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JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

香川移動運用報告④

2025-07-10 | 御朱印めぐり
7/4(日)高松市内→女木島→高松市内→神戸(続き)
12時を回りました。今回は2時間延長しているため未知の世界になります。

午後に入ると気温が上がってきました。風は通るのですが次第に気温が上がってきています。エースワンでもらった保冷用の氷は飲み物と一緒に保冷袋に入れていますが、どんどん溶けています。水になってもしばらくは水温が低いので涼しく過ごせます。ぬるくなったらポリ袋を破いて水を捨てればゴミは僅かになります。

飲み物は2本目のお茶が1/3程残っています。お茶と非常用のイオンウォーターとは未開封です。

50は相変わらず8と沖縄が聞こえます。EAQさんはずっと聞こえていて面白いでしょうね。8はほぼ出尽くした感じで、諦めた3の局がアンテナを西に向けてくれるようになり少し稼げます。

144/430は出ている局が少なく、430は朝からずっと同じ周波数でCQを出し続けているクラブ局などに限られます。呼び回りをしないとスコア伸びないと思うんですけどね。

最後の追い込みで144で09ができました。ふわふわとSが上がってきてQSOできました。これは大きなマルチです。


帰りのバスは14時40分発です。14時10分で終了、片付けましょう。いつもより2時間延長したのですが、その間に19局できていますから効果があったように感じています。

バスに間に合いました。女木島からは50MHzで61局、144MHzで17局、430MHzで17局の計95局でした。


15時40分に高松港到着です。帰りは16時20分発のフットバスの神戸経由大阪行きにしました。三宮到着が19時になるためもう一度エースワンに立ち寄って酒と夕食を買ってバスに乗り込みます。もちろん氷も忘れずもらっておきます。この便は独立3列ですからで隣の席に人はいないのでゆっくりできます。


ここのところ続けている中原めいこさんのアルバム、今回は1984年7月に発売された5枚目の「ロートスの果実」です。

1982年のデビュー以降いい曲を作り業界では注目されてきた中原さんですが、一般にはあまり知られていない存在でした。「ヒット曲さえあれば」と言われていたところに舞い込んだのがカネボウからの夏の化粧品キャンペーンのCMソングでした。これが1984年4月にリリースされた「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」で、テレビでの露出もあって瞬く間にヒットします。

中原さんに対し正直あまり期待していなかったレコード会社の東芝EMIはこの曲のヒットにより中原さんを本格的に売り出すことになります。前3作のアルバムよりも制作費が増額され、ジャケットからして予算がかけられたことが分かります。

ちなみにこの1984年は杏里さんは前年の「CAT'S EYE」のヒットの勢いを保ったままアルバム「COOOL」を出していますし、竹内まりやさんは休養から復帰し「VARIETY」を、女王ユーミンは「NO SIDE」と女性シンガーソングライターの名盤が次々と世に出ています。東芝EMIはこの3人に肩を並べる存在として売り出したかったのだと思われます。

1曲目は「魔法のカーペット」で、ポップな世界に誘っています。歌詞の最後を少し上げてうきうきした演出がされています。2曲目の「ロートスの果実」はアルバムのタイトルと同名で、ファンタジーの世界に誘います。

3曲目の「エモーション」は7枚目のシングルのA面で、筒美京平さんの影響を強く受けた曲という印象です。4曲目の「I MISS MY VALENTINE」で落ち着いたバラードを聴かせて5曲目の「メランコリー TEA TIME」に持ち込んでいます。中原さんの得意とするリゾートの恋を全面に押し出した曲です。

B面は「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」からスタート。この奇妙なフレーズは広告代理店からの依頼であったと言われています。歌詞中で8回出てくるのですが、7回目と8回目はバックコーラスがついていない特徴があります。その一方で冒頭に「ドライなシェリー」が入っており、お酒(もしくはカクテル)の名前が出てくることが多い中原さんらしい特徴も出ています。

2曲目の「こんな気分じゃ帰れない」は「エモーション」のB面でポップな曲調、3曲目の「スコーピオン」は5枚目のシングルA面で一転して重い曲に仕上がっています。そこから軽めの「気まぐれBad Boy」「Cloudyな午後」と続けて締めています。

「2時までのシンデレラ」や「mint」のA面のような流れで一気に聴かせるスタイルではなく「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」で中原さんを知った層向けの「こんな歌も歌えるんですよ」みたいなアルバムに仕上がっています。中原さんも制作も降って湧いたようなヒットに浮き足立ったのかも知れませんね。

3号神戸線はスムースだったものの高松市内での乗車に時間を取られ10分ほど遅れた19時10分に三宮到着です。


2日間合わせて50MHzで79局、144Mhzで19局、430MHzで22局の計120局でした。ありがとうございました。

コンテストに出る局が大きく減っており、年々QSOsが減っています。コンテスト対象外のFT8に移行しコンテストにQRVしない、戻らない局が多いためです。言ってしまえば「コンテストなんてつまらんことをやっているよりFT8の方が楽しい」と思われているわけで、これ以上設備を改善してもスコアを取り戻せないところに来ています。

内紛以来あらゆることが後手後手に回っているJARLがコンテスト離れに対して現状認識すら正しくできている様子はなく、対策なんて打ちようがないのではないかと思われます。
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鎌倉腰越御朱印巡り③

2025-07-03 | 御朱印めぐり
鎌倉・腰越の御朱印巡りの続きです。

それでは腰越を後にして江ノ電で湘南海岸公園まで。

観光客は江の島駅でどっと降りるため江の島-藤沢間は空いています。

少し歩いて密蔵寺があります。

鎌倉時代に有弁僧正が開いた真言宗大覚寺派の寺院です。江戸時代に良忍が再建、その後1937年に当時の住職が「江の島縁起ページェント」というイベントを開催、その際に弁天役を務めたのがのち女優として活躍する木暮実千代さんだったそうです。

境内には1955年に小暮さんが植えた愛染かつらの木が残っています。

密蔵寺の御朱印です。

ちなみに密蔵寺の裏山には湘南白百合学園があります。中高一貫の女子校でOGにはNHKの林田理沙アナウンサーがいます。林田アナは東京藝大の大学院音楽科修士課程へと進んだのちアナウンサーになるという恐らく他にないキャリアの持ち主です。林田アナは福岡局にいたころにテレビで見かけたのが最初で、翌年東京に転勤となりあれよあれよでトップクラスのアナウンサーになり現在も活躍を続けています。ほいたらね


湘南江の島駅に戻りました。

モノレールに乗って途中の西鎌倉で一旦下車します。駅前の道を1kmほど歩くと青蓮寺があります。

青蓮寺は別名「鎖大師」とも呼ばれる高野山真言宗の準別格本山です。819年に空海が開き、室町時代に善海が再興しています。塔頭2院がありましたが、いずれも廃絶しています。

本尊は国の重要文化財に指定されている弘法大師座像で、膝関節が鎖で結ばれて動かすことから「鎖大師」と呼ばれています。元は鶴岡八幡宮にあったとされ、神仏分離で移ってきたようです。

青蓮寺の御朱印です。

青蓮寺の御影です。関東八十八箇所の59番であるため御影を頂けました。

青蓮寺では戦前の案内を復刻した寺院案内をもらいました。お寺のある手広は鎌倉・大船・藤沢へアクセスできる地で、近くには江ノ電バスの手広車庫がありました。


西鎌倉駅に戻る途中に「レシュー」があります。

1996年に開店し「にしかまプリン」「にしかまチーズ」などで知られてきましたが、2023年5月に後継者難や経費高騰を理由に閉店してしまいました。閉店の際には連日完売になったとのこと。その後かつてレシューにいた方が店を引き取ることになり同年11月に再開しています。

