JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

2022年浄土宗京都教区特別大公開を見てきました②

2023-01-07 | 御朱印めぐり
2022年10月の「浄土宗京都教区特別大公開」の続きです。

上徳寺からさらに近くにある新善光寺に行ってみましょう。

このように大公開の旗が目印です。入口が分かりにくいのでこの旗が有り難いです。

新善光寺は603年に奈良で法相宗のお寺として創建されたとされます。泉涌寺の塔頭である新善光寺とは異なるお寺です。

1109年に堀川松原に再興され、奈良より阿弥陀如来像が移されています。その後何度も移転し、1569年に足利義昭から寺領を受け、浄土宗に改宗しています。さらに1591年に秀吉の命で現在地に移転しています。

こちらも幕末の「どんどん焼け」で焼失し、その後本堂が再建されています。こちらも本堂に上がれないものの扉を開けて本尊を公開しています。

新善光寺の御朱印です。


お昼は地下鉄で今出川駅まで行ってタイ料理の「イーサン」でガパオライスです。

タイ人のコックさんが作っているので本格的なタイ料理を味わえます。税込み1,000円です。


締めは午後から公開の長香寺に行ってみましょう。

高倉松原下ルにありますので四条駅の南改札を出て数分です。高倉通といえば大丸を思い出してしましますが(四条高倉)、このあたりの高倉通はご覧の通りごく普通の京都らしい狭い路地です。

長香寺は1608年に徳川家康の側室於古茶の方の発願で創建されています。於古茶の方は家康の次男である結城秀康の母親です。秀康は秀吉の養子に出され、のち結城氏の養子に出されており、徳川家の家督を継ぐことはできず、越前福井藩主となっています。秀康の家系はのちに松平を名乗ることを許されますが、子の松平忠直が幕府の処遇に反抗し流刑となり、忠直の弟の忠昌が福井藩を引き継いでいます。

その後京都大工頭を務める中井家の菩提寺となりますが、中井家の娘が将軍吉宗の母親であったことから幕府の援助を受けるようになっています。

こちらも「どんどん焼け」で焼失、明治初期の1869年に有隣小学校に敷地の一部を提供し現在に至っています。

長香寺の御朱印です。於古茶の方の印が押されています。


今回はここまで。2年間開催されなかっただけに今年の開催も危ぶまれましたが、何とか開催され次につなげる形ができたように思います。

今回の御朱印情報です(御朱印料は特記ない限り300円)。
九品寺  1種を本堂で授与。
本覚寺  1種を庫裏で授与。
上徳寺  1種を庫裏で授与。
新善光寺 1種を庫裏で授与。無料。
長香寺  1種を本堂で授与。
今回はいずれも書き置き対応でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする