kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

強くなるための練習をしたい

2017-09-05 | 陸上競技
月曜日。とにかく疲労が抜けません。日曜日はとにかく休むようにしましたが回復した感じは全くなく。精神的にもかなり重い状況でした。blogを見てくださっている方にはご心配をおかけするかもしれません。私が倒れたら「仕方ないな」と思ってください(笑)。結構追い詰められています。

朝の段階で少しだけ話をしました。様子を見てきて「変化がない」と感じたり「積極的に練習に参加できていない」と感じる者もいます。さらにはちょっと許容できない部分もある。その辺りのことを話しました。「気分で指導するな」と言われたことがあります。まー見る人から見たらそうなのでしょう。本当にどのような「想い」で話をしているのかはなかなか伝わりません。仕方ない部分。それでも話をし続けてきました。

今回はさすがに目に余るなと。これまでかなり我慢してきましたが限界。「強くなるための練習をしたい」と思っています。夏休み中に県内の高校の指導者のニュースが全国で流れました。極論のような話だったので結構騒がれていましたね。実際、その現場にいないと分からないこともたくさんあると思います。「自主性に任せる」という言葉。自分たちで練習を計画してやる。これは傍から見ると「すごいことだ」と思われる。が、実際全てのことを「自主性」に任せていたら「できない」選手にとっては「何もやらない」で終わってしまう。そうならないようにある程度のイニシアティブを指導する側が持つ必要はあるでしょう。

「練習に参加する」ことが当たり前になってしまっている。無意識に練習に参加して何気なく身体を動かして帰宅する。これがルーティンのようになっている。上述の指導者の意見は「強制的にやらせることでしか分からない」というような感じでした。学校の雰囲気もあるでしょう。そこまでして試合で勝つことが必要なのかという話にはなると思いますが。親しい指導者は「やる気のないやつにかかわる時間はもったいない」と断言します。まー強くなりたいと思っている人間にサポートするほうが効率がいいですからね。我々も貴重な時間を使っているわけですから当然あり得る話だと思っています。

先日からちょっと「信じられないな」と思うことがいくつかありました。そのことも含めてこちらも考えないといけないと思っています。グランドで「競技力向上のための指導」をしたいと思うのは許されない時代になっているのかもしれない。部活動は「お世話」をする時間となり「それぞれが身体を動かしたい程度にやる」という感覚になるのかもしれない。そうなるとクラブチームのほうが効率よく強化できるなと思います。

いまでこそですが2年生女子、1年生の時は本当に大変でした。とにかく怒られることが多い。冬には他校と合同練習して片付けが終わっていないのに勝手に帰っているというのもありました。いや、どれだけ自己中心的なんだという話。繰り返し繰り返し指導してきました。今ではずいぶん変わってきましたがまだまだです。

競技力があってもそれに見合うだけの行動が取れない。ここは改善の余地がある。競技力が高くなくても一生懸命に物事に取り組めるのであればそれは大きな価値があると思います。現状から少しでも強くなろうとする感覚があればいい。そう思っています。競技力が高くて県で入賞できるから特別扱いというのは絶対にありえません。当然の話ですが。

他者に攻撃的な発言をしたり事実とは異なることを話すというのは良いことではないと思っています。そういう部分も含めて「考える必要がある」と思っています。何でもかんでも練習すればいいという話ではない。「やりたいからやる」というのでは先日のジャズバンドの中学生と同じだと思います。これは賛否両論ありました。が、あれだけ集団の輪を乱すような行為は決して許されるものではない。ある一定のルールの中で活動をするのであれば「自分さえ良ければいい」という話にはならないのです。

演奏したい。自分を認めてもらいたい。だから周囲の制止を振り切って演奏を続ける。ありなのか?これも価値観という部分で済まされるのか。違う気がしますね。個人レッスンでやっているのであればいいでしょうが、集団の中で何かをやるというのであれば「個性」云々で済まされる話ではないと思っています。

何の話なのか分からなくなってきましたね。まーとにかく「強くなるための練習」がしたいのです。競技に関しての話をしながら一つ一つの動きに関して流れに関して確認作業を行う。これができるかどうかは大きなことだと思っています。そこに至らないのは何故なのか。

私があることに関して話をする。それを「きちんと聞いて理解する者」と「とりあえず聞いているだけの者」と「聞いていない者」に分かれる。聞いていない者に対してどれだけ言っても聞いていないのだから意味はなくなります。それで何を求めるのか。同じことを何度も何度も言わなければいけなくなる。というか、言っても聞いていないのだから何一つ生産性のない話になる。当然の出来事ですね。

何人か練習参加を見合わせるようにしました。「権利を奪った」と言われるかもしれません。が、本当の意味で自分で何が問題なのかを考えなければどれだけ練習をしても先には進まないからです。練習をしなければいけないのは当然。が、もっともっと大切なことがある。

自分の考えに従って活動をしています。この手のことを書くと批判の対象になるのかもしれません。1億総批評家時代ですから。まーそれでも書いていきたいなと思います・・・。

まとまらない。うーん。どうなんだ。
コメント
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