先住民族関連ニュース

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いつ?どこ?修学旅行難題 人気のウポポイ「入場制限も」

2020-06-27 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/27 05:00
 道内の学校の修学旅行が、新型コロナウイルス感染拡大の余波を受けている。各校は日程延期のほか、行き先を道外から道内に変更するなど対応に追われ、7月に開業するアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」(胆振管内白老町)では修学旅行の予約の急増で、混雑緩和策の検討を急ぐ。子どもたちにとっては一生の思い出となり得る行事だけに、感染リスクを避けながら実施するための模索が続く。
「修学旅行を本当に実施できるのか」。札幌市内の中学校の教頭は気をもむ。感染拡大に伴い、日程を5月から9月に延期し、行き先も関東から函館・青森に変更した。ただ、「密」にならないようバスの台数や宿泊する部屋数を増やすなど課題は多く「不安は尽きない」と明かす。
計画急ピッチ
 道内では例年5~6月に修学旅行を行う小中学校が多いが、今年は新型コロナの影響で実施時期を2学期以降にずらす学校が増えている。夏休み前には各家庭に宿泊先や交通手段、旅費の変更などを伝える必要があり、各校は計画づくり急ピッチで進める。
 釧路市内のある中学校は、8月に札幌や後志管内ニセコ町を訪れる計画を変更しないことを決めたが、再流行が起きないとも限らない。校長は「計画を早め、できるうちに行く方が良いかもしれないが、調整は難しい」と話す。
「札幌避けた」
 道教委は6月12日付の各市町村教委などへの通知で、修学旅行先を道内にするよう検討を要請。旅行中に児童生徒の感染が判明し、検査や治療を行う際も「道内であれば情報収集を含め円滑に対応できる」(義務教育課)からだ。再流行で都道府県をまたぐ移動が制限された場合も想定したという。
 函館市内では行き先として地理的に近い東北を選ぶ小中学校が多いが、函館市教委は道教委の通知を受け、小学校は市内と近郊、中学校は渡島・檜山・胆振・後志の4管内に限定した。「道内でも感染が続いている札幌は避けた」と担当者。
 一方、渡島管内七飯町の中学校は予定通り、北海道新幹線を使い東北に向かう。七飯町教委は「移動時間が短く、感染者が少ない東北の方がリスクは低い」。新幹線の座席の消毒などにも気を配るという。
子ども尊重を
 受け入れ先も態勢づくりを急ぐ。道教委の通知で訪問先の例として挙げられたウポポイは、12日以降の1週間で、道東や道南などの学校からの見学予約が30校、計3千人分増えた。修学旅行だけで千人以上の予約が入った日もあり、運営するアイヌ民族文化財団(札幌)は「申し込みが増えるのはうれしいが、入場制限などを考えざるを得ない」。児童生徒が密集しない形でアイヌ文化の魅力を伝えられるプログラムを検討中だ。
 道教大札幌校の前田賢次准教授(教育方法学)は、修学旅行でコロナ禍の観光地への影響なども学ぶことができると指摘。「このような状況でも、修学旅行を楽しみにしている子どもがいる。子どもたちの思いに寄り添った旅行にしてほしい」と話す。(嘉指博行、鹿内朗代、野呂有里)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/434885

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ウポポイ 観光関係者向け内覧会、7月4日

2020-06-27 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/27 05:00
 政府は7月4日、道内の旅行業者ら観光関係者向けに、胆振管内白老町で12日に開業するアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」の内覧会を開く。新型コロナウイルスの感染が続く中、ウポポイ見学を組み合わせた旅行商品の開発に役立ててもらう。
 日本旅行業協会と全国旅行業協会に加盟する道内の旅行会社などから50人以上が参加する予定。伝統舞踊の見学や、新型コロナ感染対策も確認する。赤羽一嘉国土交通相も視察する。
 内覧会に先立ち、4日午前には札幌市内で道内の観光・交通団体の関係者も集めて意見交換会を開く。ウポポイや、8月上旬の開始を目指す観光需要喚起策「Go To キャンペーン」を道内旅行の活性化につなげる方策を検討する。
 一般道民向けのウポポイ内覧会も開く方針だったが、開業準備を優先し、見送った。(山田崇史)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/434858

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アニメ文化発展へ「北の絵コンテ大賞」 道が新設 初年度テーマ「アイヌ文化」

2020-06-27 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/27 01:33 更新
 道は本年度、北海道を題材にした恒例の漫画コンテスト「北のまんが大賞」に加え、「北の絵コンテ大賞」(仮称)を創設する。絵コンテは映像作品の撮影前に、イメージをイラストで表現する図で、アニメ文化発展の後押しも狙う。
 初年度の絵コンテ大賞のテーマは「アイヌ文化」で、胆振管内白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」の開設に合わせて道民の関心や理解を高めたい考えだ。
 募集する絵コンテは、アニメにすると数分程度の分量。8月以降に募集を始め、北のまんが大賞と同時の来年1月ごろに入賞作品を発表する予定。道文化振興課は「7月12日に開業するウポポイに行って、作品のイメージを膨らませてほしい」と話している。
 北のまんが大賞は2016年度に北海道の歴史や文化、観光地の魅力発信のほか、道内の漫画家の育成を目的に創設。第4回となった19年度は約100作品が道内外から寄せられた。歴代の入賞作品は公式ホームページで読むことができる。(村田亮)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/434895

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企画展をネットで公開 北海道博物館

2020-06-27 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/26 19:48
 北海道博物館は26日、新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止した企画展「楽器 見る・知る・考える」の展示品などの紹介を公式ホームページで始めた。同館所蔵の多様な楽器に気軽に触れることができる。
 獲物をおびき寄せるための笛や熊よけのラッパ、アイヌ民族の弦楽器トンコリなど北海道になじみの深い楽器などを掲載。民族音楽研究家枡谷隆男さん(北見市出身)の解説動画では、カモの鳴き声そっくりの音を出す楽器の実演もあり、シカ笛などの実演も順次公開する。楽器にちなんだクロスワードパズルもダウンロードして楽しめる。
 担当者は「実際の企画展の中止は残念だが、オンラインの特徴を生かし、動画などを充実させていきたい」と話す。(安倍諒)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/434795

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ウポポイ 事前予約制 政府、混雑回避 入場数を制限

2020-06-27 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/26 05:00
 政府は、7月12日に開業する胆振管内白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」を当面、事前予約制にする方針を決めた。1日に入場できる客数を制限して施設内での混雑を避け、新型コロナウイルスの感染防止を徹底する。予約手続きの際に連絡先などを入力してもらい、感染者が発生した場合に感染経路をたどりやすくする。
 予約は、今後開設する専用サイトで受け付ける方向。客が氏名や電話番号を入力し、クレジットカードなどを使いネット上で決済すると、QRコードが発行される。ウポポイの入場口にある読み取り機にQRコードをかざすと入場できる仕組みだ。
 予約制をとらない場合、客が入場口付近で氏名などを記入したりチケットを買ったりして感染リスクが高まりかねない。ネットによる事前予約制を導入すれば、こうしたリスクを避けられると政府は判断した。
 1日に受け入れ可能な最大の入場者数をどの程度に設定するかは検討中。ネット予約に加えて、電話予約やコンビニの端末を使ったチケット販売ができないかも探っている。
 政府はウポポイについて、感染防止対策が徹底された道内のモデル施設としたい考え。既存の国立施設では、東京国立博物館や国立科学博物館上野本館が、混雑回避のため予約制を導入している。(長谷川紳二)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/434494

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ボブ・ディラン「コロナの捉え方は無数にある」 インタビューで語った新譜、死、特別な存在…

