JF4CADの運用日誌2.5

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2022年浄土宗京都教区特別大公開を見てきました①

2023-01-06 | 御朱印めぐり
昨年10/15に浄土宗京都教区の寺院特別大公開に行ってきました。

【注】しばらくスキャナが使えない状態でしたので記事にするのが遅れています。当面昨秋の在庫放出になりますのでご了承下さい。

この「寺院特別大公開」は浄土宗京都教区が独自に開催しているもので、例年秋(10月)に京都府内の参加寺院が本尊や寺宝の公開を行うイベントです。普段門を閉ざしている街中の檀那寺(檀家で維持しているお寺)が拝観できるため、近年は人気のあるイベントでした。

公開の形態は各寺院に任されているのが特徴で、期間中全てで公開する必要はなく、極端な例では僅か3時間のみといった寺院もあります。

しかしながら新型コロナウイルスの影響で2020年・2021年と続けて中止になり(21年は開催寺院リストが出たものの一転して中止)、2022年も開催が危ぶまれましたが、感染防止対策を行った上での開催となりました。期間は10/1~29まで、参加寺院は2019年の約半分にあたる47ヶ寺でした。


今回は10/15に出かけています。例年1日限り、それも午前はまた午後の3時間のみしか公開しない下京区の本塩竃町(河原町五条付近)の各寺院を中心に当日公開されている未訪問の寺院を回ってみます。

まずはJR京都駅から地下鉄で南に1駅の九条駅へ。

交通局の「まぢピンチ」のポスターが貼ってあります。京都市交通局は観光客の激減で運賃収入が激減、インバウンド対応でバスを大量に買ったこともあり、一気に破綻寸前まで追い込まれることになりました。1日乗車券の料金引き上げ、京カードなど市民向けの割引体制の縮小などを行っています。今までは古い車両を国内で再登録できない形で廃車にしていましたが、地方の事業者に売ることができるよう見直しもしているようです。

九条駅から少し東に歩いたところに九品寺があります。

このように公開中は小坊主さんの旗を掲げており、これが目印です。

1131年に鳥羽上皇が鳥羽離宮に建てた阿弥陀堂を起源とするお寺で、当初は天台宗のお寺だったようです。鎌倉時代初期に法然の弟子である長西が北野で再興、このときに浄土宗に改宗しています。鎌倉中期または室町時代に現在地に移転、1807年からは尼寺となっています。

九品寺は本尊の阿弥陀如来像を公開しています。今は小さいお寺になっていますが、境内はよく整備されています。

九品寺の御朱印です。


それでは地下鉄で五条駅へ。

五条通を東へ向かうと本塩竃町に着きます。この付近は源氏物語の光源氏のモデルとされる源融の邸宅があった跡で、現在の大阪から海水を取り寄せて塩を作っていたため、塩竃の町名が残っています。源融は嵯峨天皇の皇子で、子孫は九州に下り蒲池氏となっています。蒲池氏は南北朝時代と戦国時代の二度断絶しかけるものの女系でなんとか再興され、その子孫が松田聖子さんだそうです。

付近では本覚寺・上徳寺・新善光寺が公開されています。

本覚寺から回ってみましょう。

1222年に源実朝の後室である坊門信子が真言律宗のお寺として創建、移転を繰り返したものの応仁の乱で荒廃、1503年に細川政元らにより浄土宗の寺院として烏丸高辻(現在の地下鉄四条駅の南付近)で再興、本山格になります。1591年に秀吉の命で現在地に移されています。江戸時代の二度の火災で焼失、塔頭を移転で失うなどで本山格ではなくなっています。

本覚寺は本堂を開けて本尊を公開しています。現在の本堂は1864年の「どんどん焼け(禁門の変で敗れた長州が藩邸に火を放ったとされる)」での焼失後の1866年に建てられたものです。

境内には大きな甕があります。恐らく明治以降に作られ何らかの入れ物として使われたものだと思われます。

本覚寺の御朱印です。


すぐ近くに上徳寺があります。

1603年に家康の命で創建されたお寺です。側室の阿茶局の菩提寺です。阿茶局は大坂冬の陣で徳川方の使者としてお初の方と和平交渉をとりまとめるなど大役を果たしています。

こちらも何度か火災に遭っており、現在の本堂は永観堂の祖師堂を移築したものだそうです。本堂の中には入れませんが扉を開けて本尊を拝むことができます。2023年の「京の冬の旅」でも公開されます。

上徳寺は「世継地蔵」で知られています。というかむしろこちらの方が有名です。

上徳寺の御朱印です。

後半に続きます。
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