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野口彌太郎展 没後40年 今なお鮮烈、色彩と構図 佐賀・唐津

2016-12-05 | アイヌ民族関連
毎日新聞2016年12月4日 西部朝刊
<日曜カルチャー>
 長崎ゆかりの洋画家、野口彌太郎(やたろう)(1899~1976年)の没後40年にちなんだ回顧展が、佐賀県の唐津市近代図書館美術ホール(同市新興町)で開かれている。長崎市野口彌太郎記念美術館が所蔵する油彩画を中心に約70点。
 彌太郎はフォービスム的な奔放な筆致と鮮烈な色彩感覚を旨とし、ほぼ独学ながら、独立美術協会で重きを成した。毎日芸術賞(64年)、芸術選奨文部大臣賞(73年)などの賞歴があり、75年には日本芸術院会員に就任している。
 東京・本郷の生まれだが、資産家だった父親は現在の長崎県諫早市出身。本人も尋常小学校の一時期を諫早で過ごした。戦後は長崎を度々訪れ、県内の風景を作品にしている。地元の画家とも交流し、長崎の洋画発展に貢献。93年には野口彌太郎顕彰会からの寄贈品をベースに、長崎市野口彌太郎記念美術館が開館した。
 アカデミックな雰囲気が残る、初期の「画室の女」(26年)から、最晩年の「カーニュの印象」(76年)までほぼ時系列で画業を振り返るのが本展。29年から4年間の滞欧を経て、独自の様式を獲得したのだと気付く。
 「オランダ坂」「諫早の眼鏡橋」など、長崎の風景画が目立つが、取材範囲は全国、さらに海外へと広がった。作例は「アイヌの老夫婦」「那智の滝」「あわおどり」「オキナワの海」「バリ島の踊子」「ヴェニス」「ニースのカーニバル」など。
 唐津にも足を運んでいる。「唐津の眺め」(68年、個人蔵)は、水辺(前景)、川(中景)、唐津城や山並み、空(後景)の三つに、画面が水平方向に分割された作。奥行きに富む。右手前には小舟を、その対角線上の左奥には唐津城の天守閣を配している。この二つは垂直的な造形。理知的な構成力が光る。川と空はオレンジ系の色でまとめられ、空間全体がきらめきに満ちている。
 伸びやかで、力強い筆遣いは長いキャリアの中でほぼ一貫しているが、色遣いは時として変調する。江戸時代のキリスト教信徒弾圧に題材を得た「踏絵」(56年、長崎市野口彌太郎記念美術館蔵)もその一例。やや見下ろす構図。着物の裾をめくり、素足をさらしながら、そっと踏み絵に足を乗せる女性。時が静止している。周りの人物は表情に乏しく、左側の2人の顔は仮面めいて見える。色は紺、朱、白系のほぼ3色のみである。鈍く、暗い色調。太い輪郭線の朱が血液を連想させ、不穏な空気がみなぎる。主題の本質、核心を直感的にとらえ、画面上に定着させるスタイル。迫力あふれる絵画世界は、時を経ても色あせることがない。
 11日まで(月曜休館)。4日と最終日の午後2時からギャラリートークがある。一般500円。唐津市近代図書館美術ホール(0955・72・3467)。【渡辺亮一】
http://mainichi.jp/articles/20161204/ddp/014/040/008000c


