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ゆきてかえりしひび――in the JUNeK-yard――

読書、英語、etc. jesterの気ままなおしゃべりです。(映画は「JUNeK-CINEMA」に引っ越しました。)

ネバーランド 恩田陸

2006-05-19 | 読書
恩田陸さんもあとがきで言ってますが、これって「ギムナジウム物」にしようと思っていたということです。 萩尾望都さん系の、ということでしょうか。

ネバーランド
ネバーランド


地方の寮制の進学校の男子校。
冬休み、3人の男の子がさまざまな理由で寮に残る。
そこに、一人で暮らしている男の子がもう一人加わり、4人で自炊して冬を過ごす。

ミステリ仕立てで、ホラーっぽい要素も取り入れてますが、すがすがしい青春物であります。

4人ともスポーツは万能だし、頭はいいし、よく物事を考えてるし、で、みんな素敵なんですが、高校生の男のこって、こんなにすがすがしいのだろうか・・・・と考えてしまいますが・・・・

女性作家の書いたものって、『こうあってほしい』っていう気持ちがこもってしまうのかな。
男性作家が書いた女性のパターンが往々にして決まっているのと同じかしら。


蒲公英草紙

2006-05-13 | 読書
恩田陸さんの本は何冊か読んでるのですが、常野シリーズは「エンドゲーム」から読んで、「蒲公英草紙」を次に読み、「光の帝国」はまだ読んでないんです。
順番が逆だし・・・・

でも最初からぐいぐい引き込まれました。

幼い女の子の目から見た視点で、大地主の一家と、そこを尋ねてきた不思議な「春田一家」について語られるのですが、出だしからかなりテンポもいいし、キャラも生き生きしていて、魅力的です。
静かな語り口なのですが、少女の胸のときめきや困惑が伝わってきます。

途中までのテンポが急に中盤になってだれるのだけれど、そこを我慢して読んでいくと、怒涛のラストに。

最後は泣かされました・・・・。

短い話なのであっという間に読めてしまいますが、読んだ後暖かい涙にしっとりと浸れるラストで、一時現実逃避ができる、楽しめるファンタジーです。

蒲公英草紙―常野物語蒲公英草紙―常野物語

陰陽師 龍笛ノ巻

2006-05-11 | 読書
引き続き、夢枕獏さんの陰陽師シリーズを読んでおります。

陰陽師 龍笛ノ巻
この巻では、黒猫を連れた賀茂保憲が出てきたのも嬉しかったけど、なんといっても「虫めづる姫」がうれしかったな。

高校の頃読んだ『堤中納言物語』のなかで、一番好きだったのは、「虫めづる姫」だったのでした。

「人はすべて、つくろふところあるはわろし」とて、眉さらに抜きたまはず。歯黒め、「さらにうるさし、きたなし」とて、つけたまはず、いと白らかに笑みつつ、この虫どもを、朝夕べに愛したまふ。
(jester拙訳: 「人間はみな、作るのは良くないわ」と眉も抜かず、お歯黒も「面倒だし汚らしい」と付けないままで、白い歯で笑いながら、虫たちを一日中可愛がっていました。)

この自然体がいいじゃないですか!
友達に「ぎゃはははは!! これ、あんたみたい」といわれました・・・
・・・確かにあれは、ほめ言葉じゃなかったと思うけど。

しかし、このお姫様は、知性も高いんですよ

「さはありとも、音聞きあやしや。人は、みめをかしきことをこそ好むなれ。『むくつけげなる烏毛虫を興ずなる』と、世の人の聞かむもいとあやし」と聞こえたまへば、「苦しからず。よろづのことどもをたづねて、末を見ればこそ、事はゆゑあれ。いとをさなきことなり。烏毛虫の、蝶とはなるなり」そのさまのなり出づるを、取り出でて見せたまへり。
 (jesterのいい加減な拙訳:「そうはいっても、聞こえが悪いわよ。人は、見た感じがいいことが好きなの。『気持ち悪い虫が好きだ』なんて世間の人に聞かれるのは嫌でしょ」と周りの人が言ってみても、「私は気にならないわ。いろんなことがどうなっているのかを研究して、その行く末を突き止めるからこそ、その理屈がわかるのよ。人の噂を気にするなんて馬鹿だわ。毛虫が蝶になるのはおもしろいのよ。」と、羽化の様子を、取り出してきてみんなに見せたのでした。)