2020-06-27 | 先住民族関連
The New York Times 2020/06/27 7:50
数年前、ニューヨーク州サラトガ・スプリングスの木陰に座り、私は2時間にわたってボブ・ディランと話をした。話題はマルコムXからフランス革命、フランクリン・ルーズベルト、第2次世界大戦などに及んだ。
あるタイミングでディランは私に、1864年のサンド・クリーク虐殺についてどのくらい知っているか、と尋ねた。「あまり知りません」と答えると、ディランは折り畳みいすから立ち上がってツアーバスの中に入り、5分後に戻ってきた。ディランが手に持っていたコピーには、アメリカ軍兵士がコロラド州南東部で、温和な先住民族のシャイアン族とアラパホー族を何百人も虐殺したことについて書かれていた。
アルバム発売前の唯一のインタビュー
ディランとの間にはこうした関係があったので、今年の4月にも気後れすることなくディランに連絡が取れた。ディランはコロナウイルスの危機のさなかに、突如、17分に及ぶ曲「最も卑劣な殺人」を発表した。ジョン・F・ケネディ元大統領の暗殺について歌った叙事詩だ。私が連絡をしたのはこの曲の発表後だった。
ディランは2016年にノーベル文学賞を受賞して以来、自分のホームページ以外ではまとまったインタビューには答えていなかった。しかし、カリフォルニア州マリブの自宅から電話で取材に応じることを了承してくれた。
結果的に、そのインタビューが、アルバム『ラフ&ロウディ・ウェイズ』発売前に行われた唯一のインタビューとなった。『ラフ&ロウディ・ウェイズ』はディランのオリジナル曲を収録したアルバムとしては、2012年の『テンペスト』以来8年ぶりの作品で、アメリカでは6月19日に発売された。
ディランとの対話がたいていそうであるように、『ラフ&ロウディ・ウェイズ』がカバーする領域も多様だ。挑戦的なブルース、言葉遊び、愛国的な情熱、見事な安定性、詩的なキュービズム、晩年の思い、精神的な満足感――。
エネルギーあふれる名演「グッバイ・ジミー・リード」で、ディランはミシシッピ州出身のブルース・ミュージシャン、ジミー・リードへの尊敬の念を、熱いハーモニカのリフやみだらな歌詞で表現する。スローなブルース「クロッシング・ザ・ルビコン」では、ディランは「皮膚の下にある骨」を感じ、死の前に何をするか考える。「煉獄から北に3マイル――あの世にあと一歩のところ/私は十字架に祈り、女の子たちにキスをして、ルビコン川(境界線)を超える」。
「マザー・オブ・ミューズ」は、自然界やゴスペル・クワイア、ウィリアム・テカムセ・シャーマンやジョージ・パットンらの軍人への賛歌で、彼らが「プレスリーの歌に道を開き、キング牧師のために道を開いた」と歌う。そして、「キーウェスト(フィロソファー・パイレート)」は、国道1号線をフロリダ・キーズ(フロリダ州南の列島)まで下る道のりを舞台にした、不死についての黙想だ。
ジョージ・フロイドへの思い
もしかしたら、いつの日かディランは、ジョージ・フロイドのために曲を書くか、あるいは絵を描くかもしれない。1960年代と1970年代に、ディランは「ジョージ・ジャクソン」「しがない歩兵」「ハッティ・キャロルの寂しい死」などの歌を通じて、公民権運動の黒人リーダーにならい、特権を持つ白人の傲慢さや、人種的憎悪の悪質さをさらけ出した。
1976年のバラード「ハリケーン」では、警察の取締りと人種についての激しい歌詞が見られる。「パターソンでは万事がこんな風に進む/あなたが黒人なら通りには出ないほうがいい/注意を引きたいのではない限り」。
ミネソタ州ミネアポリスでフロイドが殺された後、私は79歳になったディランに、短い追加インタビューをした。ディランは、自分の出身州で起こった恐ろしい出来事に明らかに動揺しており、落胆した様子だった。
「ジョージ(フロイド)があんなふうに苦しめられて死んだのを見ると、どうしようもなく気分が悪くなる。卑劣にも程がある。フロイドの家族とこの国に、早く正義がもたらされるよう願うばかりだ」