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北方領土はどんなところ? /北海道

2016-12-05 | アイヌ民族関連
毎日新聞2016年12月4日 地方版
世界三大漁場の一つ
 なるほドリ 北方領土は、どんなところなの。
 記者 北海道の東側にある択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島のことで、最も近い歯舞の貝殻島から根室市の納沙布岬まで3・7キロしか離れていません。面積は計5003平方キロで、福岡県や千葉県とほぼ同じ。最大の択捉島だけで東京都より広い面積があります。
 Q 自然環境は。
 A 択捉や国後には1500メートル級の火山があります。周辺の海は寒流と暖流が交わり世界三大漁場の一つと呼ばれています。サケやマス、タラバガニなどが水揚げされ、コンブ漁も盛んでした。
 Q 日本の領土なんだよね。
 A 昔はアイヌ民族が住んでおり、島の名前もアイヌ語が語源となっています。日本人とロシア人もこの地域を探索するようになりました。1855年の日露通好条約で日本領であると確認され、1945年の終戦直後は漁業従事者を中心に日本人約1万7000人が住んでいました。
 Q 今はロシア人が住んでいるの。
 A 第二次大戦で日本がポツダム宣言を受諾した後、旧ソ連軍が占領しました。日本人は島から脱出したり強制送還されたりして、48年までにいなくなりました。以降、ソ連の崩壊後はロシアによる実効支配が続いています。ロシアは発展計画に基づき、道路や港湾、空港といったインフラや住環境の整備を進めています。現在、1万7000人近いロシア人が住んでいるとされますが、歯舞群島には一般住民がいません。
 Q 日本は返還を求めているんでしょ。
 A 日本は51年調印のサンフランシスコ講和条約で千島列島と樺太を放棄しましたが、北方四島は千島列島に含まれない「日本固有の領土」として返還を求めてきました。これに対し、ロシアは「第二次大戦で、領土の一部となった」としており、主張に隔たりがあります。
 Q 元島民は、自由に島に行けないの。
 A 元島民の要望を受け、64年から断続的に査証(ビザ)なしの身分証明書による特別方式で「墓参」が行われるようになりました。92年からは報道や学術関係者も参加できる「ビザなし交流」の仕組みができ、99年からは元島民の家族や子孫が住居跡地などを訪れる「自由訪問」も始まりました。
 しかし、事前の手続きが必要で、訪問期間や現地での行動にも制限があります。また、日本政府はロシアの主権を認めることにつながるため、ビザを取得するなどしての渡航自粛を呼び掛けています。自由な訪問はできない状況です。
 Q 元島民は、どうしているの。
 A 多くが島に近い根室市など北海道内に住んでいるほか、漁の出稼ぎ労働者が多かった富山県などにも住んでいます。58年に元島民の団体「千島歯舞諸島居住者連盟」を結成し、領土の返還を訴えています。連盟によると、今年3月末現在で平均年齢81・3歳と高齢化が進み、生存者は6312人となりました。
http://mainichi.jp/articles/20161204/ddl/k01/070/125000c


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「北海道みんなの日」意見を…道議会が公募

2016-12-05 | アイヌ民族関連
読売新聞 2016年12月04日
 道議会の全5会派は、7月17日を「北海道みんなの日」と定める条例案のパブリックコメント(意見公募)を始めた。道民の意見を反映させ、来年2月の道議会定例会に条例案を提出したい考えだ。
 条例案は、道民が縄文文化やアイヌ民族文化、開拓史など北海道の文化や歴史への関心を高めてもらうのが目的。幕末の探検家、松浦武四郎が、1869年(明治2年)に「北加伊道(ほっかいどう)」を含む呼び方を明治政府に提案した7月17日を北海道みんなの日、愛称「道みんの日」と決め、この日を中心に記念行事などを開催し、北海道への理解を深めてもらうための条例となっている。
 意見公募は来年1月4日まで。メール(gikai.seisaku2@pref.hokkaido.lg.jp)か郵送(〒060・0002札幌市中央区北2西6 道議会事務局政策調査課)で受けつける。
 問い合わせは道議会事務局政策調査課(011・231・4111)へ。
http://www.yomiuri.co.jp/hokkaido/news/20161204-OYTNT50009.html


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台湾産ワサビ存続ピンチ 林野当局、「治山」で先住民栽培地に退去要求