なんて具合で、少女jesterは密かに「虫めづる姫」を尊敬しておりました。

その姫が晴明と博雅に会うなんて、小説じゃなくちゃ読めない醍醐味です。
しかも、少年のようにかっこいいお姫様だなんて!
感激しました



そのほかにもいくつか短編がはいってますが、「首」っていうのがとっても怖かった。

藤原純友の乱の残党を捕まえ、見せしめのために、その体を土に埋めて、届かないところにご飯を置いて、それを鳥が食べるのを見せながら苦しめ(そして鳥につつかれながら)死んだなんて・・・・そりゃあ怨霊になって出てきちゃいますよね・・・・

陰陽師 飛天ノ巻

2006-04-25 | 読書
引き続き夢枕獏さんの陰陽師シリーズを読んでます。
陰陽師―飛天ノ巻
陰陽師―飛天ノ巻


相変わらず晴明と博雅の

「ゆくか」
「ゆこう」
「ゆこう」
そういうことになった。
 

というおなじみの会話も楽しいです。
短編集ですが、哀しい人間の業がかたられます。

漫画とほとんど同じ内容ですが、漫画にはなかった『鬼小町』のラストが哀しかった。
男からの性の対象物として、それだけを頼りに生きていた頃の女は哀れです。
(あの時代だって他の生き方をしていた女はいると思うけれど・・・)

「安心しろ、博雅よ。人は人でよいのだ。博雅は博雅でよい」(P57)なんていう晴明の言葉に救われたりして・・・



23日にロード・オブ・ザ・リングスSEEイッキミに行ってきました。13時間に及ぶその模様はJUNeK-CINEMAにて・・・

春の数えかた 日高敏隆

2006-04-20 | 読書
花が咲き、虫が目覚める春が来ると読み返したくなる、日高さんのエッセイ。
春の数えかた

出版されてから6年経つから、内容的にはもう古いのかもしれないけれど、その面白さは抜群で、虫や植物の生き残りへのストラテジーには驚愕してしまいます。
これを片手にふらふら公園などを散歩し、虫や花を観察してみるのも楽しい。

カマキリがその年の雪の降雪量を予測して、卵が凍らないように、雪に埋もれない位置に卵を産むらしい、という話を読んでビックリしたのもこの本だったし、窓を開けていて入ってきた虫を、嫌がらずにのんびり眺めるようになったのもこの本のおかげでした。


読むたびにビックリしてしまうのは、読んだ内容を忘れているjesterのボケのせいだけれど、いつも面白いと思うのは「アメリカの13年ゼミ、17年ゼミ」の話。

そういえば、アメリカで17年ごとにセミがいっせいに成虫になって、うるさく鳴いて大混乱する、というニュースを何年か前にやっていたけれど、その理由は「13、17が素数だから」という説があるのだそうです。

13とか17とかいうのはいわゆる素数(1とその数以外では割り切れない)なんだけれど、セミにつく寄生虫が親ゼミにとりつくために、17年とか13年待たないといけない。これが12年周期だと、2年目、3年目、4年目、6年目ごとにどこかで親ゼミが発生し、寄生虫がとりつける。

つまりどうせ親ゼミになるなら、素数の年毎だと、寄生虫が17年待たなくてはいけなくて、死んでしまうから都合がいい。

というのだけれど・・・・・

ほんとなのか? そこまで考えて、幼虫で17年も過ごすのか、セミ。
この説が正しいとしたら、虫ってすごい。自然ってすごい。

そう思わせる話がたくさん載っていて、しかも門外漢のjesterでも楽しく読める分かりやすい文章のエッセイ集です。

ダ・ヴィンチ・コードは盗作?

2006-04-08 | 読書
BBCニュースで「Da Vinci Code が盗作疑惑で裁判に」といっていたのを聞いたので、早速検索をかけてみました。

結論から言うと、この訴訟、先ほどロンドンで棄却されたらしいデス。
詳しくはこちら

Michael Baigent and Richard Leighという人が書いた、The Holy Blood And The Holy Grailという本の中に、キリストとMary Magdaleneが結婚して子供がいたという説が書いてあり、これを話の中心として盗用してDa Vinci Code で使った、というのが訴えの内容。


映画の公開前の話題づくりっぽい感じもありありですけれど・・・・


あ~~それにつけても「ダ・ヴィンチ・コード」の前売り券、どこに行っちゃったんだろう・・・
確かに買ったのに!
おまけでついていた、モナリザの絵を投影できるライト付のボールペンは目の前のペン立てにささっているのに、前売り券がない!
(おまけにいうと、一緒に買った「ウォレスとグロミット」の前売りもないの・・・ もうこっちは公開が終わっちゃうよ~~)