ディランへのこの2回のインタビューから内容を抜粋し、以下にまとめて紹介する。
──「最も卑劣な殺人」を書いたのは、長らく忘れられている時代に郷愁を感じて、賛美するためでしょうか?
郷愁とは違う。「最も卑劣な殺人」は、過去への賛美でも、過ぎ去った時代への送別のようなものでもない。その瞬間に(言葉が)語りかけてくるんだ。とくに歌詞を書いているときは、いつもそうだった。
──「アイ・コンテイン・マルチチュード」には印象的な歌詞があります。「私は生と死と一緒に、同じベッドで眠る」。誰もがある年齢に達すると、こんなふうに感じるのだろうと思います。死についてはよく考えるのですか?
人類の死については考えるよ。裸のサルがたどってきた長い奇妙な旅路。軽々しく言うわけではないけれど、どんな人の人生もとてもはかない。誰であっても、どんなに強くても力があっても、死ぬとなったら脆い(もろい)ものだ。死については、自分個人の死ではなく、概念的に考えている。
自分たちの世界はもう時代遅れ
──「最も卑劣な殺人」には、終末論的な感情が多く込められています。2020年の時点で、私たちはもう戻れないところまで来てしまったと思いますか? テクノロジーや超工業化が、地球上で人類に牙をむくような心配はありますか?
もちろん。その点で終末論的に感じる理由はたくさんある。いまは昔より、不安や心配が確実に多い。だが、それは君や私のように、ある程度の年齢に達した人たちだけだよ。私たちは過去に生きる傾向があるが、それは私たちだけなんだ。若者にはそんな傾向はない。若者には過去はなくて、いま目にし、耳にするものしか知らない。そして、彼らは何でも信用するだろう。
20年か30年後には、彼らが第一線にいる。いま10歳の子どもがいたとしたら、20年か30年後には彼が世の中を動かしている。その子は私たちが知っていた世界なんか、まるで知らない。10代の子どもたちには、いまは思い出話なんかないんだ。やがてはそれ(彼らの世界)が現実になる。だから、なるべく早く見方を切り替えたほうがいい。
テクノロジーについて言うと、誰もがテクノロジーのせいで弱くなる。でも、若者はそんなふうには考えない。まったく考えないよ。彼らが生まれた世界は、テレコミュニケーションや先進技術の世界だ。私たちの世界はもう時代遅れなんだ。
──「偽預言者」の歌詞に、「私は最高の仲間たちの最後のひとり──あとの人たちは葬っていい」という言葉があって、私は最近亡くなったジョン・プラインとリトル・リチャードのことを思い出しました。2人が亡くなったあと、トリビュートの意味で彼らの音楽を聴いたりしましたか?
2人とも自身の作品で大成功している。彼らはトリビュートなんか求めてないよ。2人が何をして、どんな人物だったかは誰もが知っているんだから。2人は尊敬や喝采を集めてきたが、本当にそれに値することをした。それは間違いない。
だが、私が聞いて育ったリトル・リチャード――。彼は私よりも前から音楽の世界にいた。私の足元を照らしてくれて、自分だけでは知るはずもなかったことを教えてくれた。だから、リトル・リチャードは私にとっては別格なんだ。ジョン(プライン)は私のあとから音楽の世界に入った。その点が違う。2人についての認識は同じではないよ。
──いろいろな曲の中で、あなたは偉大なミュージシャンを何人も称えていますね。「最も卑劣な殺人」では、(イーグルスの)ドン・ヘンリーとグレン・フライの名前を挙げていて、私は少し驚きました。イーグルスの曲の中で、お気に入りは何ですか?
「ニュー・キッド・イン・タウン」、「駆け足の人生」、「お前を夢見て」。史上最高の部類に入る曲かもしれない。
ジャズはインスピレーションを与えたか
──「最も卑劣な殺人」では、アート・ペッパーやチャーリー・パーカー、バド・パウエル、セロニアス・モンク、オスカー・ピーターソン、スタン・ゲッツの名前も挙げています。長いキャリアの中で、ジャズはソングライターや詩人としてのあなたにインスピレーションを与えましたか?