再開店後初めてでしたが、にしかまプリンもにしかまチーズも健在でした。お土産に買って帰りましょう。

モノレールに乗り直し締めは大船駅の「観音食堂」で刺身定食です。

この店が大船に当たり前のようにあるって幸せなことですよね。横浜駅乗り換えで羽田に向かいましょう。

腰越付近には江の島もありますし、未訪問のお寺もあるためもう一度出かけてみたいです。


今回の御朱印・御首題情報です。
小動神社 1種を社務所で授与。
満福寺  季節限定含め数種を授与所で授与。
勧行寺  1種を庫裏で授与。
妙典寺  1種を庫裏で授与。
本龍寺  1種を庫裏で授与。
密蔵寺  1種を庫裏で授与。書き置きのみ。
青蓮寺  1種を納経所で授与。
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鎌倉腰越御朱印巡り②

2025-07-02 | 御朱印めぐり
鎌倉・腰越の御朱印巡りの続きです。腰越駅方向に戻り、駅手前の踏切を山側に入りましょう。

ちなみにこの踏切、腰越駅に電車が停車した際にはこのように鎌倉方の1両が踏切にかかりドアが開きません。ホームが3両分しかないためです(反対側の藤沢方は道路なのでどちらもホームを伸ばせない)。

この奥には5つのお寺(本成寺・勧行寺・妙典寺・東漸寺・本龍寺)があり、いずれも日蓮宗のお寺、しかも全て山号(○○山)が「龍口山」なのです。これらのお寺は江の島駅から乗った際に見えていた龍口寺を輪番で支えてきたお寺なのです。

既に御首題を頂いているので龍口寺は今回お参りしていませんが、龍口寺のある場所はかつて鎌倉幕府の刑場で、日蓮宗を興した日蓮は幕府批判を止めないかどで1271年に龍の口で処刑されることとなりました。しかしながら処刑の際に江ノ島の方向から目がくらむほどの光が差し込み、幕府から処刑中止の知らせが届き危うく処刑を免れ佐渡への流刑へと変更されます(実際には日蓮と対立した浄土宗の影響が強い幕府の一部重臣が勝手に処刑しようとしたのが発覚しストップがかかったという説があります)。

日蓮にとって最大のピンチであったとされ、1337年に日法がこの地にお堂を作ったのが龍口寺の創建とされ、1601年に島村采女の寄進によりお寺として整えられます。日蓮宗では霊跡の地であることから、特定の門流ではなく東日本の主要門流が交替で支える形が取られ(このため京都の妙顕寺を頂とする四条門流などは関わっていない)、1886年まで8つのお寺が5日ごとの輪番で守ってきました。


お忙しいお寺は今度にすることにして回ってみましょう。

勧行寺です。勧行寺は静岡県三島市にある玉沢妙法華寺の末で、1303年に日実により創建されています。

1683年に火災、1791年に台風、1923年に関東大震災により被害を受けており、そのたびに復興を遂げています。

お供えの花をこんな形で飾っています。

勧行寺の御首題です。


すぐ奥にあるのが妙典寺です。

妙典寺は鎌倉の妙本寺の末で、池上本門寺などと同じ門流になります。1308年に天目が創建しています。

徳川光圀の「鎌倉日記」には「妙伝寺」と記されており、少なくとも江戸のはじめまでは「妙伝寺」という名前であったとされています。現在は寺ヨガに力を入れているようです。

境内には大きな大黒天像があります。

妙典寺の御首題です。


少し道を戻りさらに奥に入ると本龍寺があります。

1302年に日行が開いたお寺でこちらも妙本寺の末になります。

当初は「與蓮山」でしたが、龍口寺を支えるお寺となってから山号を「龍口山」に改めています。当初の山号の通り境内には蓮の鉢植えがたくさんあります。

「本龍精舎」と掲げられています。上人から「この欄間の中にカエルが4匹いますので探してみてください」と言われて探してみました。よくできた欄間です。

本龍寺の御首題です。

あとで上人から「名古屋の常泉寺の御首題があるのでびっくりした」とのこと。常泉寺の上人とは一緒に修行したそうで懐かしそうに語ってもらいました。こういう縁もあるのですね。


日が高くなり暑くなってきました。さらに続きます。
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鎌倉腰越御朱印巡り①

2025-07-01 | 御朱印めぐり
ちょこちょこ続けている鎌倉の御朱印巡り、今回は腰越を中心に回ってみたいと思います。

腰越は鎌倉の西端にあたります。腰越漁港があり、近辺では腰越の新鮮な魚は人気があります。


腰越へは江ノ電が便利です。まずは鎌倉観光の出発点である大船からスタートしましょう。

大船は東海道線・横須賀線とも停車しますから新橋から東海道線に乗れば約45分で着きます。大船をスタートにすることでJR鎌倉駅だけでなく藤沢駅からも江ノ電に乗れますし、中間の江ノ島駅までは湘南モノレールに乗ればショートカットすることもできます。

JR鎌倉駅をスタートにしてしまうよりも選択肢が多いですし、改札内外のコインロッカーの数は鎌倉駅より圧倒的に多く、トイレも数が多いです(特に鎌倉駅の女性用トイレは休日は長蛇の列です)。加えて主要な鎌倉土産は改札目の前のルミネウイングでも買えますから大船駅スタートにすることをオススメしたいです。


今回は湘南モノレールに乗りましょう。一日乗車券を売っています。往復運賃より少しだけ安いので便利です。

三菱重工が懸垂式モノレールの実用化路線として湘南モノレールを設立し、1970年に大船-湘南江の島間を完成させています。懸垂式は屋根の上から車輌を支える形で、日本では湘南モノレールと千葉都市モノレールのみが採用している少数派です。日立が実用化させ大阪モノレールやゆいレールなどの車輌を床下で支える跨座式モノレールが日本での主流ですが、懸垂式は跨座式よりも急勾配に強い特徴があります。

13分ほどで湘南江の島駅に到着。

ホームが高いところにあるので展望台も設置されており、このように富士山を眺めることもできます。


江ノ電の江ノ島駅はすぐ近くです。隣の腰越駅まで乗りましょう。

この間は江ノ電のハイライトとも言える区間で、道路の真ん中に引かれた線路をソロソロと走ってゆきます。道幅が狭く、電車が来ると車がギリギリまで道の端に寄ってきますから徒歩では危険で電車での移動がベターです。ちょうど江ノ電が道路に入るところに龍口寺というお寺があります。今回の腰越での御朱印巡りでキーになりますから覚えておいてください。

少し走ったところが藤沢市と鎌倉市の市境で、鎌倉市側が腰越になります。標識が出ていないのですが街灯に「片瀬竜の口商店街」と書かれた看板が出ているところが藤沢で「腰越」と書かれた看板が出ているところが鎌倉になります。

この道路上を走る区間が終わると腰越駅です。


腰越駅を出て少し歩くと小動神社への参道が見えてきます。

小動神社は腰越の鎮守で、源平合戦の際に頼朝に仕えた佐々木盛綱が出自である近江から八王子社を勧請して創建されたとされています。近江源氏の流れである佐々木氏はのちに六角氏・京極氏などに分かれ、京極氏のように江戸時代になっても大名としての残った家系もありました。鎌倉幕府の最後である新田義貞の鎌倉攻めの際に戦勝祈願を行っており、その後お礼として社殿を整備しています。明治維新後に小動神社に改名しています。

本殿の横からは腰越漁港がよく見えます。

本殿付近はは来月の天王祭に向けて整備中でした。

小動神社の御朱印です。


戻って小さな道に入りましょう。

江ノ電の踏切の先が満福寺です。

744年に行基が開いたとされる真言宗大覚寺派の寺院です。平家を滅ぼした源義経は兄の頼朝の怒りを買い、鎌倉入りを許されずこの満福寺に逗留し書いたのが「腰越状」だとされています。結局頼朝は弟を許さず義経は京へと戻りますが、なおも許されず奥州に落ち延びることになります。

この欄間には弁慶が「腰越状」をしたためている様子が彫られています。義経一行が満福寺に逗留したことは史実のようですが、「腰越状」については現代では書いたのが弁慶というのも含め本当に書かれたものか疑問が持たれているようです。

満福寺の御朱印です。

続きます。
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沖縄移動運用報告⑥

2025-06-03 | 御朱印めぐり
5/26(月)名護→大宜味→名護→沖縄市→那覇
本日は大宜味村の宮城島からQRVし、途中沖縄市の「原点」でコーヒーを飲んでから那覇に戻る予定です。


大宜味方面の67番は大西バス停7時41分発が始発です。用意していた朝食を食べて出発です。雨でなければ塩屋湾の宮城島ですが、雨なのでその先の結の浜にします。

バスに乗りましょう。やってきたのは琉球バスのいすゞキュービックでツーステップ車です。この時点で大変古い車輌なんですが、何と車内には琉球バス交通発足時に掲示されたお願い文がそのまま残っています。

琉球バスは2005年に倒産、翌2006年に第一交通産業傘下の琉球バス交通に営業譲渡して現在に至っています。琉球バス交通が発足した際に荒れ果てた車内を少しでもよくするため「車内に落書きしないでください」などのお願い文を掲示していたのです(私は当時見たことがあります)。少なくとも18年も前のもので、まさか現存しているとは驚きでした。しかも車内掲示の路線図は具志川営業所の路線図であり、この車輌がかつて具志川に在籍していたことも分かります。

サスペンションはガタガタ、天井も錆なのかシミなのか分からない状態で「こいつよく現役だな」と思えます。名護には今も元米軍スクールバスの車輌もおり、とうの昔に那覇から消えた車輌たちが現役なのが驚きです。

#去年の泥水を吹き上げた沖縄バスの車輌もそんな旧世代なんでしょうがhi

結の浜に到着。大宜味村は山が海まで迫り平地の少なく、海を埋め立てて学校を集約したところです。

ここから少し坂を上ると展望台があり、いい具合に東屋があります。ここで設営です。8時45分に21MHzでスタート。

今日も風があり涼しいというか寒いほどです。これでCondxが良ければまだ楽しめますが昨日以上に悪いです。西日本が少し開いている程度で空振りが多いです。

同時に上げている50MHzは全くダメ。何も聞こえてきません。

帰りのバスは結の浜発11時18分、その次が12時48分発です。4社の路線バスでは最北の路線である67番辺土名線は大宜味村役場のある大兼久や国頭村役場のある辺土名に乗り入れ2村に欠かすことのできない路線ですが、人口減少の影響が大きく平日でも僅か12往復に削減されています。このCondxでは午後まで持ちませんから諦めて11時18分発に乗ることにします。

大宜味の道の駅に立ち寄りましょう。元の大宜味中学校の跡地に道の駅を整備したものです。ここから名護方面のバスに乗ることができるので便利です。

帰りの名護行きは沖縄バスの担当みたいです。貸切状態で到着。大宜味と名護の境は海岸線に沿ってうねうねと曲がりくねる道なんですがこの運転手右へ左へと車体を振らせて走ります。なかなかエクストリームな運転です。羽地に入ると海岸線と分かれるのでようやく落ち着きました。

名護市役所前から117番高速バスで山里へ。「原点」でコーヒーにしました。


定宿に戻り国際通りでお土産を買っておきます。

「じんじん」のあった一角が再開発のため取り壊されています。これで名実共に想い出の中にしかない店になりました。

今夜は安里の「うりずん」です。先代の土屋さんがご健在の時代から通っており、今の店長やお酒を取り仕切るねーねーに顔を覚えてもらっています。私はオリオンより泡盛(しかも石高の少ない蔵元)が好きなのでちょうどいいお店です。


