先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

注目される先住民問題

2017-07-05 | 先住民族関連
日豪プレス 2017年7月4日
ナオキ・マツモト・コンサルタンシー:松本直樹
5月24日から3日間にわたり、先住民の聖地であるウルルにおいて、先住民代議員250人による憲法会議が開催され、先住民の憲法内での認知に関する問題、他のオプション等が討議されている。また5月から6月にかけては、1967年豪州連邦憲法改正50周年記念や、92年最高裁判所マボ判決25周年記念、そして97年「略奪された子どもたち/世代」報告書の公表20周年記念と、豪州先住民史の中でも画期的な出来事の記念日が重なっており、そのため先住民関連の憲法改正問題が一層注目を集めている。ここで、先住民関連史の中でも特筆に値する上記3イベントについて概説すると共に、憲法改正問題の行方を占ってみよう。
67年憲法改正問題
豪州は改正の困難な硬性憲法の国である。豪州憲法はその第128条において、憲法改正の要件に関して規定しているが、それによると、豪州憲法の改正は連邦議会での発議自体は比較的容易である。すなわち、上下両院のそれぞれで過半数の支持があればよい。ただ、その後に実施される国民投票(Referendum)には、全国で過半数の支持、かつ6州の内の4州以上で過半数の州民の支持と、二重の足枷が設けられている。そのため1901年の連邦結成以降、最後に実施された99年を含めて計19回の国民投票があり、合計44件の憲法改正案が投票に附されたものの、成立したのは2割弱の僅か8件に過ぎない。ちなみに最後の99年の国民投票では、憲法前文と共和制移行の是非が問われたが、共和制移行については、俎(そ)上に載せられた「議会選出型共和制モデル」への不人気が祟って(注:国家元首を議会が選出するとのモデル。当時共和制移行自体への支持率は高かったが、国民の多くは元首を直接選挙によって選出することを希望)、全国での改正支持率は45.13%、また6州の全てで支持率は半数未満という、惨憺(さんたん)たる結果に終わっている。
そういった憲法改正の歴史の中で、67年の国民投票の結果は異彩を放つものであった。というのも、67年改正国民投票では、改正案への全国支持率が実に90.77%もの高率に達し、しかも6州全てで圧倒的な支持率を獲得したからだ。
67年改正の主要内容は、連邦の持つ専管的権限を記述した第51条の中の、第26号条項に関するものであった(注:この他に第127条を全部削除)。この26号条項とは、連邦のいわゆる対人種権限を定めたものである。これは、特定人種だけに適用される法の制定を連邦に認めたものだが、67年の改正前には特定人種の中に先住民は含まれていなかった。67年の憲法改正とは、それまで州政府が管轄していた先住民問題の所管を、連邦の所管として同条項に取り込むことであった。この改正によって、後述するように、キーティング労働党政権による93年連邦先住権法の策定、施行も可能となったのである。
92年「マボ最高裁判決」
82年5月、トレス海峡南マレー島の先住民である5人の原告団が、QLD州政府を相手取り、マレー島の領有権を巡る訴訟を豪州最高裁に対して行ったが、この訴訟は原告団の代表エディー・マボにちなんで、「マボ訴訟」と呼称されている。訴訟の中で原告団は、1879年に同島が現在のQLD州に併合された時、英国が島の主権を獲得したことは認めつつも、先住民の土地に対する権利は主権の確立によっても消滅していないと主張し、この先住民の権利が豪州慣習法体系の下で認知されることを要求したのである。
