こういう仕事をしていると「体が歪んでいるので」という言葉をお客さんから聞くことがあります。
骨が歪んでいるので私はどこそこが痛くなるのだ。
という論法なわけですね。
たとえば。
おうちの中で小指をガツーンと打ちつけたとき。
とてもじゃないけど、まっすぐには立っていられません。
だからといって、そのときに骨盤矯正をしてもらっても、やっぱりまっすぐには立てないと思うのです。
つまり、「歪むから痛くなる」こともあれば「痛いから歪む」こともあると思うのですよ。
痛いからまっすぐには立てない。ね?思い当たるふしがあるでしょ?
そうなると整体のやり方としては「歪みを治せ」ではなく「まず痛みを取る。そうしたら歪みは自然と縮小される」という視点に立つこともアリなのだ、ということ。
面白いでしょう。
さて、次回は「人体を建物になぞらえると」の予定。「あっ、確かに」という内容を目指しています。
こうご期待です。
骨が歪んでいるので私はどこそこが痛くなるのだ。
という論法なわけですね。
たとえば。
おうちの中で小指をガツーンと打ちつけたとき。
とてもじゃないけど、まっすぐには立っていられません。
だからといって、そのときに骨盤矯正をしてもらっても、やっぱりまっすぐには立てないと思うのです。
つまり、「歪むから痛くなる」こともあれば「痛いから歪む」こともあると思うのですよ。
痛いからまっすぐには立てない。ね?思い当たるふしがあるでしょ?
そうなると整体のやり方としては「歪みを治せ」ではなく「まず痛みを取る。そうしたら歪みは自然と縮小される」という視点に立つこともアリなのだ、ということ。
面白いでしょう。
さて、次回は「人体を建物になぞらえると」の予定。「あっ、確かに」という内容を目指しています。
こうご期待です。