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【日本ファンタジーの金字塔】58年前の「コロボックル」がジブリみたいで驚いた!

2017-07-30 | アイヌ民族関連
エキサイトニュース2017年7月29日 09時00分
『コロボックル物語1 だれも知らない小さな国』(作:佐藤 さとる 絵:村上 勉)
子供のころに読んだ本の中で、最も印象に残っている1冊と言ってもいいのが、コロボックルシリーズ「だれも知らない小さな国」。といっても、40年以上も昔なので、覚えているのはコロボックルという名前だけで、内容は全く思い出せないのですが……。
著者である佐藤さとるさんが、今年の2月に永眠されたと知り、今、読み返したらどう感じるのだろうと、再びこの本を手にしてみました。
コロボックルはアイヌ語で「ふきの葉の下の人」という意味で、アイヌ伝説に出てくる5センチ前後の小人のこと。そのコロボックルに主人公であるぼくが初めて会ったのは、小学3年生のときでした。魔物がすむという噂から鬼門山と呼ばれ、誰も寄り付かなくなった美しい小山に1人で遊びに行くようになったのです。
ある日ぼくは、女の子が失くした赤い運動靴の中で、コロボックルが手を振るのを見かけます。ところが大人になるにつれ日々に忙殺され、小山にも行かなくなってしまうのです。
終戦後、美しい泉が湧く小山のことが忘れられなかったぼくは、地主さんの許可を得て小屋を建て始めます。すると小さな黒い影がサッと動くのを目にするようになり、ついにコロボックルたちが姿を現すようになります。実は彼らは、ぼくが自分たちを捕まえて見せ物にしたり、標本にしたりしない味方かどうかを長年に渡り調査していたのです。
コロボックルは、普段は穏やかで平和な人種ですが、悪い人間にはイタズラをします。例えば、蜂の毒をたっぷり塗った針で手や足を刺したり、耳の中に石を詰め込んで聞こえなくしたり、人間が起きる寸前に耳元で囁いて夢のように思わせたり。知らない間に刺し傷ができていたり、現実的な夢をよく見る私は、もしかしてあれはコロボックルのお仕置きだったのか? と笑ってしまいましたが。
その後、コロボックルに最大の危機が訪れます。山に高速道路を作るため、山が削られるというのです。ぼくとコロボックルは、なんとかその計画を阻止しようと作戦を企て、平和的な解決へと導きます。
こうして改めて読み返してみると、この本には宮崎駿さんのジブリ作品に出てくるような、自然への畏怖や人間の傲慢さみたいなものも描かれていたのだと気付きました。
しかし、この本が出版されたのは1959年。実に58年も前なのです。それでもまったく古さを感じず、内容も文章も大人になった今、読み返しても十分に楽しめる作品だったことに改めて驚きました。
子供のころは気付きませんでしたが、このお話の中には淡い初恋みたいな話も出て来ます。赤い運動靴を履いていた女の子とぼくは、大人になってから再会するのです。コロボックルも彼女を信頼して迎え入れ、この誰も知らなかった小さな国は2人が守っていくようになります。
この本はまさに、日本が誇るファンタジーの金字塔だと思います。
だからこそ、「コロボックル」シリーズが生まれ、何度も改版され読み継がれて来たのでしょう。
「死ぬ前に一度くらいはコロボックルに会ってみたい」と本気で思い始めている自分がいます。もしかしたら今も、コイツを本当に信用してもいいのか?とコロボックルは私の言動を調査中だったりして……と、妄想するだけでニタニタが止まりません。
大人になってから、子供のころに読んだ本を読み返す楽しさは、ちょっと別格です。大人が読む夏休みの課題図書には、うってつけの本だと思います。
■レビュワー
◎黒田順子
「関口宏の東京フレンドパーク2」「王様のブランチ」など、バラエティ、ドキュメンタリー、情報番組など多数の番組に放送作家として携わり、ライターとしても雑誌等に執筆。今までにインタビューした有名人は1500人以上。また、京都造形芸術大学非常勤講師として「脚本制作」「ストーリー制作」を担当。東京都千代田区、豊島区、埼玉県志木市主催「小説講座」「コラム講座」講師。雑誌『公募ガイド』「超初心者向け小説講座」(通信教育)講師。現在も、九段生涯学習館で小説サークルを主宰。
公式HPはこちら⇒www.jplanet.jp
■本の紹介
◎コロボックル物語1 だれも知らない小さな国

