JF4CADの運用日誌2.5

アマチュア無線局JF4CADの活動内容紹介ブログです。

日本橋七福神巡りに行ってきました①

2023-01-30 | 御朱印めぐり
首都圏でお正月に人気なのが「七福神巡り」。入谷・浅草など下町を中心にいくつかの七福神巡りがあります。今回日本橋人形町に宿泊することになったので「日本橋七福神巡り」をご紹介したいと思います。

日比谷線が走る人形町通りの東には江戸時代の初めには吉原遊郭がありましたが明暦の大火で焼けて以降は浅草の北に移転、その後芝居小屋が建ち並び賑わいました。今でも明治座が残っています。また大名屋敷も多く、水天宮は久留米藩主の有馬家の屋敷跡にあります。

「日本橋七福神巡り」は人形町駅を中心とした7社のコースで、東京では最も短時間で回れるとしています。かつては日本橋にお店を構える三越がタイアップしていましたが2020年を最後に中止しています。

どこから回っても構わないそうで、これまでに御朱印を頂いている小網神社と水天宮以外の5社を回ってみたいと思います。


それでは茶ノ木神社から。布袋尊を祀っています。

町の一角にポツンとあります。画像右手に老舗のサンドイッチ屋さんの「まつむら」が見えます。江戸時代この地は佐倉藩主堀田家の屋敷があり、祠をお茶の木で囲っていたことからこの名が付いたとされます。この堀田屋敷は火事に遭うことがなかったためいつしか火防の神様となり、初午の日だけ庶民にもお参りを認めたそうです。

明治以降も祠は残り、近所の住民が世話人会を作って管理してきました。その後地下鉄日比谷線の建設工事にあたって社殿が解体され、3年後に再建されています。1985年に日本橋七福神に加わっています。

このため今もご近所の方が世話をされており、御朱印などの対応も隣のビルにある社務所で行っています。

茶ノ木神社の御朱印です。


続いて松島神社です。大国様を祀っています。

鎌倉時代には創建されたとされています。当時この付近は小さな島になっており、下総の柴田氏がここに移り住み祠を建てたのが創建とされます。江戸時代に付近を埋め立て大名屋敷を造営するため地方から人が集められた際にそれぞれの地方の神様を合わせて祀ったためご祭神が多いそうです。その後関東大震災で焼け、区画整理の際に現在地に移転しています。東京大空襲で再び焼けたあと再建され、近年はビルの一角に社殿があります。

こちらも小さな拝殿ですが神職の方がいます。

松島神社の御朱印です。


続いては末廣神社です。毘沙門天を祀っています。

創建は分かっていませんが、少なくとも江戸時代初期には稲荷の祠があったようです。江戸初期はこの付近が吉原遊郭で、末廣神社は商売繁盛の神様として崇敬されたそうです。明暦の大火で吉原は移転しますがその後も賑わい、1675年に社殿を修復した際に扇が発見され「末廣神社」となったそうです。

NHKで2017年12月に放映された「さし旅」のロケ地となっています(神社マニアと巡る初詣開運ツアー)。「さし旅」は指原さんがその道のマニアのディープな面を紹介しながら町巡りをする不定期番組でしたが、新型コロナウイルスの影響でロケが困難になり2020年12月の放映をもって最終回の告知すらないまま終了したようです。

現在の社殿は東京大空襲で焼けた後1947年に再建されたものです。これまた小さな神社ですが神職の方がいます。しかも御朱印は直書き対応です。

末廣神社の御朱印です。


前半はここまで。後半に続きます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする