JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

3/1~3鹿児島県徳之島ほか移動

2024-02-28 | 移動運用予定
以下の日程で鹿児島県から移動運用を行いますのでご案内します。
以下にて最終のご案内と致しますが、金~土曜は現地雨の予報が出ています。雨の時間帯のQRVは行いませんのでよろしくお願いします。


(1)大島郡天城町[徳之島]移動(JCG:46005)
 日時:3/1(金)11:00頃~12:00頃
 場所:天城町内からQRVの予定です。
 バンド:18MHz帯(SSB)

(2)大島郡伊仙町[徳之島]移動(JCG:46005)
 日時:3/1(金)15:30頃~17:00頃
 場所:伊仙町内からQRVの予定です。
 バンド:7MHz帯(SSB)

(3)大島郡徳之島町[徳之島]移動(JCG:46005)
 日時:3/2(土)08:30頃~11:30頃
 場所:徳之島町内からQRVの予定です。
 バンド:7/18MHz帯(SSB)

(4)日置市移動(JCC:4617)
 日時:3/3(日)08:30頃~11:15頃
 場所:日置市内からQRVの予定です。
 バンド:7/18MHz帯(SSB)
  
 
[※お願い事項]
・移動運用の詳細についてはこちら、QSLについてはこちらをご覧下さい。

・荒天の場合は中止もしくは一部時間帯の運用を取りやめます。

・現地からのご連絡はX(Twitter)で行います。X(Twitter)は[@JF4CAD4]です。
 2016年12月よりIDを変更しておりますのでご注意ください。
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太宰府御朱印巡り②

2024-02-27 | 御朱印めぐり
太宰府の御朱印巡り、後半です。帰り道で梅ヶ枝餅を引き替えて太宰府駅に戻り、お隣の五条駅に向かいましょう。

五条駅付近が太宰府市の中心で、徒歩圏には西鉄ストアや市役所があります。少し歩くと観世音寺があります。

観世音寺は746年に天智天皇の勅命で創建された寺院です。天智天皇が母の斉明天皇の菩提を弔うために創建したのですが、造営は遅々として進まず、斉明天皇が亡くなったのが661年ですから約80年かかってようやく完成しています。その後弘法大師空海が唐からの帰国後滞在したり、源氏物語の中でも触れられる九州を代表するお寺でしたが、1064年に火災に遭い、さらに1102年に台風被害を受けるなどで建物が次々と倒壊します。現存する仏像はこの時期に再製されたものとされています。

秀吉の九州平定の際に秀吉を立腹させる事件があって領地を取り上げられて荒廃し、1630年に金堂が倒壊してお堂がない状態となりましたが、黒田家などの援助により金堂と本堂が再建され現在も残されています。

明治になって東大寺の末寺から離れて華厳宗から天台宗のお寺となり、1959年には仏像を守るため鉄筋コンクリート製の宝蔵が完成、仏像はこちらに移されています。

こちらが宝蔵です。「九州の地方の寺の宝物なんて大したことないだろう」と思ったら大間違いで、京都でもなかなか見ない高さ5m前後の大きな仏像が並んでいます。観世音寺の仏像のうち18体が国の重要文化財に指定されており、その多くを一度に見ることができます。これは圧巻です。

観世音寺の御朱印です。なお観世音寺の宝蔵は「太宰府散策きっぷ」を買うと一緒にもらえるクーポンで団体料金になります。


観世音寺のすぐお隣が戒壇院です。

764年に聖武天皇により創建されています。元々は観世音寺の一部であり、唐から渡来した鑑真が753年にこの地で初の授戒を行っており、以後奈良の東大寺、下野の薬師寺と並んで全国で3ヵ所しかない戒壇の場となっています。この当時僧侶はいわば国家資格で、戒壇を受けないと正式な僧侶にはなれなかったため、西国唯一の戒壇の場として貴重な役割を果たしています。