2016-12-05 | 先住民族関連
産経ニュース 2016.12.4 05:00

 台湾で日本統治時代から続くワサビ栽培が存続の危機にひんしている。先住民ツォウ族が伝承してきた中南部・阿里山の栽培地について、林野当局が今月末までに全面明け渡しを求めているからだ。山林を守り土砂災害を防ぐためとしているが、生産者は反発している。阿里山は栽培面積のほぼ100%を占めており、日本への輸出や、近年普及してきた台湾の日本食文化にも影響が出そうだ。
 森林鉄道など観光地として有名な嘉義県阿里山郷の標高約2300メートル付近。斜面を分け入ると、木々の根本にワサビの葉が生い茂っていた。ツォウ族のパスヤ氏(33)=姓は非公表=が祖母(87)や母親(60)と育てる「阿里山ワサビ」の栽培地だ。湧水で育てる日本と異なり、土に植える。約3ヘクタールの土地はコケでおおわれた石組みで仕切られていた。
 「この畑は100年近くの歴史がある」とパスヤ氏は話す。台湾のワサビ栽培は1914(大正3)年、宮城県から阿里山にワサビが持ち込まれて広まったとされる。パスヤ氏一家も代々、改良された日本の品種を栽培してきた。
 ツォウ族は1972年に狩猟が禁じられて以降、多くがワサビや茶の栽培に転じた。83年に近代的な道路が開通すると、漢民族も加わり、ワサビ栽培は急速に拡大。栽培面積は90年代に約270ヘクタールまで増えた。日本向け輸出も盛んになり、2003年には約140トンを記録した。
 だが、阿里山の大部分を占める「国有林」での栽培に批判も高まり、当局は1990年代後半、山林の荒廃を招いたとして栽培を違法と断定、土地の“回収”を始めた。加えて、2009年夏、南部を中心に多数の死者を出す洪水・土砂災害が発生したことを受け、治山事業を強化した。
 行政院農業委員会林務局(林野庁に相当)は13年、16年末までに違法栽培地を全廃させる計画を策定。今年11月までに100ヘクタール以上を回収し、残る約50ヘクタールも今月中に回収する方針だ。「国有林」外での栽培はごくわずかで、計画が完了すれば、阿里山のワサビ栽培は壊滅する可能性が高い。
 林務局は「国有林」外の標高1500メートル地点への移転を勧めているが、試し植えをしたパスヤ氏は「霧や日差しの条件が異なり、品質が落ちた」と難色を示す。「先住民は後から来た政権に伝統文化を否定されてきた」と不満を漏らすが、対応策は見つかっていない。
 先住民の場合、「保留地」と認定されれば耕作が可能だが、ワサビ生産者は「20~30戸」と少数で、地元議員の支援も望めないという。
 当局の規制に加え、傾斜地での重労働や高齢化で、生産者は減少の一途をたどる。パスヤ氏は「移転先が決まった農家は少ない。このままでは台湾のワサビはなくなる」と話している。
 (台湾・阿里山郷 田中靖人)
     ◇
 ■ツォウ族 台湾当局が認定する先住民16部族の一つ。行政院(内閣)の「原住民族委員会」によると、嘉義県阿里山郷を中心に約6900人が暮らす。かつては焼き畑農業を中心に狩猟や漁労に従事していた。土地は公有制だが、氏族単位での優先使用も認められていた。
http://www.sankei.com/world/news/161204/wor1612040005-n1.html

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アイヌ語も?今だ謎に包まれた起源が不明確な10種の古代言語

2016-12-05 | アイヌ民族関連
エキサイトニュース-2016/12/03

 言語からは、ある社会の文化、生活、進化、移住パターンなど、様々なことを知ることができる。また古代人の考え方や遠い過去の時代の物語についても教えてくれる。
 だが中にはまったく矛盾する事実を突きつけ、謎に包まれたまま煙に巻いてしまうようなものもある。ここでは海外サイトでまとめられていたそんな期限不明な10種の古代言語を見ていこう。
 カラパイアを見ている人の中には有識者も多いので、補足説明をしていただけるとうれしい。
10. 北ピケネ語[画像を見る]http://karapaia.livedoor.biz/archives/52229587.html
 紀元前1千年紀にイタリア北東部に住んでいたとされるピケネ人の言語。南ピケネ語はよく研究されおり、オスク・ウンブリア語群に連なるイタリック語派に属するとされている。しかし北ピケネ語はそれとは大きく異なり、正確に分類することができない。
 イタリアのノヴィララで発見された石碑から見つかった。エトルリア文字に似ているが、子音にはギリシャ文字を含むものがある。文法にもよく分からない点が多い。
9. エトルリア語
 ローマ帝国が成立する前、イタリアのトスカーナ地方に存在したエトルリア文明の言語。エトルリア文明は強大かつ洗練された文化を有しており、地中海西部では最古の主要文明である。現在知られる古代の知識は古代ローマ語から判明したものであるため、それ以前の社会は謎めいたものとして見られることがしばしばだ。…
 エトルリア語には他の言語には見られない特徴があり、孤立した言語と考えられることも多い。屈折した複雑な言語で、格を多用する。起源は不明であるが、ティレニア語族の一種とする説もある。
8. バスク語
 スペイン北部ならびにフランス南西部の一部に住むバスク人が話す言語。これまでの研究からは、世界のどの言語とも関連性が見出されていない。
 他のイベリア語が滅んでしまった中、ローマ語以前の言語として現代まで生き残った唯一の言語である。バスク語、イベリア語、アフロ・アジア語族との関連性を示した説はいくつもあるが、いずれも一般的な支持は得られていない。現存する言語としてユニークな地位にあり、かつてイベリア半島で暮らしていた古代人の言語的多様性を伝えてくれる。
7. シュメール語 くさび形文字で有名。紀元前2千年紀にメソポタミアで話されていた。文字は表意文字、象徴、抽象図形の組み合わせで、特定の単語や音ではなく概念を表す。解読されたものもあるが、新しい説明がその後も登場しており、文法や構文についての議論は続いている。
 他の古代言語と同じく、こう着語である。別個の語尾と接尾辞で単語を形成し、意味を伝える。起源は不明であり、その候補についてすら一貫した説はない。
6. アイヌ語
 現在、北海道島や本州島北東地域やロシア極東地域等に居住するアイヌ民族(アイヌ)の言語である。
 アイヌ民族は、大和民族と文化的・言語的に異なり、紀元前14,500年頃に日本に移住した縄文人の子孫と言われている。大和民族と地理的に近い位置で話され、古くから交流があったにも関わらず、日本語とそれほど共通点が見いだせない。
 一方で、アイヌ民族が日本へやってきたのは西暦1200~1300年で、朝鮮半島の北渤海あたりに住んで居たことがわかっており、縄文文化とアイヌ文化は全く異なる文化であり民族的にも別種だという説もある(コメント欄より) 。
 ただし、伝統的なアイヌ民族は文字で言葉を表す文化を持たなかった。そのため彼らの立場で書かれた歴史的記録がなく不明な点が多い。のちに日本語の仮名文字で記されるようになったが、本来であれば音だけで伝えられるアイヌ語を話す者は一握りしかおらず、消滅が懸念される危機に瀕する言語である。
5. シケル語
 イタリア、シチリア島にはかつてシクリ人という民族が暮らしていた。当時のシチリア島に存在した3先住民の一つで、インド・ヨーロッパ語族の言語を話していたと言われている(ただし証拠に乏しいためはっきりと結論は出されていない)。
 シクリ人はイタリアのリグーリア地方あるいはラティウム地方に起源があると言われている。土着の信仰があり、多数の神々を奉じるなど独自の文化を有していたが、やがてギリシャ人によってもたらされたギリシャ文化に同化した。ギリシャ文化以前に記されたものが少なく、わずかな碑文しか残っていない。
4. ヴィンチャ語
 古ヨーロッパ語ともいう。ヨーロッパ南東部で発掘された出土品の印に基づく、仮説上の言語である。印は世界最初期の文字と考えられており、シュメールのくさび形文字やエジプトの象形文字より数千年も古い可能性がある。
 印が発見されたのは、紀元前6,000~3,000年頃にヴィンチャ人が暮らしていた、現在のルーマニア西部のドナウ川沿いに当たる地域である。暮らしや社会については謎に包まれた文化であるが、発見された記述はいずれも短文であるため、解読されることは決してないだろう。
3. フルリ語
 ヒッタイト帝国が支配した地域で話されていた、今では死語となった古代言語。フルリ語を話す部族は元々アルメニアの山岳地帯で暮らしていたが、紀元前2千年紀にメソポタミアやアナトリアに移住してきたと考えられている。アッシリアに征服される以前は、ミタンニ王国で話されていた。
 他の言語と結びつけられる形で分類されてはいないが、アルノー・フルネとアラン・R・ボンバードは、著書の中でインド・ヨーロッパ語族の特徴が見受けられると主張している。
2. エラム語
 メソポタミアではシュメール語とアッカド語のほかにもエラム語が使用されていた。解読は不完全であるが、一部文法の理解が進んでいる。象形文字と表語文字を含む原始的な文字だったが、くさび形文字に取って代わられた。
 こう着語で、ヨーロッパや中東で話されていた他の古代語に似た文法的要素がある。名詞、動詞、代名詞には複雑なバリエーションを持つ形態素や接尾辞が付与される。語順はSOV型(インド・ヨーロッパ語族言語には見られない特徴)であり、動詞が文末に置かれるという他の言語には見られない特徴がある。
1. ラエティア語
 現在のイタリア北部、オーストリア西部に当たる東アルプス地域で使用されていた。紀元前500年頃のアルプス先住民の言語。
 起源については、エトルリア語やリムノス語と同じティルセニア語族とする説、インド・ヨーロッパ語族から派生したとする説など、いくつか説がある。エトルリア語の影響を受けた孤立した言語という説もあるが、真実が明らかになることはないだろう。
via:10 Ancient Languages With Unknown Origins/ translated hiroching / edited by parumo
http://www.excite.co.jp/News/odd/Karapaia_52229587.html

