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煙突

 少し前に流行った言葉、「工場萌え」。「コンビナートや工場の、夜間照明や煙突・配管・タンク群の、マッシヴな「構造美」を愛でること」らしいが、私はそんな嗜好がよく分からなかった。だが、最近ダムのすごさに目覚め、無機的なものがもつ押しつけがましくない美しさに惹かれるようになって来た。そしてさらに「煙突」の造形美も気になり始めたから、「煙突萌え」の境地に近づいてきたのかもしれない。
 とは言え、私が「煙突」に興味を持つのは、ただのノスタルジーかもしれない。遥か昔の子供の頃の記憶につながる「煙突」・・。子供の頃、林立して絶えず黒煙を吹き上げていた「煙突」、白濁した川とともにわが町の繁栄の象徴でもあった「煙突」。だが、今はもう市内にほとんど見当たらない。昔は当たり前すぎて何の感興も催さなかったのに、姿が見えなくなると懐かしくて仕方がなくなる。まだ何処かに残っていないか、少しばかり必死になって探したところ、かろうじて妻の実家近くに2本立っているのを見つけた。


 まだ薪や石炭で陶器を焼いていた頃にはずいぶん活躍したであろう「煙突」も今ではもうほとんど使われていないのだろう。右の煙突など上の方で折れている。


 燃料が重油やガスに代わるにつれ、煙突が不要になったと事情通の妻は教えてくれたが、私が子供の頃には、まだ黒煙に混じった煤が庭に干してある洗濯物に絡み付いて母が困っていたのを覚えている。あれほど汚かった川が今ではメダカが住めるほど浄化されたのと軌を一にしているのだろうが、町がきれいになった嬉しさと、昔を懐かしむ縁が無くなったのを寂しがる気持ちとが交錯してしまうのは、私がもう旧世代に属している何よりの証左かもしれない。


 たとえ中折れしていても、下から見上げるとなかなかの威容だ。他の陶器の産地の煙突はレンガでしっかり作られているそうだが、わが町の煙突の多くは筒を重ねて作り、外側を金属のフレームで囲んで支えるようなタイプであるため、残しておくのが難しいようだ。文化財として呑気に残しておけるほどの余裕のある陶器屋などないというのが実情だろうが、それも世の流れなら仕方のないことであろう・・。
 だが、もう一本見つけた。


 車を運転しているときに見つけたものだから、慌てて車内から写真を撮った。小さな煙突だが、町中にあるのは珍しい。

 これからも煙突を見つけたら写真に撮ってここ貼り付けていこう。



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