日本裁判官ネットワークブログ
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 去年、asahi.comに出ていた記事からの引用なので、間違いがないとも限らないが、当時、実施を目前に控えていた韓国の国民参与裁判について、次のように紹介している。
 日本の裁判員法とは、
 ① 殺人や強盗などの重大犯罪を巡る刑事裁判の一審が対象
 ② 裁判に参加する人が国民から無作為で選ばれる
という点で共通しているが、
 ③ 評議は陪審員だけで始めるが、全員一致にならなかったら裁判官が加わる
 ④ 評決は陪審員だけで出すが、裁判官はその評決と違う判決を言い渡すことが   できる
 ⑤ 被告人が、国民参与裁判か、裁判官だけによる裁判かを選択できる
とする点では、大きな違いがあると思われる。

 この記事によると、当時、韓国最高裁は、対象になる裁判件数は年間4千~5千件あるが、被告は不面目を避けたがって、一般市民の参加を望まないだろうから、実際に開かれる国民参与裁判は100~200件程度にとどまると予想していたそうだ。
 その後これまでに、実際にどれほどの件数が参与の対象とされたのか、まだ情報を探していないが、わが国でも上記の⑤の点にある被告人の選択権が認められるのであれば、現在の規定よりは、かなり受け入れやすくなると思う。
 韓国の司法制度については、死刑が廃止されるのかという点が、われわれにとって国民参与の点以上に、大きな影響を及ぼすであろう。
 今、韓国では大勢の女性を殺害した凶悪犯の量刑が社会を二分する論争の的となっているようであり、これまで裁判所は死刑の選択をやめていないが、その執行は久しく行われていなかったことに対し、執行の再開を要望する声が強まっているらしい。世界の大勢が死刑廃止に向かっているという議論に対し、私は共感を持ちにくく、むしろ、被害者が一人であっても常に死刑を避けるべきではないと訴えたい。その点では、最近の検察が被害者遺族の癒されない苦痛を強調して、死刑の選択を強く求めようとしている姿勢を評価している。
 従って韓国が仮に死刑を廃止しても、日本がそれに倣うべきだとは思わないが、
死刑廃止国が死刑のある国に対して、犯人引渡しを拒む可能性を考えると、悩ましい問題が生じかねないとは思う。
 そもそも日本の裁判員法は、死刑の選択を極端に避けたがる裁判所に対する不信感の産物であるように思える。
 そうでなければ、量刑を裁判官だけに任せられないと言っているような法律ができるはずがない。
 また裁判員法は、実際に施行される前に、被害者無視を責められるような判決をなくす上で、相当な影響を及ぼした。私の立場からは、それは是認できることだ。
 しかしこれから現実に、裁判員が、ただ法律が一律に裁判員の関与を強制しているからというだけの理由で、死刑事件に引っ張り出され、劇薬とも思える検察官の
立証を突きつけられることには、弊害が生じるに違いないとも思う。 
 無罪を訴える被告人にとっても、たとえば集団毒殺事件のように、犯人に対する処罰感情がきわめて強く、有罪に疑問を持つ裁判員がいても、その表明をためらいはしないかと思われるような事件では、裁判官だけに審理してもらう方がましだと考えることも、大いにあり得るであろう。
 だから、やはり被告人の選択権を排除すべきではない。
 何度繰り返しても暖簾に腕押しだとは思うが。       (山田眞也)


















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