本日は21MHzで21局でした。ありがとうございました。
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京都古文化保存協会「非公開文化財特別公開」に行ってきました②

2025-05-17 | 御朱印めぐり
京都古文化保存協会の「非公開文化財特別公開」の続きです。

深草駅まで戻り、丹波橋から近鉄に乗り換えましょう。

竹田駅で下車します。

少し歩いたところに安楽寿院があります。付近は白河天皇が造営した鳥羽離宮の跡地で、以降後白河法皇まで院政が敷かれた場所です。その鳥羽離宮の仏堂が起源とされています。現在は真言宗智山派のお寺です。

多くの荘園寄進があり財政的には恵まれていましたが、次第に在郷勢力に押領され衰退、火災に遭ったこともあり、秀吉が500石の寄進を行うことでようやく維持できることになりました。江戸幕府からも500石の領地を安堵されています。幕末の鳥羽伏見では新政府軍の本陣が置かれ、焼失を免れたようです。

安楽寿院では秀吉からの500石の朱印状や本尊の阿弥陀如来を公開しています。本尊は平安期のものですが、光背は明らかに時代が異なっている印象です。

安楽寿院の御朱印です。


竹田の周囲にはお昼を食べるところがないので市内中心部に行くことになりますが、混みますので観光客が来ないであろうタイ料理の店でお昼にしました。

観光客が来ないし美味しいしで満足できました。


今回の御朱印情報です。
円妙院  1種を大雲寺で授与。
大雲寺  1種を授与。
安楽寿院 1種を授与。

大雲寺は庭園を見ながららお茶を出している日がありますのでその時にお願いすれば書いてもらえるかも知れません。
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京都古文化保存協会「非公開文化財特別公開」に行ってきました①

2025-05-16 | 御朱印めぐり
毎年恒例の京都古文化保存協会の「非公開文化財特別公開」を見てきました。

今回は伏見区の寺社にスポットを当てており、中には他の特別公開含め初公開とされるところもあります。伏見稲荷くらいしか観光客が集まらないところですので比較的スムースに見て回ることもできます。


それでは京橋から京阪特急で丹波橋に向かいましょう。

丹波橋で乗り換えたのは昔の京阪の塗装に復元された電車です。この配色の方が落ち着きます。ちなみにこの2340号車は1967年2月に川崎車輌(現在の川崎重工)で製造された車両で御年58歳。2回目の万博を現役で迎えた長寿車両ですが、きちんと整備されJR東日本の電車よりも乗り心地がいいです。

深草で下車し宝塔寺に向かいましょう。塔頭の円妙院が今回初公開です。

1597年に日銀が創建しています。日銀は宝塔寺の8世で、天文法華の乱で焼失した宝塔寺の再建に尽力しています。その後江戸時代に百貨店の大丸を興した下村彦右衛門正啓が多額の寄進を行い、以降下村家の菩提寺となります。明治の廃仏毀釈で他の寺院と合併するまでは下村家のみが檀家だったそうで歴代当主や物故者を祀っている「大丸のお寺」です。お寺に残されている寺宝も下村家寄進の物が多いそうです。

こういった経緯から下村家や大丸の関係者以外は通常入ることのできないお寺ですが今回特別公開となりました。

円妙院では伊藤若冲作ではないかとされる杉戸絵などを公開しています。若冲は錦市場の自宅が焼けた以降晩年はすぐ近くにある石峰寺で創作活動を行っており、絵を売って生計を立てていたようですから比較的資金に余裕のあった円妙院にあってもおかしくないです。

お上人(ご住職)はお隣の大雲寺の住職も兼ねており、ボロ寺を長年整備し今の形にされたそうです。いろいろ話をしていると「せっかくだから大雲寺も見てよ」とのことで以前特別拝観で見に行った大雲寺も見に行くことにしました。