原告団の提訴からほぼ10年が経過した1992年6月、最高裁はドウソン判事を除く6人の判事が全員支持するという圧倒的多数をもって、原告団側の主張を認める判決、すなわち、マレー島に住む先住民メリアム族は、QLD州に同島が併合される以前に同島の先住権(Native Titles)を保持しており、また併合後もその権利を保持し続けたとの判決を下したのである。この判決は、植民以降200年以上にわたった「テラ・ヌリアス」概念(注:ラテン語で「誰にも所有・領有されていない土地」の意)を否定し、豪州への植民が始まる以前から、先住権なる土地関連の権利が存続してきたことを、慣習法体系下で初めて認知した画期的なものであった。
この先住権であるが、実は統一した定義が存在するわけではない。というのも「マボ判決」によれば、先住権の内容は特定先住民の伝統的法や掟に拠るとされるからだ。それゆえ掟、習慣が異なれば、当然のことながら先住権の内容は異なるものとなる。ただ、その内容はケース・バイ・ケースで、単一的には定義できないものの、先住権には共通項もある。
まず第1に、先住権は他の土地権利とは異なり、先住権を保持する先住民以外に売却したり、譲渡したりすることは出来ない。ただしこれには例外があり、仮に特定先住民部族の伝統的掟、習慣の中に、土地の売却が存在する場合にはこの限りではない。また主権を獲得したクラウン(注:政府)は、先住権保持者より先住権を取得出来る。
第2に、一般に先住権は個人ではなく、先住民コミュニティー全体によって保持される権利と考えられている。
そして第3に、先住権はクラウンによって消滅され得る。
要するに先住権とは、先住民のさまざまな土地関連諸権利の集合体であり、ある場合には排他的土地所有を保証する自由保有権と同一なもの、他の場合は土地の用益権的な権利と言える。
具体的には、(1)土地の所有、(2)特定地、例えば聖地へのアクセス、(3)狩猟、採取、釣り、(4)儀式の実施のための土地使用、(5)水の使用、そして(6)例えば資源採掘の排除といった、土地の形状保持、等の諸権利を指すものと考えられている。
ただし、豪州への植民が開始されたころには、一部の土地を除き豪州大陸に遍(あまね)く存在していたとされる先住権も、植民後現在に至るまでに、かなりの土地で消滅したとされる。その理由は、第1に、先住民が土地との結びつきを喪失するなど、肝心の先住権の有資格者が時代と共に減少してきたからだ。第2に、先住権保持者が自ら先住権を放棄した場合にも、先住権は消滅する。そして第3点として、これが最大の理由であるが、上述したように、主権を確立した植民政府はさまざまな手段により先住権を消滅させることが出来、また実際に政府の諸行為が先住権を消滅させてきたからだ。
具体的には、①法律の制定、②公共目的の政府の行為と先住権の内容が強く競合する、③政府の付与した土地関連諸権利と先住権の内容が強く競合する、等の場合には、先住権は消滅する。
いずれにせよ、「マボ判決」における先住権の認知は、豪州の既存土地権利体系を揺るがすものであり、各層に甚大なショックを与えるものであった。そのため、先住権を取り込んだ新しい土地権利体系の構築が要請されることとなったのである。そして、それを具現化したのが、当時のキーティング労働党政権が策定した「93年先住権法」であった。
「略奪された子どもたち/世代」報告書
「略奪された子どもたち/世代」とは、70年代まで続いた歴代政府の同化政策に基づき、強制的に親元から離され、宗教系の施設や白人家庭で育てられた、主として混血先住民の子どもたちを意味する。この言葉は、97年5月に公表された人権擁護・機会均等委員会の調査報告書のタイトルに由来するものだが、同問題が大きく世間の耳目を集めたのも、犠牲者の悲惨な経験を暴いた委員会報告書が公表されてからであった。

2008年2月に労働党のラッド新連邦首相が政府を代表して行った「略奪された子どもたち/世代」犠牲者への公式謝罪を受けて喜ぶ先住民の子どもたち(AFP)
同委員会はその中で、当時の政府の施策を大量虐殺的な行為、あるいは人間性に対する犯罪といった、あたかも極悪戦争犯罪人に使用するような激越な言葉で批判すると共に、政府に対して、先住民犠牲者への明瞭かつ公式の謝罪、贖罪のため国民の日を設定、そして犠牲者への公的な賠償支払い、等を強く提言したのである。
ところが、大量虐殺的な行為といった過激な言葉に反発した当時のハワード保守政府は、委員会の提言内容を悉く拒否している。その際に、ハワード政府が公式、非公式に繰り返し主張していたのが、(1)過去の政府あるいは世代の行為に対して、現政府、世代が謝罪するのはお門違い、(2)公式謝罪は先住民からの公的賠償請求を惹起(じゃっき)する、といったことであった。
また、ハワード政府がその後も頑なに拒否してきた理由としては、(3)謝罪といった「シンボル」的な問題に拘泥(こうでい)するよりも、「実利」の問題、すなわち先住民の健康、教育といった生活水準の向上こそが肝要かつ火急の用、(4)過去の先住民政策を全て誤り、悪とする、自虐的な歴史観に対するハワード個人の反発、等が挙げられよう。
更に当時のハワードの強硬姿勢の背景には、キーティング労働党政権下で高まっていた保守系有権者層の不満、反発が、ハワード政権が誕生したことで一挙に噴出し、右傾化のムードが醸成されていたとの事情もあった(注:好例が「第1次ハンソン現象」の発生)。
実はそのハワードも、97年5月には、犠牲者に対して私人として陳謝すると共に、99年の8月には、豪州先住民への過去の仕打ちに対する政府謝罪決議を議会に上程し、これが実際に採択されてもいる。ただし同決議では、一部先住民指導層や野党労働党が要求していた「Sorry」という言葉は使われず、代わりに「衷心からの遺憾の意」(Deep and sincere regret)という「弱い」表現が使われたため、先住民や親先住民層からは特段の評価も受けずに終わっている。
附言すれば、当時の国連人権委員会も、2000年3月に公表した豪州の先住民問題に関する報告書の中で、ハワード政府に対し謝罪、犠牲者への賠償などを主張し、これにハワード政府が激怒したという経緯がある。
さて、2007年11月の選挙でハワード長期保守連合政権にも終止符が打たれ、ラッド率いる労働党政権が誕生すると、先住民問題を取り巻く状況は再度変化を遂げている。具体的には、「シンボル」面での画期的な進展であった。すなわち、新首相のラッドが野党時代の公約を遵守し、08年2月に連邦議会において、「略奪された子どもたち/世代」の犠牲者に対し、連邦首相として、連邦政府を代表して、そして連邦議会に成り代わり、公式に謝罪(Sorry)を行ったのである。
ラッド政府による明確な謝罪表明の背景には、先住民の生活水準の向上を目指した実利政策が重要とは言え、その推進のためには、やはりシンボル問題での大きな進展が不可欠とのラッドの信念があった。ラッドは政権発足の直後に京都議定書への批准を決定し、環境保護団体ばかりか、多数の国民からも喝さいを浴びたが、批准にしても、先住民への謝罪にしても、ラッドは金を1銭もかけずに、あれだけの注目、賛同を得た訳で、当時のラッドの手腕は確かに見事なものであった。
ただ過ちを正式に認めはしたものの、労働党政府は公的な賠償、補償については否定し、賠償問題は個々の犠牲者が裁判所を通じて追求すべきとしていた。
先住民関連の憲法改正問題
最後に、先住民関連の政治的懸案事項だが、実はギラード労働党政権の時代から、豪州における先住民の意義、あるいは先住民が特別な位置付けにあることを豪州憲法内に明記することなどを目指す、憲法改正運動が再度活発化している。
硬性憲法の豪州では、超党派的であること、関連各層からの支持があることが改正成功の要件だが、現在のところ、先住民指導層内、あるいは主流の先住民指導層と政界との間でも意見が分かれていることもあって、憲法改正問題にも不透明感が漂っている状況である。しかも、ここにきて先住民指導層の要求が強いものとなりつつある。すなわち、先住民が文字通り豪州の「先住民」であることを憲法内に明記するといった、いわゆる「ミニマリスト」アプローチでは不十分、不満足との声が高まっているのだ。
そしてより「サブ」を伴った、具体的には、先住民問題に関する意思/政策決定過程への先住民の強い参画、役割の強化、例えば憲法内で認知、保証された、先住民の代表で構成される先住民諮問機関を創設するといったことが、先住民側から提言されているのだ。それどころか、一部先住民指導層は引き続き、「条約」の締結という過激な要求を行っている。
かつて自由党のハワードは、先住民との和解問題に関連して、「条約」とは国家間で取り交わすものと主張すると共に、先住民との条約の締結は国家内国家を認めるに等しいものとして、これに断固反対していた。ハワードに限らず、先住民関連憲法改正問題では前向きな国民にも、「ミニマリスト」を超える改正には消極的な人びとが多い。いわんや条約については、強い拒絶反応を示す人々がほとんどである。
以上のような分裂状況に鑑(かんが)み、近い将来に憲法改正国民投票が実施される可能性も低いと言わざるを得ない。
http://nichigopress.jp/nichigo_news/tenbo/145560/

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7月4日はアメリカ最大の祭典「独立記念日」!何が起きた日なのでしょう?

2017-07-05 | 先住民族関連
dot.(更新 2017/7/4 11:00)
7月4日。私たち日本人には梅雨の最中のなんでもない一日ですが、アメリカ合衆国市民にとっては最大の祝祭日となります。アメリカが今から約240年前の1776年のこの日、イギリスから独立する「独立宣言」を採択した日として、「Independence Day(独立記念日、Fourth of July、July Forthとも)」に制定されているからです。世界一メジャーな超大国なのに、知っているようで知らないアメリカという国の成り立ちや独立記念日の由来とは?
アメリカの光と闇が現れ出る?特別な日
独立記念日。アメリカ人はこの日、バーベキューやピクニックに繰り出し、また夜は花火や各種ドハデなイベントを楽しんで、建国を祝って盛り上がるようです。
国や自治体を挙げてのイベントも盛りだくさん。首都ワシントンでは60以上のマーチングバンドや軍関係者が参加し、毎年30万人以上の観客を動員する「The National Independence Day Parade(ナショナル・インディペンデンス・デイ・パレード)」が有名。各地でパレードやスポーツイベント、アメリカ人のソウルフードでもあるホットドッグの早食い大会が行われるのもこの日。またニューヨークの4万発もの花火に代表される、大規模な花火イベントは、普段州の法律・条令で花火の打ち上げや販売が規制されているアメリカでは(花火の音が銃声や爆弾の音に聞こえて不穏であること、使用される火薬が悪用されないためです)、独立記念日前後の週のみは販売が許可される州もあり、このときばかりは花火解禁!となるようです。ただし、ニュージャージー、ニューヨーク、デラウェア、マサチューセッツでは、個人で花火を楽しむことは禁止。
一方、人々が一箇所に集まったり、イベントが行われる独立記念日には事件がつきもののようで、2002年にはロス空港で銃乱射事件が起きたり、2014年の7月4日から6日の週末にかけては発砲事件が相次ぎ、9人が死亡、60人以上が負傷するなどの悲惨な事件が毎年のように相次ぎ、政府は毎年厳重警戒体制で臨んでいるようです。
アメリカという国は栄光に彩られていると同時に、成り立ちから大きな闇や病弊を抱えています。それが一大祭典という光の中で顕現してしまうということなのかもしれません。
「アメリカ」の由来になったヴェスブッチさんとは?
アメリカ合衆国の位置する北アメリカ(北米)大陸と、地続きの南アメリカ(南米)大陸は、大航海時代に、コロンブスにより「発見」されたとされています。ならばコロンブス大陸とかつけられてもよさそうなのですが、コロンブスはアメリカ大陸をインドだと思いこんでいた、というのは有名な話。その同時期、イタリア・フィレンツェのメディチ家と関係があり、ボティチェルリの「ヴィーナスの誕生」のモデルを務めたとされるシモネッタを輩出したヴェスプッチ家出身の航海士で天文地理学者のアメリゴ・ヴェスプッチ( Amerigo Vespucci )が、数回にわたって大西洋を航海し、大西洋の果てに南北に連なる広大な未知の大地があることを明らかにし、書簡で報告をしました。そして1507年、ドイツ人地理学者ヴァルトゼーミューラーの作成した世界地図で新大陸をアメリゴの名にちなみアメリゴ(Amerigo)のラテン語名アメリクス(Americus)としたことで、新大陸はアメリカ大陸といわれるようになったのです。もっとも、ヨーロッパ人にとって存在が認知される前から、ユーラシア大陸からアラスカを経て、多くのアジア系民族がわたっていき、独自の文明を築いていたわけですが…。
その後、17世紀になると、イギリスやスペイン、フランスなど、次第にヨーロッパからの移民が増加していきます。1620年に、イギリスからアメリカにわたった移民船メイフラワー号には、当時イギリスでカトリック系のイギリス国教会から弾圧を受けたビューリタン(清教徒・Puritan プロテスタントのカルヴァン派に属する)が渡航者の1/3ほどを占めていたため、彼らの存在はアメリカ合衆国のスローガンのひとつ「信教の自由」の象徴として扱われることになりました。
こうしてヨーロッパから「新大陸アメリカ」への入植を果たしたヨーロッパ人たちは、未開の地の辛酸をなめつつ、先住民族であるネイティブ・アメリカンたちを徐々に排除しながら、次第に入植地を広げてゆきました。
「独立宣言」に見られる革命思想
1775年4月19日、イギリス本国(グレートブリテン王国)を相手にしたアメリカ東部沿岸イギリス領の13植民地による独立戦争(American War of Independence)が勃発します。