その後僧侶は各宗派が認めるようになり戒壇院は衰退、15世紀頃まで授戒が行われてきましたが観世音寺の衰退と運命を共にしています。廃寺同然となって観世音寺を黒田藩が再興する際に戒壇院は博多の聖福寺などの禅宗寺院が管理することとなって観世音寺から独立、1873年に聖福寺と同じ臨済宗妙心寺派に属することになりました。

本堂は1743年に再建されたものです。本尊は毘盧舎那仏で、12世紀半ばの作とされています。

戒壇院の御朱印です。


福岡市内から日帰り可能ですのでゆっくり回ってみてください。太宰府では他に光明禅寺もありますが、長らく改修工事を理由に拝観を受けていない状態です。

今回の御朱印情報です。
太宰府天満宮 1種を朱印所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
天開稲荷社  1種を太宰府天満宮内の授与所で授与。
観世音寺   1種を宝蔵の受付で授与。
戒壇院    1種を本堂で授与。書き置きのみ。
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太宰府御朱印巡り①

2024-02-26 | 御朱印めぐり
各地の御朱印巡り、今回は福岡県の太宰府です。

太宰府は朝廷が九州の防衛や支配のために置いた大宰府のあった場所で、現在は太宰府市になります。大宰府は平安時代までは存在していましたが鎌倉時代になると幕府は鎮西奉行→鎮西探題となり博多に拠点を置くようになってその役割を終えています。

太宰府の寺社として真っ先に思い出すのが太宰府天満宮で、市内にあまり観光名所のない福岡にとっては手軽な日帰り観光スポットとなっています。もちろん他にもありますので回ってみましょう。


太宰府へは西鉄の電車が便利です。天神駅で「太宰府散策きっぷ」を買うのが安くてお手軽です。都府楼前-二日市-五条-太宰府の区間が乗り降り自由の往復乗車券に天満宮参道にある各店の梅ヶ枝餅2個(好きな1店で2個を引き替え)の引換券がセットになって1,000円です。

土休日は乗り換えなしの急行も数本ありますが、一般的には天神から特急に乗って二日市で太宰府行きに乗り換えることになります。

太宰府駅に到着。駅からすぐが天満宮の参道で、梅ヶ枝餅を焼く香ばしい香りが漂っています。商店街を抜けると天満宮の敷地になります。


太宰府天満宮は919年に菅原道真を祀るため創建されています。

道真は藤原時平の讒言により太宰府に流され、903年にこの地で亡くなります。その後909年には時平が亡くなるなど不吉な事件が続いたため醍醐天皇の命により道真の墓所の上に社殿が造営されています。それでも不吉なことが続き、道真の怒りが収まらないとみた朝廷は947年に京都の北野に創建されたのが北野天満宮です。このため太宰府天満宮と北野天満宮の両方を天満宮の総本社としています。

北野天満宮はその後麹の製造権を握るなど京の中で政治力や経済力を握りますが、政治経済の中心が博多に移った太宰府は寂れてしまい、再興されるのは近世になってからです。

本殿は現在改修工事中で、このように屋根の上が草木で覆われている面白い仮社殿になっています。

太宰府天満宮の御朱印です。


太宰府天満宮の境内にはもう一つ御朱印をもらえる神社があります。

本殿の裏に回り、梅園を抜けるとこのような案内があります。

天開稲荷社に行ってみましょう。

途中から山道になりますが、「福岡くん」がのぼり旗を奉納していますね。ここからさらに山を登ると社殿があります。

天開稲荷社は鎌倉時代末期に京都の伏見稲荷から分祀された神社です。九州最古と名乗っています。文字通り「天に道が開け運気が上昇する」縁起のよい神社としてお参りする人も多いです。

天開稲荷社の御朱印やお守りなどは太宰府天満宮の朱印所のとなりで扱っています。門を挟んで反対側には同じように竈門神社の授与所もありますが、こちらは御朱印は竈門神社まで行くよう案内しています。