キャピトル・レコード時代の初期のマイルス(デイビス)かな。でも、ジャズとは何だろう。デキシーランド、ビバップ、フュージョン──。何をもってジャズと言うのか。ソニー・ロリンズか? ソニーのカリプソの曲は好きだが、あれはジャズだろうか。
ジョー・スタッフォード、ジョニ・ジェームス、ケイ・スター、みんなジャズシンガーだと思うが、私にとってのジャズシンガーは、キング・プレジャーだ。わからないな。ジャズのカテゴリーには何でも入れられる。ジャズの歴史は「狂騒の1920年代」にまでさかのぼる。ポール・ホワイトマンがキング・オブ・ジャズと呼ばれていた。でも、レスター・ヤングに聞いたら、「何を言ってるんだ」と思うだろうね。
ジャズが私にインスピレーションを与えたか。そうだね。多分、多くのインスピレーションを受けたと思う。シンガーではエラ・フィッツジェラルド。ピアノ弾きでは間違いなくオスカー・ピーターソン。ソングライターとしての私に影響を与えたのは? そう、(セロニアス)モンクの「ルディ・マイ・ディア」だ。あの曲で、ああいった何かをやろうという方向に向かったんだ。あの曲を何度も何度も聞いたことを覚えているよ。
──アドリブはあなたの曲ではどんな役割を果たしていますか?
何の役割もない。いったん曲をつくったら、その曲の性質を変えることなどできない。ギターやピアノのパターンを決まった構造のうえで変えたり、そこから出発して演奏したりはするけれど、それはアドリブではない。アドリブはよいパフォーマンスにも悪いパフォーマンスにもなるが、私は一貫していたい。何度も何度も、最も完璧な形で同じ演奏をするということだ。
──「アイ・コンテイン・マルチチュード」には、驚くほど自伝的な要素がありますね。最後の2つのヴァース(詩句)には、かたくなな禁欲主義がにじみでていますが、それ以外の部分はユーモラスな告白のようです。ご自身や人間の性質の中の、相反する感情と格闘するのは楽しかったですか?
そんなに格闘する必要はなかったよ。何というか、意識の流れのフレーズを積み上げて、そのまま放っておいて、そこから取り出してくる感じかな。この曲に関して言うと、最後のいくつかのヴァースが先に思い浮かんだ。だから、この曲はそこを起点に進んできた。この曲が生まれる契機になったのは、一目瞭然だが、タイトルの1行だ。
この曲は直感的に、ある種のトランス状態で書いた曲の1つで、最近の曲はほとんどそんな感じでつくっている。歌詞は実際のもの、現実であって、比喩ではない。楽曲は自身(曲自体)のことがわかっているように思うし、私がその曲を、声の面でもリズムの面でも歌えることがわかっているのだと思う。曲はある意味でひとりでに書きあがって、私がそれを歌うと信じている。
一緒に演奏するとすばらしい
──チャーリー・セクストンは1999年から数年間、あなたと一緒にプレイし、2009年から再び演奏に参加しています。彼がそれほど特別なプレーヤーなのはなぜですか。まるで、2人はお互いの心が読めるような感じがします。
チャーリーは誰の心でも読めるよ。だけど、チャーリーは曲も作るし、歌も歌う。ギターはものすごい勢いで弾く。私の曲で、チャーリーが自分の一部だと思わない曲はないし、一緒に演奏するとすばらしいんだ。このレコードで、12小節のブルース構造の曲は3曲で、「偽預言者」はそのうちの1曲だが、チャーリーはどの曲もいいよ。
腕前を見せびらかすようなプレーヤーじゃないが、やろうと思えばそれもできる。演奏はとても節度があるが、情熱的にやりたいときにはそうもできるんだ。とても伝統的なスタイルの演奏で、昔ながらの弾き方。彼は曲を攻めるのではなくて、その中に身を置いている。私と演奏するときは、いつもそんな感じだ。
──ここ数カ月の外出制限期間中は、マリブでどのように過ごしていたのですか? 溶接(によるアート作品の制作)や絵を描いたりできましたか?
ああ、少しね。
──自宅では音楽制作はできるのですか? プライベート・スタジオでピアノを弾いたり、時間を過ごしたりできますか?
それはたいていホテルの部屋でやるよ。ホテルの部屋がプライベート・スタジオにいちばん近い環境なんだ。
ミュージカルに心を動かされる
──家のすぐ近くに太平洋があることは、新型コロナウイルスのパンデミックに対処するのに、精神的な面で効果がありますか? 「ブルー・マインド」という理論があって、それによると、水の近くに住むことは健康上、治癒の効果があるそうです。
その説は信じられるな。「クール・ウォーター」、「遥かなる河」、「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」。こういう曲を聴くと、なんだか癒やされたような気がするよ。何が癒やされるのかわからないけれど、自分が気づいてもいない何かが癒やされるんだろう。ある種の治療。スピリチュアルな感じだ。水はスピリチュアルなものだからね。
「ブルー・マインド」は聞いたことがないな。スローなブルースの曲名にもなりそうだ。ヴァン・モリソンあたりが書きそう。もしかしたら、書いているかもしれない。知らないけど。
──あなたの曲をフィーチャーしたミュージカル「北国の少女(ガール・フロム・ノース・カントリー)」がまさにすばらしい評価を得るようになったタイミングで、新型コロナのために公演が中止になりました。非常に残念でしたが、公演を見たり、公演のビデオを見たりしましたか?
もちろん見たよ。心が動かされた。関係者としてではなく、一般の観客として見たんだ。何の構えもなくね。最後には泣いてしまった。なぜだかわからない。幕が下りたときには、呆然としていた。本当にそうだった。公演が中止になったのは本当に残念だ。また見たかったからね。
──このパンデミックを聖書的な意味合い、たとえば、疫病が世界を覆いつくすなどのように考えますか。
私は何か別のことが起きる前兆のように思う。たしかに蔓延しているが、聖書的とは? つまり、人々が間違った行いを改めるための警告のようなもの、ということ? そうすると、この世界はある種の天罰に向かっているということになるね。あまりの傲慢さには、ひどい罰が下されるのかもしれない。もしかしたら、いまは破滅の前夜なのかも――。このウイルスについては、本当に数えきれないほどの捉え方があると思う。私は、ただ自然に任せておくしかないと思っている。
最近「マスターピース」を演奏するのは
──あなたのすべての曲の中で、私の中では「マスターピース」が年々大きな存在になってきています。最近のコンサートで、この曲をまた取り上げているのはどうしてですか?
私の中でも大きな存在になっているんだ。この曲は、古典の世界や、手が届かないものに関係していると思う。経験を超えて到達したい場所。あまりに崇高で一流なので、その高みから決して帰ってこられないもの。思いもよらないものを達成したこと。この曲が言おうとしたのはそういうことだ。
ところで、マスターピースと言えば、自分のマスターピースが描けたとしても、次は何をすればいい? もちろん、別のマスターピースを描かなきゃならない。そうなると、決して終わることのないサイクル、ある種のわなのようになる。この歌では、そんなことは言っていないけどね。
──体調はいかがですか。すこぶるお元気そうに見えますが。どうやって心と体を調和させているのですか?
それは壮大な質問だね。心と体が手に手を取って歩んでいく──。何か合意みたいなものがあるんだろうね。私は心を魂として、体を実体として考えたいと思っている。その2つをどうやって一体化するのか。まったくわからないな。
私はただ一直線に進んで、そこから外れないように、レベルを保つようにしているだけだよ。
(執筆:作家、ライス大学教授 Douglas Brinkley、翻訳:東方雅美)
© 2020 The New York Times News Services
https://toyokeizai.net/articles/-/358601