250万人が愛した、日本の小人(コロボックル)の物語、復刊!
久しぶりで本書を読んで感じたのは、これはなんと、純度の高いラヴストーリーそのものではないか、という驚きだった。──梨木香歩(解説より)
初版が出て51年、いつのまにか本は半世紀をこえて生き、作者の私は80歳を過ぎてしまった。
いくつになろうと、私が作者であるのはまちがいないのだが、このごろはなんとなく自分も、読者の1人になっているような気がする。そして読者としての私も、この再文庫化を大いに喜んでいる。──佐藤さとる
これが、僕がコロボックルを描く最後になるかもしれない。──村上勉
びっくりするほど綺麗なつばきが咲き、美しい泉が湧き出る「ぼくの小山」。ここは、コロボックルと呼ばれる小人の伝説がある山だった。ある日小川を流れる靴の中で、小指ほどしかない小さな人たちがぼくに向かって手を振った。うわあ、この山を守らなきゃ! 日本初・本格的ファンタジーの傑作。
『コロボックル物語1 だれも知らない小さな国』
作:佐藤 さとる 絵:村上 勉
ISBN:9784062767989
この本の詳細ページ:http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062767989
http://www.excite.co.jp/News/column_g/20170729/KodanshaBook_20170729_b02.html

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エクアドル人デザイナーによるモダンな先住民スタイル

2017-07-30 | アイヌ民族関連
AFPBB News 2017/07/28

エクアドル・リオバンバの店内に陳列されたプルハ族スタイルの手刺繍ブラウス。エクアドルでは、グローバルなファッショントレンドから離れ、独自の先住民ファッションが脚光を浴びている。(2017年7月1日撮影)。(c)AFP/JUAN CEVALLOS
【7月28日 AFP】長年西欧スタイルの二番手に甘んじていたが、エクアドルでは今、伝統衣装を捉え直す新世代のデザイナーたちの登場で、先住民ファッションが再び脚光を浴びている。
「素早くターンして!」。ケチュア語で「プリンスとクイーン」を意味するモデル事務所「Awkis y Nustas」創設者のフアナ・チカイザ(Juana Chicaiza)は声高に言った。彼女は若いモデルたちに、アンデスの伝統的なスカート、アナコをランウェイで一番良く見せる方法を教えていた。
 長い黒髪を持つ、元美人コンテスト優勝者のチカイザは、プルハ(Puruha)と呼ばれる先住民の一人だ。彼女の伝統的な身なりはコンテストで失笑された。この経験により32歳の彼女は、ランウェイにおいてプルハの「アイデンティティーを周知」させるためにも、自身の事務所を2013年にオープンさせた。今やランウェイでは、モデルたちが「西欧と先祖代々」のものをミックスした服で闊歩している。
 ラテンアメリカの事務所は一般的に、モデルたちに砂時計型のプロポーションと美しい容貌を求めるとデザイナーでもあるチカイザはAFPの取材に答えた。「我々はそれを求めてはいない。個性を持つ女性を求めているのです」と彼女は語る。
 エクアドルの先住民を代表する団体によると、エクアドルにおける先住民は人口1650万人のうち、30パーセントを占める。だが多くの住人は、自分が先住民と認識しておらず、国勢調査ではたったの7パーセントであるとされている。チカイザのように、ファッションデザイナーたちも、人々にその伝統に誇りを取り戻す活動をしている。
少しエッジーさを加えて
 同じくプルハ民族であるLucia GuillinとFranklin Janetaは、それぞれ先住民ファッションブランド「Churandy」と「Vispu」を立ち上げた。「我々プルハの服は見かけなくなり、若い人たちは西欧のファッションを身に付けるようになった」と自身がデザインしたベアショルダーの服をまとったGuillinは語る。手刺繍の花があしらわれたトップスやスカートなどの価格帯は150〜800ドル(約1万7,000円〜9万円)。一番高価なアイテムは花嫁や美人コンテスト優勝者たちに向けられたジェムや刺繍などをあしらったものだ。
 デザイナーたちは花や太陽といった伝統的な装飾品やシンボルを用いる。だが今、デザイナーたちは斬新なカットなどで、より現代的なスタイルに作り変えている。「ローカットのネックラインやショートスリーブのものはなかった」とJanetaは言う。「もしそれを変えたらどうなるだろう?と私は自分自身に問いかけました。なぜなら若い女性たちはもう少しモダンなものを好むからです」
 またGuillinは服に少しエッジーさを加え、マーメイドカットやトレーン、フレアやサイドスリットなどを取り入れた。そうすることで女性たちに再びアナコのスカートを、誇りを持って着てもらえるようになったという。「我々は、先住民は閉鎖的だという考えを改めなければいけない」と彼女は言う。「そういった考えを持ち続けると、我々の文化を失う恐れもあるのです」
 Janetaらのブランドでは、毎月1万2000ドル(約135万円)の売上があるという。彼女によると、顧客たちはハンドメイドの服の価値を理解しつつあるという。「我々は異なる品質をどのように見分けるかを人々に教えた」と彼は語る。「以前は60ドル(約6700円)以上のブラウスを販売することは困難でしたが、もはやそうではない。彼らはコルセットに400ドル(約4万5000円)まで支払うでしょう」
 香水ブランド「Yuyary」(ケチュア語で記憶を意味する)を立ち上げたデザイナーのEsther Miranda、Jose Mullo、Jacqueline Tuquingaといった新時代の先住民事業家たちは、西欧人たちも潜在的な消費者ターゲットと見なしている。「ケチュアのブランドなので、人々は我々のコミュニティーだけのものと思いがちだ」とMirandaは言う。「しかし我々はそれを超えていきたいのです」。(c)AFP/ Paola LÓPEZ
http://www.afpbb.com/articles/-/3137117