天開稲荷社の御朱印です。


帰り道で梅ヶ枝餅を引き替えて太宰府駅に戻り、お隣の五条駅に向かいましょう。
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京都古文化保存協会の非公開文化財特別公開の概要公開

2024-02-25 | 御朱印めぐり
毎年春恒例の京都古文化保存協会の非公開文化財特別公開が今年も開催されます。詳細はこちら

期間は4/27~5/12で、一部は期間が異なります。今年は丹後(伊根町)の浦嶋神社を含め15ヵ所となります。

しかしながら、多くが上賀茂神社・下鴨神社・廬山寺・東寺など特別公開の常連組であり、初公開は2ヵ所のみとなっています。この2ヵ所に絞ってご紹介したいと思います。

・常照寺(鷹峯源光庵前) 御朱印:あり(御首題)
鷹峯にある日蓮宗の寺院で、吉野太夫ゆかりの品や妙見大菩薩像などが公開されます。常時公開寺院ですので期間外でも拝観は可能です。

パンフ上は「初公開」となっていますが、2020年春の特別公開で予定されていたものの新型コロナウイルスの影響で特別公開が中止となった経緯があります。


・宝筐院(嵯峨釈迦堂前) 御朱印:あり
足利義詮と楠木正行の菩提寺で、書院や谷文中の襖絵などが公開されます。

こちらも常時公開寺院で庭園などは期間外でも拝観可能です。受付のお姉さんの応対が正直塩対応で「三脚持ち込み禁止」などの立て札があった記憶があります。


京都古文化保存協会は東福寺の東司破壊事件(2022年10月に国の重要文化財の東福寺のトイレに誤って車を衝突させた)以来「京都古文化破壊協会」と揶揄される状態で、以降非公開寺院の公開が大きく減った感があります。
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移動耳より情報

2024-02-24 | シャック便り
[四国フェリーの福田航路のダイヤが元に戻る]
2023年4月より船員不足を理由に1隻体制となっていた四国フェリーの姫路-福田航路が船員確保の目処が付いたとして2/16より元の2隻体制に戻りました。現状の3.5往復が元の7往復に戻ります。

求人サイトでの募集に切り替えたところ船員が確保できたとのことです。


[阪急バスが箕面・豊能地区でダイヤを大改変]
北大阪急行の千里中央-箕面萱野間が3/23に開業することに伴い、主に箕面市・豊能町・茨木市(北部)を走る阪急バスの路線網が大改変されます。

箕面萱野駅にバスターミナルが整備されることに伴い、多くの系統が箕面萱野発着となり、千里中央発着は廃止されます。また北大阪ネオポリス方面はかつての主力ルートであったクリーンセンター前経由が廃止され、彩都西経由または有料道路経由のみとなります。茨木市北部でも忍頂寺を経由する路線の大幅な減便が予定されています。


[JALの国際線用777-300がA350の穴埋めに]
1/2に海上保安庁機に追突し火災によりJALのA350が全損したため国際線用の777-300型機が国内線に入っている模様です。該当便は「773 国際線機材」と表示されています。

本来A350が入る便に割り当てられていますが運用はランダムになっており、羽田-福岡、-新千歳、-那覇だけでなく伊丹-那覇にも入ったことがあるようです。A350に比べ国際線用の777-300は座席数が少ないため、予約状況を勘案してあまり予約が埋まっていない運用に割り当てられている模様です。

ちなみにファーストクラスはそのままファーストクラス、ビジネスクラスがクラスJ、エコノミーとプレミアムエコノミーが普通席になっており、プレミアムエコノミーはJGC会員などに優先して割り振られているようです。
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【予告】3/1~3鹿児島県徳之島ほか移動

2024-02-23 | 移動運用予定
以下の日程で鹿児島県から移動運用を行いますのでご案内します。
この予告は現時点での予定であり、変更することがあります。出発前に改めて最終のご案内を致しますのでよろしくお願いします。