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菅長官「今後も魔よけ必要」 アイヌ文様マスクめぐり

2020-06-27 | アイヌ民族関連
産経新聞 2020.6.26 18:10
 菅義偉(すが・よしひで)官房長官は26日の記者会見で、魔よけの願いが込められているというアイヌ文様の刺繍(ししゅう)入り布マスクを着用しなくなった理由を質問され、「その時々によって、マスクは変えている。これからも魔よけはずっと必要だ」と述べた。
 菅氏は、政府のアイヌ政策推進本部の本部長を務めており、北海道登別市のアイヌ関係者による手作りの刺繍入り布マスクを5月から一時期、着けていた。最近は主に不織布の使い捨てマスクを使用している。
https://www.sankei.com/politics/news/200626/plt2006260021-n1.html

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コロンブスが“美化”されたのはなぜ?「アメリカの地を踏んでもいない」のに

2020-06-27 | 先住民族関連
クーリエ 6/26(金) 12:05配信
「先住民の虐殺者」各地で破壊されるコロンブス像
ジョージ・フロイド事件を機に、黒人差別への抗議デモが続いているが、これに伴い、各地で歴史上の人物の銅像や記念碑が破壊、および撤去が相次いでいる。
アメリカで標的となっていたのは当初、主に奴隷制度廃止に抵抗していた南部連合時代の英雄像だったが、標的は瞬く間に拡大していき、奴隷制度や黒人差別に加担したとされるものだけでなく「ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化や、それによる先住民族たちへの迫害に関わるもの含まれるようになった」と、米紙「ニューヨークタイムズ」は述べる。
そのアメリカ大陸の植民地化の契機を作ったと言われるのが、イタリアの探検家クリストファー・コロンブス(以下、コロンブス)だ。
今月に入ってからアメリカ各地にあるコロンブス像の破壊が増加したことはまだ記憶に新しい。コロンブスを先住民の虐殺者、人種差別の象徴とみなし、抗議者の一部がワイヤーで引っ張って台座から引きずり下ろしたり、像の頭部を切り取るといった過激な行動に出たことが話題になった。
教科書などでは「アメリカ大陸を発見した探検家」として語られてきたコロンブスだが、近年は先住民の土地を奪い、虐殺したなどとして歴史的評価が割れていた。植民地主義や人種差別の美化につながるなどとして、以前から像の撤去を求める声も広がっていた。
国の祝祭日であるコロンブスによるアメリカ大陸への発見および到着を祝う「コロンブス・デー」をやめて、「先住民の日(Indigenous Peoples Day)」に置き替える市や自治体も増えている。
実は”発見”どころか、USAの地を踏んですらいなかった
コロンブスは1492年に「アメリカ大陸を発見した」と言われているが、1502年までの4回の航海で彼が上陸したのは、バハマ諸島やカリブ諸島、中米、南米のみで「現在のアメリカの地の土を踏んだ記録はない」と、米メディア「Vox」は述べる。
にも関わらず、なぜ、アメリカでは各地にコロンブス像が建てられ、彼の名前のついた町や道が多数存在するのか。
同メディアによると、アメリカのコロンブス美化は、イギリスと戦った18世紀後半の独立戦争の頃にさかのぼる。1776年に独立を勝ち取ったアメリカは、「独立自尊の精神を持ち、どこか反抗的な、非イギリス的なシンボル」、つまり、アメリカという国はアメリカ国民統合の象徴を必要としていた。
そこに抜擢されたのが「コロンブス」だったという。「アメリカは独立するやいなや、道や町にコロンブスという名をつけた」。
神話が作られた要因としては、1828年に作家のワシントン・アーヴィングが出版したコロンブスの伝記の存在も大きいという。そこには「『勇敢で』『天才』『ヒーロー』的存在と、美化して書かれているが、先住民に対する残虐行為、子供や高齢者、妊娠中の女性などを虐殺したことについては一切触れられていない」。
のちに作成された教科書や絵本やアニメーションなどは、この伝記をもとにしているものが多く、コロンブスを英雄視する神話が世間に広がった一因だと、同メディアは述べる。
このようにコロンブス神話はアメリカ建国の歴史を通して生み出され、コロンブス像は国民統合の象徴として各地に設置されたわけだが、一方で、先住民であるネイティブ・アメリカンたちは迫害されてきた。その転機が訪れたのは1960年代の公民権運動だ。「変革」を求める公民権運動には「黒人だけでなく、ネイティブ・アメリカンの権利も含まれていった」。