イギリス本国からのアメリカの入植地に対する1764年砂糖法、1765年印紙法、1773年茶法と度重なる重課税に堪忍袋の緒を切らした入植者たちが、本国の東インド会社の茶を積んだ船を襲い、お茶を投棄してしまいます。これが有名なボストン茶事件で、これが戦争の発端となりました。本当か嘘かわかりませんが、このとき以来アメリカにはお茶文化が根付かず、コーヒー文化になったのだとか。
戦争は、ヨーロッパ各国の思惑が絡まって13植民地側にフランスやオランダ、スペインなどが加勢、一方イギリス側には入植者たちに土地を奪われたネイティブ・アメリカンの部族や、イギリスの植民地から連れてこられた奴隷たちがかりだされるなど錯綜を極め、北米、中米を含む大動乱が続くことになります。
この戦いのさなかである1776年7月4日、フィラデルフィアの「第二回大陸会議」でアメリカ独立宣言(Decralation of Independence)が公布されることとなります。 トマス・ジェファーソンが起草し、ベンジャミン・フランクリン、ジョン・アダムスが修正しました。そしてこれが、イギリスと戦う13植民地以外の王党派(イギリス寄り)の入植者たちの不満や反発を抑えつけ、一つの共同体の誕生を印象付けることで、後に実質的な「アメリカ合衆国の誕生」として位置づけられ、「独立記念日」となったのです。
実際には1783年9月3日にパリ講和条約が締結されて終戦したときが、アメリカの実態的な「独立」の成立であり、7月4日を独立記念日とするのはおかしい、という意見もあったり、また、独立宣言が採択されたのも、実際には日をまたいだ7月5日だったようなのですが、独立宣言50周年の7月4日に起草者で「建国の父」たちである元大統領のアダムズとジェファーソンが、55周年に大統領モンローが死去したことで、これら「建国の父」たちの命日としての7月4日は、アメリカにとって神聖な意味のある日となったのでした。
独立宣言・独立戦争は、アメリカの国旗・星条旗にも反映しています。「星」の数は合衆国の州の数に対応している、ということはよく知られています。そして「条」にあたる横縞模様、これは赤白交互で合計13本となっていますが、これは独立戦争でイギリスと戦った13植民地をあらわしています。13植民地の勝ち取った大地の上に、50の星が輝くというデザインになっているわけです。アメリカの独立誕生になくてはならなかったフランスは、あまりにこの戦争に肩入れしすぎて財政が逼迫、そのわずか6年後にはフランス革命へとつながってゆくことを考えると、アメリカ合衆国の誕生とは、現代世界のあり方にまでつながる近世史の一大事件であったといえるでしょう。
「独立宣言」の文章の一部を引用してみましょう。
われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ。こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づいて正当な権力を得る。そして、いかなる形態の政府であれ、政府がこれらの目的に反するようになったときには、人民には政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立し、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる原理をその基盤とし、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる形の権力を組織する権利を有するということである。
これは、神により王は人民の支配を信託されていてそれを否定することは出来ない、という王権神授説を否定し、国家が人民のためにならないときにそれを廃して革新することが許される、というジョン・ロック(1632~1704)のピューリタン革命思想を基にし、当時最新思想だったジャン・ジャック・ルソー(1712~1778)の「社会契約論」を反映したものです。この思想は後にフランス革命のスローガン「自由・平等・友愛」となり、あらゆる「民主主義思想」の元となりました。日本国憲法もまた「独立宣言」が採択した理念を体現した法によって成立する、という立憲主義に基づいた考え方から起草されたものなのです。
しかし、ここでいう「人民」には、ネイティブ・アメリカンや、奴隷として連れてこられたアフリカ黒人たちは含まれませんでした。平等や人権をうたいながらの、二面性や偽善は、すべての民主主義国家が抱えている矛盾ですが、とりわけアメリカの場合、その光と影のコントラストは強いものがあるかもしれません。
https://dot.asahi.com/tenkijp/suppl/2017070400023.html