(1)大島郡天城町[徳之島]移動(JCG:46005)
 日時:3/1(金)11:00頃~12:00頃
 場所:天城町内からQRVの予定です。
 バンド:18MHz帯(SSB)

(2)大島郡伊仙町[徳之島]移動(JCG:46005)
 日時:3/1(金)15:30頃~17:00頃
 場所:伊仙町内からQRVの予定です。
 バンド:7MHz帯(SSB)

(3)大島郡徳之島町[徳之島]移動(JCG:46005)
 日時:3/2(土)08:30頃~11:30頃
 場所:徳之島町内からQRVの予定です。
 バンド:7/18MHz帯(SSB)

(4)日置市移動(JCC:4617)
 日時:3/3(日)08:30頃~11:15頃
 場所:日置市内からQRVの予定です。
 バンド:7/18MHz帯(SSB)
  
 
[※お願い事項]
・移動運用の詳細についてはこちら、QSLについてはこちらをご覧下さい。

・荒天の場合は中止もしくは一部時間帯の運用を取りやめます。

・現地からのご連絡はX(Twitter)で行います。X(Twitter)は[@JF4CAD4]です。
 2016年12月よりIDを変更しておりますのでご注意ください。
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高知御朱印巡り④

2024-02-22 | 御朱印めぐり
高知の御朱印巡り、翌日は日曜市から。

日曜市はJR高知駅とはりまや橋の中間付近にある追手筋で毎週日曜日に開かれる街路市で、近郷の農家さんや飲食店など様々なテントが並びます。

農産物ではサツマイモや文旦やミカン、加工品ではユズの果汁(高知ではお酢の代わりに寿司飯に使う)やお茶にこんにゃくなど、あるいは田舎寿司やタコスにパンなどもありますし、その場で食べられるいも天やアイスクリン、串焼きなども人気です。朝6時からで、冬の時期ですと8時頃以降に行くとお店が出揃って楽しめると思います。

この時期ですので文旦を買い、田舎寿司やユズ果汁なども調達しました。楽しんだら戦利品をホテルに預かってもらい御朱印巡りの再開です。


鏡川の対岸にある潮江天満宮に向かいます。

安楽寺のご紹介で出てきた菅原高視が創建した神社です。

高視の元に届けられた道真の遺品を祀ったのが始まりのようです。その後薫的神社のところで出てきた真如寺を造営するにあたり宮地平兵衛が社殿を建立し守り、1902年に大がかりな整備が行われています。坂本龍馬のひいお婆さんが宮地平兵衛の子孫にあたるそうです。

本殿は戦災で焼失し、戦後に再建されたものです。

潮江天満宮の御朱印です。

あと少し時間があるので「とさのさと」へ。

ファーマーズマーケットや県内各地の特産品を集めたお店などが並んでいます。日曜市が開かれない日に高知の特産品を探すのにいいと思います。いも天や鍋焼きラーメンのお店もあります。

荷物を回収したら空港に向かいましょう。はりまや橋のバス停からは20分と近いです。

帰りはフジドリームエアラインズの神戸行きにしました。

FDAはJALのコードシェア便となっており、JAL名義で購入するとJALの搭乗実績としてカウントされます。

FDAの飛行機はJ-AIRと同じエンブラエルです。J-AIRにないE175というE170の胴体延長版が就航しています。

離陸してベルト着用サインが消えたのはほんの数分で、すぐに降下を始めます。明石海峡大橋の上空を通過しそのまま神戸空港に到着です。早かったです。なかなか快適でしたが、神戸-高知線は今年の夏ダイヤではGWとお盆のみ運航されその後休止されることが決まっています。


今回の御朱印情報です。
土佐神社  1種を授与所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
善楽寺   限定御朱印含め数種を納経所で授与。
高知八幡宮 1種を社務所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
竹林寺   2種を納経所で授与。
安楽寺   1種を納経所で授与。
薫的神社  3種を社務所で授与。
高知大神宮 2種を社務所で授与。必ず御朱印帳を持参のこと。
潮江天満宮 1種を社務所で授与。オリジナル御朱印帳あり。
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高知御朱印巡り③