陰陽師

2006-04-07 | 読書



jesterの陰陽師道(?)は岡野玲子さんの漫画がその導入口で、この作品の晴明と博雅の掛け合いが楽しくて興味を持ったのですが、それが嵩じて映画のDVD( この記事はこちらにあります)を見たりもし、京都旅行の折には晴明神社詣でまでしたのです。






でもこのブーム(って、今はもうとっくに通り過ぎてますが)の元を作った、夢枕獏さんの陰陽師(おんみょうじ)陰陽師(おんみょうじ)はいまだ読んだことがなかったので、これを期にポチポチ読み始めました。

現代のように、一晩中明かりのついている眠らない都市ではなく、世も更ければ真の闇に包まれ、月でもなければ鼻を包まれても分からないような、平安の都の濃密な暗がりの中なればこそ、魑魅魍魎が闊歩しているのが不思議ともいえないのでしょう。
ささやかな月の光の中で、鬼やらもののけの存在が日常茶飯事であった頃。


現実的で無骨な音楽家、博雅と、謎めいた優雅な陰陽師、晴明の会話で話が進むのは漫画と同じですが、その独特の世界を読んでいると、軽くトリップしちゃいます。


読む前は、漫画ですらあんなに難しいのに、小説・・と思っていましたが、あにはからんや、小説のほうが分かりやすいかも・・・・

漫画のほうは岡野さんがこの世界に酔いしれているだけ、無駄な部分が切り捨ててあり、それを情緒豊かに観念的な絵で伝えようとしているのですが、モノトーンの世界では伝わりにくいものや見落としてしまうものもあります。

主要メンバーの顔かたちはそれは美しく、描き手の愛を感じますが、それ以外のキャラクターの(特に女性)書き分けがいまいちなこともあって、時々「どういう意味?」「これは誰だろう?」と悩みながら読む感じです。

ま、そこがいいのだけれど。

小説は、万人に分かりやすく書かれているので、「読めば分かる」。
なにしろすべて言葉で説明してあって「○○はこういった」って書いてあるので「この顔はどこかで見た・・・だれだっけ?」なんて悩まなくて済むのです。(爆)

もともと夢枕獏の小説は会話が多く、改行も多く、したがって1ページを文字が占める割合がものすごく少ないです。だから活字慣れしてない人でも読みやすい。その上、描写は現代的かつ絵画的ですから、小説のほうが漫画より平易ともいえるかも。

ま、こういっちゃ元も子もないですね。

分かりやすいってことは、想像の余地があまりない、ってことだから、それなりの読解力がある人には物足りない、味わいがない、とも言えるのかもしれませんが、平易なのが夢枕獏の持ち味かな、と思うし、この小説は題材が平安時代と目新しいので、大人でも充分楽しめます。

この巻には、「玄象といふ琵琶鬼のために盗らるること」「梔子の女」「黒川主」「蟇」「鬼のみちゆき」「白比丘尼」と、漫画でもおなじみの題材が含まれていて、漫画既読の方も、漫画との違いを楽しみながら読めると思います。


対岸の彼女

2006-03-17 | 読書
買ったまま積読になっていた角田光代さんの「対岸の彼女」を読み終わりました。
直木賞をとってからずいぶん経つのに、相変わらず牛歩のjesterです。

久しぶりに、よい本を読んだという充足感を味わっております。
何度も繰り返し読みたい本。

対岸の彼女
 普通の人たちが、普通に生活していく中で、零れ落ちそうな心の動きを丁寧にひろって紡いだ小説。

人間関係に悩みながら、なんとか自分らしく生きたいと模索を続ける女たち。
人と出会うってなんだろう。
人生にはどういう意味があるのだろう。
なぜ私たちは年齢を重ねるのだろう。

幼い娘を連れて公園に行っても、友達の出来ない娘と公園ママさんのグループに入れない若い母。

友達にいじめられ、家族で引っ越して、新しい環境で学校に通いだした高校生。

旅行会社を作り、ワンマンといわれつつ、前向きに進もうとする女社長。

地味で、自分のすぐ横にもいるような、いや、もしかして自分の分身かもしれない人々が、「あなたはこう生きるべきだ」という周囲からのお仕着せを破り、自分らしく生きるためにひたむきに汗を流し、悩み、時には泣き、笑い飛ばし、強くなっていく姿は、静かな感動を呼びます。


 おとうさん、なんであたしたちはなんにも選ぶことができないんだろう。父の言葉にうなずきながら葵は心の中で叫ぶように言った。何かを選んだつもりになっても、ただ空をつかんでいるだけ。自分の思う方向に、自分の足を踏み出すこともできない。ねえおとうさん。もしどこかでナナコがひどく傷ついて泣いていたら、あたしには何ができる? 駆けつけてやることも、懐中電灯で合図を送ることもできないじゃないか。何のためにあたしたちは大人になるの? 大人になれば自分で何かを選べるようになるの? 大切だと思う人を失うことなく、行きたいと思う方向にまっすぐ足を踏み出せるの? (P226より)