大雲寺は円妙院と同じく日銀が創建した宝塔寺の塔頭です。宝塔寺は1536年の天文法華の乱で焼けたため、妙顕寺にいた日銀が宝塔寺を再興、秀吉も方広寺の造営の際に余った部材を寄進して再建されました。日銀はその後隠居所として大雲寺を創建しています。

お上人は「来た来た」という表情で色々説明してくださいます。世界最小とされる一塔両尊像などを公開していました。江戸時代の作だそうですが、すごく小さいので驚きです。

2つのお寺にはあちこちに曼荼羅(法華経の世界を文字で表現したもので日蓮宗では本尊代わりとなるもの)があります。中央に「南無妙法蓮華経」が配されるなど基本の形はどれも変わらないのですが、左脇や下の方は各々異なっており興味深かったです。「これは私が妙顕寺で師から頂いたもの」「これはもうなくなったお寺のものなんだよ」とか説明してもらいました。

「書くよ」と言って直書きしてもらった円妙院と大雲寺の御首題です。面白いお上人でした。


深草駅まで戻り、丹波橋から近鉄に乗り換えましょう。続きます。
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京都古文化保存協会の「非公開文化財特別公開」が開催

2025-04-14 | 御朱印めぐり
春恒例の京都古文化保存協会の「非公開文化財特別公開」が今年も開催されます。詳細はこちら

16ヵ所が公開され、会期は4/16(土)~5/11(日)です。公開箇所により期間が異なります。


今回は伏見区の珍し目の寺院がリストアップされていることが特徴です。注目の寺院をご紹介したいと思います。


・円妙院(深草) 初公開 御首題:不明
宝塔寺の塔頭である円妙院が今回初公開されます。百貨店大丸の創業家である下村家の菩提寺とのことで、伊藤若冲が描いたとされる杉戸絵などが公開されます。

通常非公開で、ネットを見ても拝観した記録が出てこないため、極めて珍しいチャンスだと思っています。日蓮宗の寺院ですのであれば御首題があるかも知れません。


・大雲寺(深草) 御首題:あり
同じく宝塔寺の塔頭である大雲寺も公開されます。今回は源氏物語扇面屏風や庭園が公開されるようです。


・安楽寿院(竹田) 御朱印:あり
鳥羽上皇が開いた真言宗の寺院で、本尊の阿弥陀如来座像などが公開されます。

通常は申し込みをしないと公開していないため、予約なしで拝観できる良いチャンスだと思っています。


・北向山不動院(竹田) 初公開 御朱印:あり
同じく鳥羽上皇が開いた天台宗の寺院です。その名の通り不動明王像が本尊で、今回特別公開されます。

近畿三十六不動尊霊場の22番ですから普段から御朱印は頂けます。


伏見区は伏見稲荷周辺を除けば観光客が少ないためGWに回るのに便利だと思います。混雑を避けてじっくり鑑賞するのもオススメです。
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「第59回 京の冬の旅」に行ってきました②

2025-03-31 | 御朱印めぐり
毎年恒例の「第59回 京の冬の旅」のレポートの続きです。

少し歩いて建仁寺に行ってみます。西来院が公開されています。

西来院は1400年頃に蘭渓道隆により創建されています。蘭渓道隆は本格的な禅を日本に広めた中国の僧です。その後応仁の乱前後に焼失、慶長年間に再建されています。現在の本堂は1677年に完成しています。

