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奥田英朗がすごい 「オリンピックの身代金」

2010年02月21日 | くまちん
 オリンピックたけなわである。オリンピックで思い出したのが,昨年秋に読んだ奥田英朗の「オリンピックの身代金」。読み終わったときには,これは素晴らしいと感動し,その勢いで最新刊の「無理」にも手を伸ばした。「このミステリーがすごい」などの年末恒例の番付でも上位ランクを期待していたのだが,「このミス」はベストテン圏外,「週刊文春」でも8位どまり(「無理」が6位)だったのが残念。
 確かにミステリーという点からすれば,この主人公が何故に「身代金」に固執するかが今ひとつ説得力に欠けるという欠陥は抱えているのだが,しかし,昭和39年のオリンピック目前の東京という「舞台」での群像劇を見事に描ききっている(著者は私より2歳年長の昭和34年生なのだが)。この「舞台」に目が慣れていくうちに,私たちには北京オリンピックの狂騒がフラッシュバックする。あの狂騒を特異なものとして眺めている国の過去にそっくりな情景があったことを思い起こさせられる。
 小林良子という若い女性の登場人物が「ついでに丸井の本店で月賦の支払をする。欲しい物も物色する。若い良子たちに10回もの割賦販売してくれる店は,丸井しかない。」(23頁)という記述に,ハッとさせられる。そうか,「与信」という観念が健全に生きていた時代はこういうものだったのだ。「キャッシング」という「新しい日本語」が知らない間に消費者の感覚を恐ろしくねじ曲げていることに気づかされる。
 「東京と秋田が同じ国とは思えねえべ」(55頁)という絶望的述懐が,集団就職・出稼ぎ・人身売買というこの国につい四十年前まで普通にあった現実とともに突きつけられる。
 そして四十年後に形を変えた地方と東京の絶望的な格差の「現実」を見事な群像劇として描いているのが,最新刊の「無理」である。平成大合併で誕生した「ゆめの市」という名ばかりで実は夢のない東北の町を舞台に,生活保護行政・産業廃棄物行政・悪徳商法・新興宗教などの問題が,生々しいリアリティで描かれている。国道沿いの量販店・ファミレス・パチンコ店ばかりが目立ち,商店街が軒並みシャッターを下ろしているという東北・北海道に限らず全国各地に普遍的となってしまった情景の中,暮らす町に誇りも夢も持てない人々が,とりあえず東京か県庁所在地に出なければ人生は終わり,とにかく手段を選ばず金をつかまないと人生は終わり,さもなくば虚無的刹那的に生きたいと考えてしまうことを,我々はどれほど強く非難できるのだろうか。作品としてはやや尻すぼみで,ラストは凡庸という気がしないでもないが(だから文春で「無理」の方が上位なのはどうかと思う),これは現代日本社会が崩壊への坂を不可避に転がり始めてしまっていることのメタファーと善解しておくことにしよう。
 奥田英朗が直木賞に輝いたのは,楽しい読後感の伊良部ドクターシリーズだが,それとは趣の違うこれらの作品を読む限り,今後目の離せない作家になりそうである。

PS 「地方と東京の格差」というと,日弁連会長選挙が想起されるが,こちらも3月10日の再投票でどういう結果になるのか目が離せない。
(くまちん)