります。量が減ったという要因以上にレースに影響している要因があると思っています。そこに関してはまた別に書きます。少しずつ頭を整理したいと思います。すみません。
コメント
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