goo

「闘論」

 いささか旧聞に属するが、5月21日付けの毎日新聞朝刊に『「親学」は必要か』というテーマで、「夜回り先生」と呼ばれる水谷修と「ヤンキー先生」と呼ばれる義家弘介の両氏が、それぞれの見解を述べた「闘論」を掲載していた。「親学」というのは、政府の教育再生会議が親に向けた「子育て指針に関する提言」を発表するというので賛否両論渦巻き、発表が先送りされたいわくつきのものである。年金問題が発覚して以来、「教育再生」が参議院議員選挙の争点ではなくなってしまったようだが、教育問題はこの国の将来を左右する重大な問題であるから、あだやおろそかにしてはならない。
 不良少年から高校教師となった義家がどういう経緯で「教育再生会議」の担当室長になったのか詳しくは知らないが、政府の代弁者として熱弁を振るっているのは面白い。彼の意見の要点は、
 
 ・「親学」は親の育児への介入ではなく、応援だ。
 ・私は幼少期に明治生まれの祖父母に古い童謡を教えてもらったが、祖父母から愛された思い出として心に残り、非行から立ち直るよすがの一つになった。
 ・「自分がされて嫌なこと、悲しいことを人にしてはいけない」という基本的な道徳を子どもに教える必要がある。
 ・現代社会で必要な知恵を、全国の親が教師、地域の人たちと一緒になって学ぶことができれば、子育てに関する悩みは軽くなる。
 
 さすがに先週土曜日に参院選に自民党からの立候補を表明しただけあって、政府の思惑通りの模範解答を述べている。非行から立ち直ったことを売りにしているが、今の政府におもねって非行少年をなくせると思っているのだろうか。「自民党の中から自民党を変える」などという世迷言を彼も信じているのだろうか。不良少年の気概という物が全く感じられない凡庸な提言である。
 一方の水谷は日本で子育てが難しくなっているのは、「国全体にゆとりがなくなり、イライラをためこんだ社会になっていることが最大の原因だ」という論拠に立って、次のような意見を述べている。
 
 ・政府がこれまでの失政を認め、学校や家庭にゆとりが生まれるような政策を打ち出さない限り、子育て環境は改善しない。
 ・「親学」は母乳や子守歌による育児を推奨しているが、家庭がゆとりを失っているからできなくなったのではないか。
 ・政府がやるべきことをせず、親に責任を押し付けるような発想に満ちている。
 ・倫理は言葉では学べない。大人が一人の人間として、自分の生き方を子どもに見せることでしか伝わらない。

 水谷の考えは、夜の街にたむろする若者たちの現状を痛いほど知っているからこその意見であろうが、少々極論過ぎるのではないかと、彼の言葉を聞くたびにいつも思う。私が毎日接している普通の(夜の街を徘徊などしていない)生徒たちは、それほどイラついてはいない。キレやすいとか、自己中心的であるとか、大人をナメているとか、腹の立つことはしょっちゅうだが、だからと言って、社会の歪を子どもたちが全て体現しているわけではないと思う。子どもは子どもとして悩みながらもそれぞれ一生懸命頑張っているのではないだろうか。その中にはドロップアウトして水谷のような人に救いを求めたりする者もいるだろうが、大部分はそれなりに楽しくやっているような気がする。水谷の行動はとても私などには真似のできない立派な行為であり、心から敬意を表しているが、ダークサイドから見た考えばかりでは違和感をもってしまう。
 だが、水谷が夜の街から救い上げた若者たちが日の当たる社会に戻って、ごく普通の社会人として生活したらどうなるのだろう。その代表的な例が義家であろうが、水谷が自らの信念に従って救った(と彼が信じている)若者が、己を非行へと追い込んだ国・政府のお先棒を担ぐような真似をし、さらにはその中枢に食い込もう選挙戦に立候補しようとしているのは、何とも言えないアイロニーに満ちた図である。それは、自らの信じる世界観を若者たちに押し付ける宗教団体のような行為を水谷がしていない証拠でもあり、ひたすら善意に満ちた行動の結果でもあるから、水谷自身も覚悟の上でのことかもしれない。
 
 国が陣頭指揮をとってあれこれ指図することに碌なものはないから、私としては水谷の考えに賛意を表するが、なかなか考えさせられる新聞記事であった。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする