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武四郎樺太紀行、ロシア語に サハリン有志、足跡たどり翻訳

2020-06-28 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/28 05:00

トッソを含む山脈を歩き、松浦武四郎の記述と海岸地形を見比べる翻訳担当のバレンチン・ソコロフさん。旅の途中、武四郎をまねて短歌をつくるほどのファンだ=6月1日(細川伸哉撮影)
 【ユジノサハリンスク細川伸哉】幕末の探検家で「北海道の名付け親」とされる松浦武四郎らが160年以上前に樺太を調査した際の記録を、ロシア・サハリン州の有志がロシア語に翻訳する取り組みを進めている。武四郎の足跡を実際にたどるなど正確な翻訳を心がけ、図書館などで年内にも公開を目指している。アイヌ民族が暮らした時代を学べる史料として、専門家らも注目している。
■「広く知ってほしい」
 州都ユジノサハリンスクから北へ120キロ。かつてトッソ(突阻山)と呼ばれた名峰ジュダンコ山は険しい尾根が南北に続き、眼下に断崖と砂浜が交互に続く海岸線が広がる。「あれは武四郎がソエンコタンと記した浜だ」。翻訳を担当するバレンチン・ソコロフさん(37)が、武四郎の記述と見比べながら指さした。
 トッソについて武四郎は「けわしい巨岩の断崖が続いてこの先は通れぬという意味」と記す。武四郎はこの難所をアイヌ民族の協力で舟で越えた。現在もトッソ付近の約40キロにわたり海岸沿いの道路はない。冒険家のソコロフさんはこの海岸を徒歩で3度旅した。
 翻訳の発案者はサハリン中部マカロフ(知取)の市長だったニコライ・シドロフさん(71)。武四郎が縁で道内の研究家らと交流し、1996年に武四郎の足跡を記念する歌碑をマクンコタン(馬群潭(まぐんたん)、プガチョボ)に建てた。「同時期のロシア側の記録は乏しく、武四郎の功績をロシア人にも広く知ってもらいたい」と翻訳を思い立ち、日本語通訳もしているソコロフさんに協力を要請した。
 歌碑を見て武四郎に関心を抱いていたソコロフさんも快諾。同じ風景を見たからこそ「武四郎の記述と照合しながら正確な翻訳ができる」と自信を見せる。トッソを越える際にアイヌ民族の祭具イナウ(木幣)で無事を祈った様子などを記した記述に「アイヌ民族が暮らした時代のサハリンを旅できた武四郎をうらやましく思う」と話す。
 武四郎は計6回行った蝦夷地(えぞち)調査のうち、1846年と56年の2回、幕府が「北蝦夷地」と呼んだ樺太に渡った。ロシアとの国境問題を抱えた幕府の「御雇」として調査した56年は箱館奉行所に「竹四郎廻浦日記」(全30冊)を報告した。
 翻訳するのは、武四郎がこの日記のうちトッソ付近以北の樺太調査を一般向けの読み物として出版した「北蝦夷余誌」と、54年に樺太巡検を行った鈴木尚太郎(茶渓)が記した「唐太日記」。オホーツク管内遠軽町の今野淳子さん(73)が2013年に北海道出版企画センター(札幌市)から出版した現代語訳(210ページ)を翻訳する。今野さんは「ぜひやってほしい」と歓迎する。
■アイヌ文化史料に
 アイヌ文化や動植物など多岐にわたる武四郎の記録に学者らも関心を寄せる。アイヌ民族の遺跡調査を行う考古学者セルゲイ・ゴルブノフさん(67)は「武四郎のスケッチを元にアイヌ集落跡を探すこともある。翻訳は楽しみだ」と心待ち。武四郎がエトピリカの群れがいたと記す海岸の巨岩に現在は生息しておらず、サハリンの自然ガイドは「自然環境が変わったとも考えられる」と興味を抱く。
 紀行文の「北蝦夷余誌」には脚色が加えられたとされる。北海道博物館の三浦泰之学芸主幹(46)は、原日誌の「竹四郎廻浦日記」の方が史料的価値は高いとしつつ「武四郎の記述やスケッチと現状を比較することは、自然、社会環境の変化を考える上で意味があり、ロシア人に思いを巡らせてもらう機会になるだろう」と期待している。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/435085

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白老町 アイヌの食文化体験(動画)

2020-06-28 | アイヌ民族関連

NHK 06月27日 17時14分
胆振の白老町で、アイヌの人たちの食文化を体験する催しが開かれました。
白老町のアイヌの人たちでつくる団体が開いた催しには10人が参加し、アイヌの人たちが冬の保存食として大切にしてきた「オオウバユリ」を加工したデンプン作りを体験しました。
オオウバユリは球根の部分に多くのデンプンを含むユリ科の多年草で、アイヌの人たちは球根の部分を「トゥレプ」と呼んでいます。
参加者たちはアイヌの人たちの手ほどきを受けながら、オオウバユリの球根を包丁で細かく切って粘りけが出るまできねでついて白いデンプンを取り出していました。
デンプンは腹痛の薬としても利用されていたほか、デンプンを取りだしたあとに残る繊維は発酵させおかゆなどに混ぜて食べられていたということです。
参加した10才の女の子は「オオウバユリの繊維を混ぜる体験がおもしろかったです。家に持って帰って団子にして食べたいです」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20200627/7000022480.html

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