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印付き皿の破片、本州初出土 居住の可能性高まる

2017-07-30 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2017/07/27
 青森県南部町教育委員会は25日、北東北最大の戦国大名、三戸南部氏の居城だった国史跡「聖寿寺館跡」(同町小向)で、中世アイヌのシロシ(印)が施された染付皿の破片が、本州で初めて出土したと発表した。南部氏がアイヌと交渉を持ち、アイヌが聖寿寺館に住んでいた可能性が非常に高まった。本州アイヌ研究の進展に貢献するもので、南部氏の領国経営や北海道アイヌとの関係を考える上でも大きな発見だという。
 見つかったのは、15世紀後半~16世紀前半に流通していた中国産の染付皿底部片(底径7.2センチ)。シロシはアイヌの所有物であることを示す印で、底部に5センチ×4.3センチの「×印」が刻まれていた。聖寿寺館に持ち込まれた染付皿を居住していた本州アイヌが入手し、シロシを施した可能性が高いという。
 類似品は、北海道南部を支配した蠣(かき)崎氏の居城「勝山館跡」(北海道上ノ国町)からも出土し、和人とアイヌが混住していたとされる。また、聖寿寺館跡ではこれまでにも、同様にアイヌの物と見られる骨角器やガラス玉が出土している。
 記者会見で、本州アイヌの研究者である弘前大の関根達人教授は「アイヌがこの地に生きていた証拠があることが分かった意味は大きい。アイヌを味方につけることは南部氏にもメリットがあったはずだ」と話した。染付皿は、聖寿寺館跡案内所で28日から特別公開される。【塚本弘毅】
https://mainichi.jp/articles/20170727/k00/00e/040/213000c

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アイヌ刻印の皿出土 青森・南部の国史跡で本州初 共に居住の可能性高まる

2017-07-30 | アイヌ民族関連
河北新報 2017/07/27
 青森県南部町教委は25日、中世の南部氏の居城だった国史跡聖寿寺館跡(しょうじゅじたてあと)から、アイヌ民族の「シロシ」と呼ばれる刻印が入った染付皿(そめつけざら)が見つかったと発表した。本州からは初の出土で、町教委は「南部氏の居城に、アイヌも居住していた可能性が高まった」と説明する。
 見つかったのは15世紀後半~16世紀初めに流通していた中国産の染付皿の一部。掘立柱建物跡の東端から出土した。底に5センチと4.3センチの直線が交わったバツ印が施されており、刻印は金属で引っかいて付けられたとみられる。
 聖寿寺館跡では過去の調査で、アイヌのものとみられる骨角器やガラス玉が出土していた。今回の発見について、アイヌを研究する弘前大の関根達人教授は「アイヌがいたことは分かっていたが、中世の城館で和人(アイヌ以外の日本人)と共に住んでいたことが意義深い」と言う。
 本州のアイヌの実態は不明な点も多く、史跡聖寿寺館跡調査整備委員会の三浦圭介委員長は「アイヌの歴史を研究する上で非常に大きな発見」と指摘。関根教授は「本州のアイヌは影が薄かったが、生きていた証拠があった」と話した。
 出土した皿は28日から同町小向の史跡聖寿寺館跡案内所で公開される。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201707/20170727_33046.html

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アイヌ刻印の皿の破片が本州初出土 青森の戦国大名城跡から 武士と居住の可能性

2017-07-30 | アイヌ民族関連
産経ニュース 2017/07/27
 戦国大名・南部氏が15~16世紀に青森県全域から盛岡周辺まで支配した際に拠点を置いたとされる城「聖寿寺館」跡(青森県南部町)で、アイヌ民族の刻印が付いた皿の破片が見つかったことが27日、分かった。北海道では出土例があるが本州では初めて。
 南部町教育委員会によると、破片は数センチ大で15~16世紀の中国製の磁器。文字を持たなかったアイヌが自らの所有物であることを示すために刻んだとされる「シロシ」と呼ばれるバツ印が裏側に彫られている。
 同様の刻印がある皿や茶わんは北海道上ノ国町にある中世の城跡「勝山館跡」からも出土しており、付近ではアイヌの墓跡も確認されている。
 町教委によると、皿は城の当主が生活していた区域で見つかっており、アイヌが武士とともに居住していた可能性が高いことを示すという。
http://www.sankei.com/life/news/170727/lif1707270030-n1.html


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