kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

待つ

2016-01-16 | 陸上競技
最近のblogには比較的書きたい事を書いています。少しずつですがやりたい事が出来るようになってきたという感覚もあります。目指すところはここではないのでまだまだやらないといけない事はたくさんあるのですが。

見ていると「もどかしく感じること」がたくさんあります。もっとこうやった方が上手くいくのに、と。最初の段階では何度も何度も指摘はします。が、ある程度の所まで来たら言わない方が良いのかなと考えています。それでも言う方だと思いますが(笑)。

競技をする。それだけに限らず「主体性を持つ」ことは大切だと思っています。ここ最近は特に我々のような仕事でさえ「サービス業」として捉えられます。学校に来てくださった生徒様に嫌な思いをさせないように至れり尽くせりの活動を提供する。生徒がやりやすい環境を整え、「勉強をしてもらう」「不満を抱かないような生活をしてもらう」という風潮がある。それをマスコミや保護者が助長する。こういう状況ではやってもらうのが当たり前という雰囲気になる。当然の話です。「主体性を持つ」ことを求めながらもやっている事は真反対。社会全体が「他者が自分のためにやるのは当たり前」という感じがある。

「誰かが何かをしてくれる」という感覚。これが間違いなく主体性を育てる阻害要因となっている。様々な場面でそれを感じます。自分自身で工夫して何かをやろうという考え方を持てない。決まっている事はできる。そこから発展しない。世の中で一番楽なのは「言われた事だけをやる」のとです。特段自分では考えず、先生や上司から「これをやりなさい」と言われた事だけを忠実にやっておけば一先ず大きな問題にはならない。怒られる事もない。だから考えなくなる。

細かい指示を出す。最初の段階では絶対に必要だと思います。やり方が分からないのに「なんでできないのか」と問うのはあまりにも酷ですから。しかし、ある程度の基本路線を示してからは「工夫する」事や「自分で何をするべきか考える」ことが必要になる。いつまでも「お膳立て」してあげる事が本人達の成長を阻害しているという事に気付かないといけない。

簡単な話。ペアで補強をしなさい、ペアでチューブダッシュをしなさいという指示を出す。が、奇数になりペアワークができない。その時どうするのか?待っていて誰かが声をかけてくれるのを待つ。「奇数になったから~しなさい」と指示が出るのを待つ。または出来ないから他の人のやっているのを見る。ここに「主体性」は存在しません。

痛みがあってできない練習がある。その時に他の人がやっているのを見ている。「時間は有限」です。他の人が練習をしているのを見ているだけで何か自分の動きが変わるのであればそれも一つ。しかし、それだけではない。その動きの代わりになる事をきちんと考えて待つ時間を別の形の動きで補う。待っていて指導者が「大丈夫か?~をやった方が良いんじゃないか?」と声をかけてもらうのを待つようでは絶対に成長はないと思っています。

考えさせながらやる。簡単な事ではありません、指示に従って言われた事だけをやる事に慣れてしまっている人にとってはそれはかなりのストレス。何かやって違ったら指摘を受けるからです。その時との時に周りを見て、物事の流れを感じ取りながらやる。それが出来るようになる事はきっとこれから先の人生に大きなプラスになると思っています。繰り返しになりますが「最初からそんな事は求めていない」のです。ある一定水準にならなければその意味さえも分からないから。分からない人間にどれだけ力説してもやっぱり分かりません。

私がどのようなやり方でやっていくか。これも分かりにくい部分だと思います。きちんとした指導というのは「技術指導」だけではない。それ以外の事もやらないといけない。まー当然の話です。分かってもらいにくい部分だと思いますが。

上手くまとまりません。適当に読み飛ばしてください。
コメント
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