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松浦武四郎の肖像画を松阪の記念館へ 名古屋の画家が寄贈

2015-12-03 | アイヌ民族関連
中日新聞 2015年12月3日

永都康之さん(左から2人目)が寄贈した「大志の人」=松阪市小野江町で
 「蝦夷(えぞ)」を「北海道」と名付けた幕末の探検家、松浦武四郎(一八一八~八八年)の若かりしころを、日本画家で日本美術院院友の永都康之さん(59)=名古屋市千種区=が描いた。永都さんは「大志の人」と名付けた作品を二日、松阪市小野江町の松浦武四郎記念館を訪れ、寄贈した。
 松阪出身の武四郎は、江戸幕府の命令などを受け、アイヌ民族の案内で、蝦夷地を内陸部まで六回にわたり、詳しく探検した。明治政府から事務方の責任者「開拓御用掛(かかり)」に任命され、新たな名称「北加伊道」を政府に提示。後に「加伊」が「海」になった。
 永都さんは約一年前、武四郎記念館友の会会員高橋雅士さん(65)=津市南丸之内=と展覧会で出会い、意気投合。武将画などを描いてきた永都さんが「歴史上の人物を描きたい」と相談し、高橋さんから武四郎を薦められた。
 「大志の人」は縦約百十二センチ、横約五十四センチ。家紋の付いた羽織を着た武四郎が、竹の筒のつえを前に、筆と墨を収めた矢立と、旅の記録をする野帳(のちょう)を身にまとい、石の上に座っている。武四郎の写真は六十五歳当時の晩年のものが一枚残っているだけ。永都さんは、記念館の史料とイメージで、調査で訪れた北海道で海を眺めている若き武四郎を描き上げた。
 「広い視野と志を持って日本中を歩き回り、一生を過ごした。武四郎先生のその生き様を描きたかった」という永都さんは「顔が特に難しかった。写真とかけ離れ過ぎないように意識した。先生の志が私を動かし、描かせた」と大作への思いを話した。
 寄贈式では永都さんと高橋さんが、中野恭(たかし)館長(64)と友の会会長の飯田秀(まさる)さん(74)に額装の「大志の人」を手渡した。
 中野館長は「記念館が充実する。お礼申し上げる」と感謝した。「大志の人」は年内にも、ロビー中央に展示する。
 (古住健太郎)
http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20151203/CK2015120302000008.html

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