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「台湾宗教文化マップ」で宗教文化を世界に紹介 年末には日本語版も

2017-07-05 | 先住民族関連
中央社フォーカス台湾2017/07/04 17:34

(台北 4日 中央社)内政部(内務省)は、台湾の宗教や文化を観光資源として広めようと「台湾宗教文化マップ」を開発し、公開している。同部の葉俊栄部長は1日、PR記者会見に出席し、宗教は台湾の文化資産の一つであり、より多くの人々に知ってほしいと利用を呼び掛けた。今年末には英語版と日本語版が完成する予定だという。
同マップでは、台湾各地にある宗教関連の古跡のほか、仏教、道教、キリスト教、イスラム教などさまざまな信仰に関する文化的イベントが見られる。平渓(新北市)の天灯(ランタン)祭りなど漢文化に起源を持つイベントや台湾原住民(先住民)アミ族の豊年祭など、台湾の多様な文化が写真を交えながら紹介されている。さまざまな宗教団体が開催する体験ツアーを検索することも可能。
公式のウェブサイトで見られるほか、アプリも配信されており、携帯端末で利用することができる。地図情報サービスを使えば、近辺の施設や交通情報を調べることもできるという。
同部によれば、宣伝トラックが1日から1カ月間、台湾全土を回る。週末には関連イベントも開催される。
(謝佳珍/編集:楊千慧)
http://japan.cna.com.tw/news/atra/201707040007.aspx

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岡崎 武志・評『北海タイムス物語』『書店員の仕事』ほか

2017-07-05 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2017年7月4日
今週の新刊
◆『北海タイムス物語』増田俊也・著(新潮社/税別1700円)
<SUNDAY LIBRARY>岡崎 武志・評『球道恋々』『「穴場」の喪失』ほか
<SUNDAY LIBRARY>岡崎 武志・評『わがクラシック・スターたち』『沖ノ島』ほか
 増田俊也『北海タイムス物語』は、1998年まで実在した札幌発の地方紙に飛び込んだ若者の物語。著者は、北大を中退後2年間在籍したから極めてリアル。
 明治20年の創刊、と名門のプライドだけ重く、実態は低賃金、長時間労働。目は血走り、怒号と罵声が飛び交う過酷な戦場だった。社会部記者を夢見て入社した野々村巡洋は、整理部に配属、鬼の上司にシゴかれ泣き暮らす。
 時代は紀子さまご成婚に沸くが、コンビニ弁当と菓子パンで飢えを凌(しの)ぎ、夜は安酒のタイムスには、目前の現実との格闘だけがある。あまりに個性的な同僚たちに揉(も)まれ、「冷静に急げ」「大胆に細心に」という上司の教えに、坊ちゃん社員が目覚めていく。
 それでも新聞社で働きたい。ジャーナリズムを守りたい。恋をし、恋に破れ、体重を減らし、奮闘する主人公は泣くし、我々も泣く。ソ連(現ロシア)が近く、アイヌ差別など北海道の今も描かれ、まずは「イチオシ」の小説になった。
◆『書店員の仕事』NR出版会・編(NR出版会/税別1900円)
 「本は基本一点につき一面」。「御託を並べたPOPなど使わずに、その技術だけで並べられた棚」を魅力的に、とリブロ池袋本店にいた幸恵子は言う。おおっ、と思わず声が出た。
 NR出版会編『書店員の仕事』は、日々、本と読者に向き合う59人の声を伝える。こんなにお世話になりながら、読者は書店員の仕事の実態を知らない。「もう少し待てば君の時代が来るかも」と思いつつ返品する苦渋を書くのは、新潟市・萬松堂の相馬俊幸。
 国分寺市・BOOKS隆文堂の鈴木慎二は、人文書の棚を作るため哲学書の勉強を始めた。それが「時代の変革と密接に結びついている」ことに気づく。最近の書店員は勉強が足りないと叱るご老人こそ、勉強が足りない。
 最終章は東日本大震災特別篇。ジュンク堂書店新宿店の伊藤美保子は「原発反対の棚」を作り続けた。書店という空間の力、書店員という人の強い意志が、この本で心丈夫に思えてきた。
◆『はかりきれない世界の単位』米澤敬、日下明・著(創元社/税別1600円)
 一般的には使われなくなった『はかりきれない世界の単位』を米澤敬・著、日下明・イラストのコンビが絵本にした。たとえば「パイプ」。エストニアの水夫は、煙草(たばこ)を吸う間に船が進む距離をそう呼ぶ。ドイツでは、猫がひと跳びする距離は「カッツェンシュプルング」。原子物理学で使う長さの単位「ユカワ」は、我らが湯川秀樹にちなんだ単位。「小さな単位にも、大きな名誉がかかっています」とコメントも洒落(しゃれ)ている。さて「ダッシュ」とは、一体何の単位? 答えは本書で。
https://mainichi.jp/articles/20170704/org/00m/040/023000c