涙をいっぱいにたたえた葵の心の叫びに答えは出るのでしょうか。
答えは本の中に出ています。
未読の方はぜひ読んでみてください。

物語と出会う頃

2006-03-09 | 読書
物語には、出会う時期っていうものがあると思うのです。

ファンタジーはなおさらです。

作品がどんなに良質のものであったとしても、それが子供向けにかかれたものであったなら、大人になってから読んでも、それが生活の1部になってしまうことはないですよね。

日常の生活に追われながら、初めて、魔法とか小人とか妖精とかの世界にどっぷり浸るのは、どんなに心の中に子供がすんでいる人でも、難しいところがあると思います。

だからこそ、幼い人たちには、心の柔らかい、小さな頃に、良質の児童文学にたくさん出会って欲しいな、と思います。

そうして心に入り口を作っておけば、大人になってからでもファンタジーの世界に簡単にいけるから。
それがどんなに、苦しいときの避難場所になってくれることか。


(ま、jesterみたいに避難しっぱなしの現実逃避生活も困りますが・・・・


今回、子供の頃にナルニアを読まずに、大人になってから『ナルニア国物語』の映画を突然みた人は、なかなか入りづらいのではないかしら。

どうしても、他の映画とCGを比べたり、戦闘シーンを比べたり、そういう方向から見てしまうかもしれません。(もちろんそれはそれで、一つの見方ですが)



その点jesterは小学校のときにナルニアと出会うことが出来て幸せだったと思います。
まるでふるさとにもどったような気がしました。

自分もいつか魔法を使えるようになるかもしれないと信じていた頃。

だからワードローブの向こうにある雪の中のランプポストも、タムナスさんの居間のお茶も、アスランも、そして泥足にがえもんも、銀の椅子も・・・・・

すべて現実と混同するほどリアルに受け止め、自分の一部になっていたんじゃないかと思います。
というか、あの頃jesterにとっては現実と同等に平行して成り立ってる世界で、
「なにかあっても、あっちに逃げ込める」っていう場所でした。

かくれんぼをしていたら、いつの間にか別の世界にいってしまうかもしれない。
誰も知らないうちに・・・・
押入れの奥に隠れるとき、ちょっと恐ろしく思いながらも、期待してた子供時代。

(そして、オニが捜しにきて足音がすると、決まってトイレに行きたくなるあの緊張感。何度漏らしそうになったことか(殴

それを今、映像として見せてもらった幸せ。

まさに「生きてて良かった」です。 

長生きすればつらいことも多いけど、いいこともまたたくさんあるもんじゃのお。



映画を見終わって、「あ~~~ 手塚治虫さんに見せたかった・・・・」
なんて思ってしまいました。

ロード・オブ・ザ・リングスのときも同じことを思ったのです。
手塚さんはバクシアニメをアメリカまで見に行った、というほどの人ですから、きっと喜ばれたことだろうと思って。

それを、手塚さんの漫画をリアルタイムで読んでいたファンの友人にいったら、

「ああ、手塚さん、きっと悔しがっただろうね・・・・ 
あの人、あんなに忙しくても、自分より若いひとが描く漫画も全部読んでたし、けっこうジェラシーもある人だったから、
『自分がこれをやりたかったのに!』っていったと思うよ。
宮崎監督のアニメなんかも、きっと悔しがったと思うもの」