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力作ずらり刺しゅう展-白老

2016-12-05 | アイヌ民族関連
苫小牧民報(2016年 12/3)

力作がそろった作品展
 白老地方のアイヌ民族が使用した100年以上前の木綿衣のアイヌ文様をモチーフにした刺しゅう作品展が、白老町若草町のイオル事務所チキサニで行われている。苫小牧駒沢大学で行われた2016年度アイヌ刺しゅう講座(苫駒大環太平洋・アイヌ文化研究所主催)の受講生が手掛けたタペストリーと前掛けの21点。総勢18人の力作が並び、愛好家からも関心が集まっている。10日まで開催。
 白老町の刺しゅうサークル「フッチコラチ」のメンバー小美浪フミさんが講師を務め、7月から11月まで全15回で講座を開講。主催者の予想を大幅に上回る30~80代の20人が受講した。参加者は子育てを終え、趣味で刺しゅうを楽しむ人が中心。小美浪さんから指導を受け、丁寧に刺しゅうを縫い上げたという。
 展示コーナーに並ぶ作品はいずれも同じデザインだが、それぞれ微妙な違いがあり、「一点ずつじっくり眺めては作品ごとの違いや良さを見ていく方もいますね」とチキサニ学芸員の森洋輔さん。最近は2020年の民族共生象徴空間開設のPR効果などでアイヌ文化に関心を寄せる人が増加。各種刺しゅう講座も徐々に人気が高まっており、今回の作品展も町外から足を運ぶ愛好者が多いという。
 森さんは「気軽に来場を」と呼び掛けている。
http://www.tomamin.co.jp/20161245357

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