2024-02-21 | 御朱印めぐり
高知の御朱印巡り、五台山から高知駅に戻りました。

JR高知駅から西に歩きましょう。安楽寺があります。

10世紀前半に菅原道真の子である菅原高視が潮江(高知市中心部から鏡川を挟んだ対岸)に創建した真言宗豊山派のお寺です。道真は太宰府に流されましたが、連座して高視は土佐に流され、父の死を聞き菩提を弔うために創建したとされています。

その後場所を移転するも廃絶と再興を繰り返し、1875年に現在地で再興されています。再興後すぐに四国30番札所であったものの廃寺となった善楽寺の本尊であった阿弥陀如来像が移され善楽寺の代わりに30番札所となりました。

既にご紹介の通り1930年に善楽寺は再興し30番札所を名乗ったため30番が2ヵ所存在する事態となりました。当時のガイドブックを読むと「どちらも30番札所」とされていました。お遍路さんを悩ませる2つの30番札所は1994年に善楽寺を30番札所、安楽寺を30番奥の院とすることで決着しました。本尊の阿弥陀如来像は安楽寺にそのまま残されて国の重要文化財に指定されています。

奥の院となった現在も納経できるようになっています。

安楽寺の御朱印です。

安楽寺の御影です。


安楽寺のお隣に薫的神社があります。

1870年に創建された神社で薫的和尚を祭神としています。僧侶が祭神という全国的にも珍しい神社です。

薫的は1625年に四万十市で生まれ、15歳で出家しのち22歳で現在地にあった曹洞宗瑞應寺の住職となります。瑞應寺は長宗我部氏の菩提寺ですが、やがて山内氏の菩提寺である真如寺と対立するようになります。土佐では山内氏の土佐入国前からの家臣が中心だった上士と長宗我部氏の旧臣が中心だった下士が長年対立し、下士出身の坂本龍馬などが倒幕に動くことになりますが、同じことが仏教界でもあったことになります。

土佐藩2代藩主の山内忠義の戒名を真如寺の了谷が付けたものの不吉であるとして薫的が異を唱えたことから両社の対立が先鋭化、宗門に訴えようとしたところ内通で発覚し薫的は投獄され、ついには1671年に獄舎で舌をかみ切り自害してしまいました。

その後薫的の祟りとされる現象が相次ぎ、密かに葬られていた薫的を改葬し瑞應寺に祀ったとされます。その後瑞應寺は明治の廃仏毀釈で廃寺となりますが、薫的を祀る洞ケ島神社となり、1949年に薫的神社に改称し現在に至っています。

薫的神社の御朱印です。


さらに少し歩いてお城の方に向かいましょう。高知大神宮があります。

1879年に伊勢神宮を分祀して創建された神社です。

廃仏毀釈の一方で全国に伊勢神宮の分社が創建された一環で創建されたもので、神宮内宮と同じ天照皇大神が主祭神です。

高知大神宮の御朱印です。境内にあるよさこい稲荷神社の御朱印も合わせて頂けます。なお「書き置きはやっていないので必ず御朱印帳を持ってきて欲しい」とありました。


高知大神宮のすぐ近くに「ひろめ市場」があります。

1998年にオープンした土佐の食を揃えたフードホールで、カツオのたたきはもちろん、屋台餃子やちくきゅうなど様々な料理が楽しめます。人気観光スポットのため相席になることが当たり前で、17時以降は席を確保することも大変になります。