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DJ Hervey、Gilles Peterson等も楽曲をプレイする KUNIYUKIのリリースパーティに、豪華出演陣が集合!

2017-07-05 | アイヌ民族関連
時事通信7月5日
Kuniyukiのアルバム『NEWWAVE PROJECT』リリースを記念して、I:Cubeと組んだデュオ・ユニットChateau Flightとしても人気のGilb'rが駆けつけ、さらにはイタリアのコズミックディスコ・レジェンド、Daniele Baldelliがラウンジフロアでプレイする豪華な一夜。
http://www.contacttokyo.com/schedule/kuniyuki-new-album-release-party/

Kuniyuki (Mule Musiq)
札幌を拠点に活動するKuniyuki Takahashi。彼の音楽は、国境を問わず常に独特の世界観を持ち、世界各国のプロデューサー、DJから高い評価を得ている。近年はDJ NatureやMr Raoul Kなどの海外アーティストとの共作や国内のアーティストでは、サカナクションの楽曲「サンプル」をリミックス。また、奄美島唄の唄者「朝崎郁恵」、アイヌの伝統歌を歌うグループ「マレウレウ」そしてmouse on the keysなどの楽曲をリミックスを行う。2013年よりDJ EMMA氏のプロジェクト「ACID CITY」のコンピレーションに参加し、最新作ACID CITY2挿入曲「Acid Air」はDJ Hervey、Gilles Peterson等もプレイする。近年はヨーロッパ、南アフリカ等含め国内外でのliveも精力的に行い、即興性とダンスミュージックを融合した独自のスタイルでライブを行う。
☆全曲試聴《https://soundcloud.com/mulemusiq/a1-cycle》
KUNIYUKI TAKAHASHI
『NEWWAVE PROJECT』 [MMD61 ¥2,100 + tax 2017.06.14. instores]
2014年にリリースされたmule musiqのレーベルコンピレーション『Iʼm starting to feel ok』の10周年記念盤に提供された「new wave project #2」から派生した、クニユキの音楽的ルーツであるニューウェーブ、DAFに代表されるジャーマンエレクトロ、front 242を始めとするエレクトリックボディーミュージック、そしてインダストリアル等を彼なりに消化し自身のプロダクションに反映させた今回の『ニュウェーヴ・プロジェクト』。これまでのメランコリックな作風から一変した今作は、彼の最もカッティングエッジな部分にフォーカスしたアルバムであり、彼の音楽的原点に回帰したターニングポイントと言える重要作品に仕上がった大作と言っても過言では無いだろう。
★2名様各1000円にて入場できる特典チケット付き(※一部取扱いのない店舗もございますことをご了承ください)
イベント詳細
7月28日(金)”mule musiq presents cats Kuniyuki New Album Release Party”
Open 10PM
Door ¥3500, w/f ¥3000, GH S members ¥2500, Under 23 ¥2000, Before 11PM ¥1000
【前売券】
◎Resident Adviser https://jp.residentadvisor.net/event.aspx?974720
◎iFLYER http://ifyr.tv/X1cNc
-----------------------------------------------------------
Studio:
Kuniyuki -Live “newwave project set”
Gilb’r aka Chateau Flight (Versatile Records | France)
Toshiya Kawasaki
Contact:
Daniele Baldelli (Italy) “original set from cosmic club 1979/1984″
Chee & Kza
Sisi & Tosi
http://www.jiji.com/jc/article?k=000000083.000024165&g=prt

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