@S[アットエス] by 静岡新聞(2017/7/27 08:08)
本を執筆した神川靖子さん(右)。飯田線沿線の書店などで販売している=浜松市天竜区水窪町の地場産品直売所「国盗り」
静岡、愛知、長野の3県をつなぐJR飯田線がことし、全線開通80周年を迎えた。節目の年を記念して浜松市天竜区出身の女性2人がこのほど、路線の歴史秘話をつづった著書「飯田線ものがたり」を新評論(東京都新宿区)から発行した。建設当時、最難関区間とされた旧三信鉄道(三河川合―天竜峡)の測量や工事を担ったアイヌ出身の測量士川村カネト氏、沿線の魅力などをまとめた。
執筆したのは名古屋市緑区のパート太田朋子さん(54)=浜松市天竜区佐久間町出身=と天竜区龍山町の会社員神川靖子さん(48)。
現場作業員から差別を受けながらも、測量・敷設を成功させたカネト氏の実績を知った太田さんが「後世に伝えたい」と昨年、同区水窪町でカネト氏を題材にした合唱劇を開催した。劇の広報を担当した神川さんのブログが出版社「新評論」関係者の目に留まり、発刊することになった。
書籍は2部構成で約300ページ。2人が沿線の各地で地元住民らから聞き取り調査した内容を、子どもから大人まで読みやすいようにブログ風に書き込んだ。太田さんはカネト氏の故郷である北海道旭川市も訪れ、カネト氏に関する資料なども参考にした。工事期間中に豪雨によって土砂崩れが発生したり、洪水で橋が流されたりして、工事が難航した様子などを丁寧に記した。
飯田線は全94駅、延長約200キロ。大河ドラマ「おんな城主 直虎」の撮影で使われた高根城跡がある同区水窪町の向市場駅、地割れ花火で有名な同区佐久間町の中部天竜駅など各駅の特色や文化・観光名所、風景写真などを掲載した。神川さんは旧三信鉄道の全駅を含む計51駅に足を運んだという。
神川さんは「94駅全てを紹介できなかった後悔はあるけど、住民の方が昔を思い出してくれたし、新たな話も聞けた。書き足りない部分はブログで伝えていけたら」と笑顔を見せた。価格は税別2千円。沿線の書店などで販売している。
<メモ>川村カネト(1893~1977年) 北海道旭川市で上川アイヌ集落の長の家に生まれる。蒸気機関車を見て鉄道の仕事を目指し、23歳で鉄道省の試験に合格し測量士になる。34歳の時、険しい山間地測量の熟練技術者を求めていた三信鉄道に技術係で入社。工事の現場監督も務め4年ほど働いた。サハリン(樺太)や朝鮮で鉄道測量を行い、1944年に北海道へ戻ってアイヌ文化保存に尽くす。「川村カネトアイヌ記念館」には測量機器や手帳、列車の行き先表示板など飯田線関連資料が保存・展示されいる。
http://www.at-s.com/news/article/topics/shizuoka/384736.html
本を執筆した神川靖子さん(右)。飯田線沿線の書店などで販売している=浜松市天竜区水窪町の地場産品直売所「国盗り」
静岡、愛知、長野の3県をつなぐJR飯田線がことし、全線開通80周年を迎えた。節目の年を記念して浜松市天竜区出身の女性2人がこのほど、路線の歴史秘話をつづった著書「飯田線ものがたり」を新評論(東京都新宿区)から発行した。建設当時、最難関区間とされた旧三信鉄道(三河川合―天竜峡)の測量や工事を担ったアイヌ出身の測量士川村カネト氏、沿線の魅力などをまとめた。
執筆したのは名古屋市緑区のパート太田朋子さん(54)=浜松市天竜区佐久間町出身=と天竜区龍山町の会社員神川靖子さん(48)。
現場作業員から差別を受けながらも、測量・敷設を成功させたカネト氏の実績を知った太田さんが「後世に伝えたい」と昨年、同区水窪町でカネト氏を題材にした合唱劇を開催した。劇の広報を担当した神川さんのブログが出版社「新評論」関係者の目に留まり、発刊することになった。
書籍は2部構成で約300ページ。2人が沿線の各地で地元住民らから聞き取り調査した内容を、子どもから大人まで読みやすいようにブログ風に書き込んだ。太田さんはカネト氏の故郷である北海道旭川市も訪れ、カネト氏に関する資料なども参考にした。工事期間中に豪雨によって土砂崩れが発生したり、洪水で橋が流されたりして、工事が難航した様子などを丁寧に記した。
飯田線は全94駅、延長約200キロ。大河ドラマ「おんな城主 直虎」の撮影で使われた高根城跡がある同区水窪町の向市場駅、地割れ花火で有名な同区佐久間町の中部天竜駅など各駅の特色や文化・観光名所、風景写真などを掲載した。神川さんは旧三信鉄道の全駅を含む計51駅に足を運んだという。
神川さんは「94駅全てを紹介できなかった後悔はあるけど、住民の方が昔を思い出してくれたし、新たな話も聞けた。書き足りない部分はブログで伝えていけたら」と笑顔を見せた。価格は税別2千円。沿線の書店などで販売している。
<メモ>川村カネト(1893~1977年) 北海道旭川市で上川アイヌ集落の長の家に生まれる。蒸気機関車を見て鉄道の仕事を目指し、23歳で鉄道省の試験に合格し測量士になる。34歳の時、険しい山間地測量の熟練技術者を求めていた三信鉄道に技術係で入社。工事の現場監督も務め4年ほど働いた。サハリン(樺太)や朝鮮で鉄道測量を行い、1944年に北海道へ戻ってアイヌ文化保存に尽くす。「川村カネトアイヌ記念館」には測量機器や手帳、列車の行き先表示板など飯田線関連資料が保存・展示されいる。
http://www.at-s.com/news/article/topics/shizuoka/384736.html