まずは人気の明神丸のカツオのたたきから。

実際お店でわら焼きしています。

こちらは土佐料理の名門として梅田にも店を持つ「司」の鯨カツです。肉の臭みを取るためカレー粉をまぶしてから揚げています。

高知特産の柚や文旦のチューハイなどで楽しむことができます。面白いけれどオフシーズンでも混雑するため早めの時間から席を確保するのがいいでしょう。

さらに続きます。
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高知御朱印巡り②

2024-02-20 | 御朱印めぐり
高知の御朱印巡り、土佐神社からバスで市内中心部に向かいます。

高知市の中心ははりまや橋付近で、幸いこちらに宿が取れたので荷物を預けてお昼にします。

近くの土佐ノ国24万石という郷土料理のお店にしました。

もちろんカツオのたたきにします。やっぱり美味しいです。


名物を食べたら次は徒歩で高知八幡宮へ。

鎌倉時代末期に大高坂松王丸が高知城の守護のため京都の石清水八幡宮から勧請したとされています。

その後も神社は残ったようで江戸時代に山内一豊が高知に入城した際に城内で場所を移した記録があります。その後1870年に現在地に移転、1880年に本殿が完成しますが1945年7月の高知空襲で焼失、1953年に社殿を再建しています。

高知八幡宮の御朱印です。


はりまや橋から五台山に向かいましょう。現在は「My遊バス」という遊覧バスがあり、土日は1時間に1本程度運転されています。専用の乗車券が必要で、はりまや橋バス停前の土電ビル1階にあるとさでん交通の案内所などで販売しています。五台山だけなら600円、桂浜までなら1,000円で、当日高知市内の路面電車も乗り放題になります(4月から大幅値上げ予定)。

五台山は標高146mの山で、中国の五台山に似ていることからその名を付けられています。四国31番の竹林寺や高知県立牧野植物園があります。牧野植物園は牧野富太郎博士の業績を記念し作られたもので、生前に「高知に植物園を作るなら五台山がいいだろう」との牧野博士の言葉を元に作られています。

今回は竹林寺のみ回ってみます。

竹林寺バス停で下車します。

竹林寺は724年に行基が開いたとされる真言宗智山派の寺院です。本尊は文殊菩薩像です。

本格的な再興は17世紀前半に空鏡が手がけ、土佐における真言宗の頂点となっていました。「よさこい節」に出てくるかんざしを買った坊さん・純信は竹林寺の南の坊の僧侶だったようです。その後荒廃するものの1897年に住職となった船岡芳信が諸国行脚の末に再興を果たしています。船岡は日露戦争では少佐待遇で戦地に赴き、戦死者の供養などを行ったそうです。

本堂は室町時代のものとされ国の重要文化財に指定されています。文殊菩薩像は秘仏のため拝観はできませんが、お堂に上がると江戸時代に奉納された那須与一を描いた額が良い状態で残されています。たままたいたお坊さんに聞いたら「お寺と那須与一は直接の関係はなく、当時流行した題材ではないか」とのことでした。

こちらは奥の院の船岡堂です。船岡芳信が「我が肉は滅びても魂は永遠に五台山を守護する」と言い残して1923年に亡くなり、遺骸を納めるため1929年に作られたのがこちらのお堂です。竹林寺の奥の院になっています。