といわれました。

そうです、そうです、同業者としては、単にファンとしてでなく、『自分ならどう作るか』という視点でもご覧になったでしょうね。


天国にも音響のいい映画館があると良いです。



この記事、JUNeK-CINEMAにも同掲しました。

追悼 茨木のり子さん

2006-02-27 | 読書
前に10月31日の記事で書いた茨木のり子さんが亡くなりました。

一人暮らしで、たずねてきた親戚の方が発見されたそうです。
79歳。



孤独な死は寂しかったろうか。

のり子さんのことだから、
飄々と一人去っていった気がする。

「一人でいるとき淋しいやつが 二人寄ったら なお淋しい」
 なんて嘯いてる気がする。



ご冥福をこころよりお祈りします。




  どこかに美しい村はないか
 
  一日の仕事の終わりには1杯の黒麦酒

  鍬を立てかけ 籠を置き

  男も女も大きなジョッキをかたむける



  どこかに美しい街はないか

  食べられる実をつけた街路樹が

  どこまでも続き すみれいろした夕暮れは

  若者のやさしいさざめきで満ち満ちる



  どこかに美しい人と人との力はないか

  同じ時代をともに生きる

  したしさとおかしさとそうして怒りが

  鋭い力となって たちあらわれる







おんなのことばおんなのことば
 より 『六月』 by 茨木のり子


新しいターシャの本♪

2006-02-08 | 読書
新しいターシャ・テューダーの本が出ました

前にもこのブログで何回かターシャの写真集とかターシャの絵本をご紹介しましたけれど、
これは、写真集のほうデス。

ターシャの家

今までの写真集でも、ターシャの家の中は紹介されていたけれど、この本は、使っている道具を一つ一つアップにして説明してくれたり、いつもいるのはこのお部屋です、ご飯を食べるのはこの部屋です、なんて、まるでターシャのうちに遊びに行って、いろいろ見せてもらっているような気分になれる、とても楽しい本デス。

「年をとったらターシャみたいに生きる!」が合言葉(誰とだよ)のjesterには必須アイテムといえましょう。



そしてターシャのスケッチブックから、ラフスケッチ(彼女のスケッチはいつもラフだけど)を集めたもの。

ターシャのスケッチブック

jesterはターシャの絵はあまり興味がないので、こちらは立ち読みで(殴我慢しました・・・・。

365日のスプーン

2005-12-27 | 読書
白くて手のひらにのるサイズ。(したの画像はほとんど原寸大)
でも厚さは464ページととっても厚いのです。
おーなり由子さんの 365日のスプーン を買いました。

365日のスプーン

365日の日付とともに、季節ごとのその日をどう味わってすごすか、楽しい一言や、背中を押して元気付けてくれる一言が、シンプルな絵と一緒に詩のような美しい言葉で書かれています。

たとえば

「2月4日、しもばしらの楽しみ

1、早起きして、しもばしらをふむ。

2、しもばしらを横からながめる。
  (氷の御殿)

3、しもばしらの
  小さな氷の柱に
  朝の光が透けて屈折するのを見る。

4、じゃりん、ざくざく、とこわす。」




ああ、そうだ、6月になったら、雨の匂いをかんだり、雨の音を聞いたりしよう・・・・

なんて、今から新しい季節に向かってわくわく出来ます。

自分で分厚いノートを買って、自分なりのこんな素敵な来年の計画を立ててみるのも素敵かもしれませんね。


ちなみにjesterが買った本屋さんでは、かわいらしいスプーンとユーカリの葉っぱがおまけについてきました。
先着30名さまだそうです。

ポテト・スープが大好きな猫

2005-12-21 | 読書
ポテト・スープが大好きな猫

最近本屋さんでふと手に取った絵本デス。

大体ポテトスープが大好きな猫なんかいるのだろうか?
という疑問から手に取ったのですが、いる、という前提で書かれている本。

猫の絵はちょっとライオンみたいですが、かなり頑固な猫なので、こういう顔つきもありかも。

おじいさんの家のポストの横(下)には古いベンキがおいてあって「ジャンクメールはこちら」なんて書いてあるところが心憎いデス。

読んだ後、頑固な猫とおじいさんのふれあいが、ほんのり心を癒してくれる、ポテトスープみたいに温かい絵本でした。

お友だちのほしかったルピナスさん

2005-12-19 | 読書
ビネッテ・シュレーダーの絵本はどれも好きですが、この絵本は特に家族Bが小さい頃よく一緒に読みました。
お友達の欲しいルピナスさんのところに、ロベルトという鳥が連れてきてくれたお友達はパタコトンとハンプティ・ダンプティ。

お友だちのほしかったルピナスさん

娘は特にハンプティ・ダンプティが大好きでした。

ビネッテの絵本としてはわりと初期にかかれたものですが、彼女の独特の絵の世界はそれなりに確立されていて、読むたびにその不思議な、魔法っぽい雰囲気に親子でどっぷり浸っていました。


ビネッテ・シュレーダー

2005-12-18 | 読書
絵本でも、子供向けに書かれた「可愛い絵柄」はあまり好きではありません。

可愛い、というのはつまり、『読者が可愛いとおもうだろうな~』と意図されて書かれたような絵本。

もっと個性的で、独特の世界を持っているような絵本が好きです。

ドイツの絵本作家、ビネッテ・シュレーダーはそんな作家の一人。

ラウラとふしぎなたまご

たとえば、この本ですけれど、暗い森の中で、夜に起こる不思議な出来事がかかれてます。
不可思議でちょっと不気味な、しかし美しい絵で物語が語られます。

読み聞かせしている大人も充分楽しめる、芸術性の高い本だな、と感じられる1冊デス。