長らく非公開でしたが、ご住職の「開かれた寺院にしたい」との意向で庭や書画の整備が行われ、一区切りがついたタイミングでの公開となりました。

庭はまだ新しさを感じるものです。さらにドウダンツツジを植え、蘭渓道隆に因んで蘭も植えるとのことで、花の寺にしたいとのこと。

天井画も描かれた白龍図です。

さらに画家の木村英輝さんが描いた涅槃図も公開されています。

一般的な涅槃図の形を取っていますが、マリリン・モンローやジミー・ヘンドリックス、さらにはブルーザー・ブロディも描かれています。ブロディは日米で活躍したプロレスラーで、日本では全日本・新日本の両団体のリングに上がっています。シングルでピンフォール負けを許したのはジャイアント馬場とジャンボ鶴田だけ、大学時代のルームメイトであったスタン・ハンセンとのタッグコンビはピンフォール負けがないという強いレスラーでした。1988年に刺殺されるという悲劇的な最期を迎えています。

人が来るお寺になればいいと思っています。

西来院の御朱印です。


もう一つ「京の冬の旅」の対象外ですが禅居庵もお参りしてみましょう。

14世紀前半に元からの来た大鑑清拙正澄が開いた塔頭です。16世紀半ばに焼失しますが、織田信秀によって再建されています。

摩利支天を祀る摩利支天堂が公開されています。

摩利支天の御朱印です。

今年の「京の冬の旅」は元々公開箇所が少ない上に目玉になる寺院が少なかった印象です。周辺の寺社も合わせて見て回るのがベターだったと思います。

今回の御朱印情報です。
霊山本廟  1種を寺務所で授与。
西来院   3種を拝観受付で授与。
禅居庵   1種を摩利支天堂横で授与。
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「第59回 京の冬の旅」に行ってきました①

2025-03-29 | 御朱印めぐり
遅くなりましたが毎年恒例の「第59回 京の冬の旅」を見てきましたのでレポートしたいと思います。

今年は「古都京都の文化財」が世界遺産に登録されてから30周年を迎えるのを記念して、世界遺産寺院の通常非公開の文化財を中心に特別公開が行われています。

今年は公開箇所が少ないためにどうすべきか悩みましたが、少しでも出かけてみたいと思います。


振り出しはJR京都駅から。まずは清水寺随求堂を回ってみたいと思います。

観光シーズンには数台待たないと乗れないバスですが、すんなり206番に乗ることができました。五条坂から清水寺を目指します。

清水寺の仁王門のすぐ先、無料拝観エリアに随求堂があります。

随求堂は1735年に建立された大随求菩薩を安置するお堂です。大随求菩薩は衆生の願いや求めに随って叶えてくれるというとされる有り難い菩薩ですが、長年秘仏とされてきました。2018年に222年ぶりに公開され、今回はその時に続く公開となります。

堂内は撮影禁止です。1728年に造られた1mあまりの仏像で非常に保存状態が良く、有り難くご尊顔を拝むことができました。さらに通常行っている胎内めぐりも体験可能です。


混み合うエリアですから早々に退散して三年坂から北に向かいましょう。維新の道に入ると興正寺の霊山本廟があります。興正寺の境外仏堂です。

興正寺は1212年に浄土真宗の宗祖・親鸞が山科に創建したお寺が起源とされています。興正寺の名前は順徳天皇によって名付けられています。その後7世の了源の代に東山に移転し「仏光寺」と改められますが14世の蓮教が本願寺の蓮如とともに山科に興正寺を再建、さらに1591年に本願寺とともに現在の堀川七条に移転し、江戸時代は西本願寺の末寺となっていました。

その後1876年に西本願寺から真宗興正派として独立、親鸞の遺骨を分骨され興正寺の歴代とともに祀ったのが霊山本廟です。

「御朱印やっています」との張り紙が見えます。西本願寺は御朱印をやらない宗派ですが、どうやらこちらは頂けるようです。

霊山本廟の御朱印です。頂く際に「(浄土真宗系では)珍しいですね」と話すと「そうなんですよ」とお坊さんが応対してくれました。同じ御朱印帳には飛騨高山の高山別院(真宗大谷派)の御朱印を頂いており、その話をすると驚かれていました。京都では仏光寺(仏光寺派)も頂けますが、ともあれきわめて珍しい御朱印です。

続きます。
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