竹林寺と船岡堂の御朱印です。

竹林寺の御影です。

船岡堂の御影です。

土佐では慕われた船岡でしたが、今はお参りする人も少ないのか「船岡堂の御朱印を頼まれたのは久しぶりです」とのことでした。


「MY遊バス」はバスが通過したかをこんな形で表示しています。

運転士が車から降りて札をセットするみたいです。今ならGPSとかでできるのでしょうが、費用が掛かるからかも知れませんね。

帰りの「MY遊バス」が来ました。高知駅に向かいましょう。

さらに続きます。
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高知御朱印巡り①

2024-02-19 | 御朱印めぐり
各地の御朱印巡り、今回は高知市内です。

高知ももちろん四国ですから四国八十八ヵ所の霊場が点在しています。高知の霊場は広い高知県内に16ヵ所と少なく、難行が続くことで知られています。

関西から高知へは
・伊丹または神戸から高知空港
・岡山経由でJRの特急「南風」
・大阪や神戸からの高速バス
がポピュラーです。


それでは神戸の三宮から高速バスで向かいましょう。三宮からは西日本JRバス・JR四国バスの「高知エクスプレス」と神姫バス・とさでん交通の「ハーバーライナー」があります。始発の三宮出発時刻は7時34分と7時35分でほぼ同じですが、高知駅到着は11時56分と11時25分で大きく違います。今回は一宮バスターミナルで下車する予定ですので神姫バスにします。所定は5往復ですが現在は運休便があるため2往復のみとなっています。

JR三ノ宮駅近くにある神姫バスのターミナルから高知行きのバスが出ています。

JRの高架下にある独特の雰囲気を持つターミナルです。4時間ほどの乗車時間になるため3列独立シートで快適ですが乗り込んだのは5人ほどと少ないです。途中の高速舞子で乗り込むお客がいて10人弱での出発となりました。

高知行きは淡路島から高松道の板野ICへ向かい、そこから徳島道の藍住ICまで一般道を少し進んで徳島道を川之江東JCTへ進みます。松山行きの高速バスと同じルートです。

このバスの休憩は吉野川SA1ヵ所のようです。三宮から2.5時間以上かかるので、バランスから言えば上板SAの方が良さそうな感じです。

休憩後は1時間前後で一宮バスターミナルに到着です。所定より5分ほどの早着でした。「いっく」と読みます。

一宮バスターミナルはスーパーのマルナカと同じ敷地で、とさでん交通の路線バスもここを通るので乗り継ぎに便利です。

ここから乗り換えて5分ほどで土佐神社があります。

一言主尊と味鋤高彦根尊が祭神で、いずれも大和の賀茂氏ゆかりの神です。賀茂氏が土佐の国造に任ぜられたことが影響していると考えられています。創建ははっきりしませんが、古代よりあったとされ平安時代には既に存在していたことが確かめられています。その後鎌倉時代には土佐の総鎮守となり土佐の一宮となっています。これを「いっく」と呼んだため先ほどの土佐一宮バスターミナルも「いっく」と読むようです。

1570年に長宗我部元親が本殿などを再興、江戸時代になると土佐藩の山内家も楼門などを整備しています。これらは現存しており国の重要文化財に指定されています。

土佐神社の御朱印です。


細い道を隔てた向かいに善楽寺があります。四国霊場30番です。810年に空海が創建したとされる真言宗豊山派のお寺です。

元々江戸時代の四国霊場は阿波・土佐・伊予・讃岐の各一宮が札所となっていました。つまり土佐ではお隣の土佐神社であり、その別当寺であった善楽寺と神宮寺が札所でした。しかし明治の神仏分離でともに廃絶、南国市にある29番の国分寺に本尊や弘法大師像を移して仮札所としています。その後1930年に埼玉県の与野にあった東明院の名義を移転し、国分寺が預かっていた弘法大師像を善楽寺に戻して再興し30番となっています。現在は女性のご住職がお寺を守っています。

#ところがこの再興の過程でややこしいことが起きるのですが、これは後ほど。

こんなイラストのお遍路さんが。NHKの朝ドラ「なつぞら」のオープニングアニメを担当した刈谷仁美さんのイラストだそうです。刈谷さんは高知の出身で地元の地銀・四国銀行などのイメージイラストも描いています。現在は北九州市で活躍中だそうです。

こちらが本堂です。1982年に完成したものです。阿弥陀如来像が本尊として安置されています。

こちらが大師堂です。廃仏毀釈で一旦国分寺に預けられていた大師像が安置されています。

善楽寺の御朱印です。

善楽寺の御影です。

また先ほどの刈谷仁美さんのイラストを使った限定御朱印も出しています(他にも授与品あり)。今年1月から始めたそうで、7月にはまた新しいイラスト御朱印も出るそうです。

続きます。
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