この頃から歴史学者たちの間で、コロンブスの歴史を再調査と神話の訂正、及びそれまで語られることのなかったコロンブスの虐殺の歴史を広め始める動きが徐々に広まった。それにより「先住民の虐殺者」とみなす人々は徐々に増え、“新大陸発見”から500年後の1990年代より、コロンブスの日ではなく、先住民の日として祝う選択をする市が出てくるようになった。
イタリア移民のレガシーとしてのコロンブス
一方で、文化リベラルが多いはずのニューヨーク市ではまだ、「コロンブス・デー」は廃止されておらず、像の撤去も行われていない。2017年には、バージニア州で起きた白人至上主義者と反対派の衝突事件を機に、マンハッタンにあるコロンブス像も撤去対象として検討されたが、反対派が少なくなく、設置継続が決まった。
クオモ州知事は今月の会見でも、マンハッタンにある円形広場コロンバスサークルの中心にあるコロンブス像に関して「コロンブス像はそこにあるべきだ」と、像の撤廃に反対する考えを示した。
「人々のクリストファー・コロンブスに対する感情は理解します。彼が(先住民族に)したことは、支持できることではありません。しかし、(マンハッタンにある)あのコロンブス像はニューヨークのイタリア系アメリカ人のレガシーの象徴であり、先代のイタリア移民による市への貢献への感謝表明でもあるのです。それゆえ、私はあの像を支持している」
イタリア移民にとって、コロンブスの存在は特別だ。
19世紀後半以降、イタリアからの移民がアメリカにも大量に押し寄せ、特にニューヨークに住み着く者が多かった。そのため、ニューヨークは見方によっては「イタリア系の街」として発展した背景がある。他州へと移動して行った者も少なくないが、いまもニューヨーク州のイタリア系アメリカ人の人口は全米1,2位を争う。クオモ州知事自身もイタリア系アメリカ人。市長のビル・デブラシオもまた、母方がイタリア系だ。
イタリア移民は当初、他の白人(特にドイツ・イギリスなど初期の移民者)に比べて、仕事は主に肉体労働に限られ、収入が少なかったことなどもあり、大抵は貧しかった。また、貧しさに加え、プロテスタントではなくカソリック教徒であったため、民族的な差別も受けた。
そんな過酷な環境の中で、イタリア移民たちは、同じようにイタリア人で、カトリック教徒で、それでいて既にアメリカで尊敬を集める存在である「コロンブスを讃えるようになり、アメリカ社会への帰属を望むイタリア移民にとって、コロンブスはアイコンになっていった」。
イタリア移民によって1882年に設立され「コロンブス騎士団」という組織の発展も、コロンブスのアイコン化に寄与したと言われている。社会的弱者だったカトリック移民の生活を守るための互助会としての機能を持つ同団体は、1930年代までには政治的影響力をも持つように。当時の大統領フランクリン・ルーズベルトに、コロンバスデーを、アメリカの連邦祝日にするよう促せるまでになった。
この出来事は「イタリア移民をアメリカ国民の一員として印象付けことに繋がった」と、イタリア系アメリカ人の歴史に詳しいフレッド・L・ガルダフェ教授はAP通信に語っている。
時代が変われば、「撤去はやむを得ない」
アメリカに限らず多くの国が、国民の連帯感と帰属精神を築くために、神話や英雄を打ち立てた過去を持つのではないだろうか。
像には、アイデアや価値観のような抽象的なものを具体化する力があり、人は像に想いを重ねて、抽象的なものへの感情を高める。そのため、公共の場に像がある限りは、そのアイデアや価値観が公共に存在するという「不朽性」も期待できる。
しかし、「歴史上の評決は不朽ではない」。コロンブス像の頭部が切り取られたボストンの地元紙「ボストン・グローブ」はそう述べ、社会、つまりその構成員である市民には、誰を讃えるかを議論し「変える資格がある」と語っている。
コロンブスを英雄視する価値観とそれに基づく歴史は、その像があるエリアに住む現代の市民が共有する価値観や歴史と同じなのか。現代にそぐわない像の撤去は「歴史の消去ではない」と語り、それはやむを得えず、その判断は民主的に行うべきだと、同紙は主張する。
ただし、破壊には否定的だ。
「過激な行動に出た怒れる群衆の衝動で物事を決めるべきではない」「一体誰だか知らないが、勝手に銅像の首を切り取った者は、私たち市民を裏切ったも同然だ」と述べている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/13e22042b6a4fab2c22368800567373ba40b992b

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