名古屋季節だより

京都・静岡・宝塚・東京・横浜、
そして尾張名古屋からの季節だより

1325 「調布市、冬枯れの神代植物園」

2017-12-26 08:44:26 | 日記

 東京都立神代植物園公園、

 広大な武蔵野台地に広がる、

 植物園・温室・水生植物園・植物多様性センター、



 



 エントランスにロウヤガキが、

 寂し気にぶら下がっていた、



 



 その下には、

 深紅のカラタチバナが雫に光っている、



 



 



 園内には人影はまばら、

 まさに冬枯れの世界が広がる、



 



 



 



 



     



 躑躅の枯れ木、



 



 冷え冷えとした池と雪吊り、



 



 



 藁の防寒具、



 



 



 



     



 白い木肌の木々並ぶ、

 東山魁夷の世界、



     



 冬枯れの芝生が広がれど、

 人影はない、



     



 パンパシが寒風に揺れる、



 



 



 広葉樹の落葉がふかふかの絨毯となって、



 



 ベンチにも誰もいない、



     



 藤棚が続くどこまでも、



 



     



 木になる実を見つける、



 



 ここには、

 温かな世界が、



 



 タチバナ、



 その2、

 花の散ったバラ園を抜けて温室に向かう、


 



 


 



 



 




 


 

 



 

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1324 「武蔵野、深大寺師走」

2017-12-25 09:01:59 | 日記

 調布市、

 夕暮、

 冬枯れの深大寺を通り抜ける、



 



 名残の楓、



 



 本坊、



     



 庫裏に出向くと、

 中では大忙しの蕎麦を打っていた、



 



 清冽な湧き水の手水、



 



 渡り廊下を渡り、



 



 梵鐘を聴きつつ、

 椿が辺りに彩りを添える、



 



 



 



 茅葺の三門、



 


 
 



 



 門前、



     



 一軒の蕎麦屋に入る、

 雀のお宿とか、



 



     



 



 



 



 はて、



 



 



 暮れなずむ折、

 急ぎ戻る、



 


 


     




 
 


 


 

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1323 「暮れなずむ時、 沈黙の青鷺と五位鷺」

2017-12-24 06:57:55 | 日記

 2017年12月24日、

 クリスマス・イブそしてクリスマス礼拝、






 暮れなずむ時、

 ここかしこに沈黙の青鷺と五位鷺に出会う、



 



     



 水面に写す枯れ木、



 



 
 


 湧水と落葉、



     



 五位鷺、



 



 



 



     



     



     


 
     



 



 青鷺、



     



 夜の帳が下りる、






 さらに続けて、

 附けたり、


 キリスト教保育連盟
 
 機関誌「キリスト教保育」

 2017年「12月号風」

 「教師としての戸惑い」

 子どもを教え育てることは、

 自分自身が学び育っていくことを知ることです。

 初めて自分のクラスを持った先生にとって、

 その初めの一か月は、

 ただ子どもの動きに驚き、

 振り回されながらも子どもとの一体感に教師となった喜びを実感します。

 その内一人ひとりの子どもが見えてくると、

 自身の意に沿う子どももいれば、

 自分の思いとは真逆の行動をとり続ける子供も見えてきます。

 子どもがどうして泣き出したのか、

 なぜ反抗するのか分からなくなってしまうこともしばしば起こって来ます。

 教師としての戸惑いが自身の心の中に起こってくるのです。

 教師としての戸惑い。

 夢を抱いて教師となりクラスを持ち子どもたちと一緒に生活し始めたはずなのに、

 子どもの気持ちが離れていくように感じることがあります。

 やってもやっても空回りしていく自分が見えてきます。

 隣のクラスのことが気になりだし、

 自分一人落ち込んでいき、

 疎外感すら感じてしまうことがあります。

 ここに来て初めて日々の子どもとの生活が自分の存在そのものを問うてくることに気付くのです。

 自分はこの仕事を希望して入ったにもかかわらず、

 本当は自分はこの仕事に向いていないのではないか、

 という自らを真摯に振り返る気持ちこそが本当の教師としての出発点なのです。

 表面的な子どもとの出会いではなく、

 全身をもっての子どもとの生活が始まり出した証なのです。

 悩むことは辛いけれど、

 その苦しみがあなたを教師へと導いていることを信じてもう少し頑張ってください。




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1322 「日本キリスト教会館、事務局とスコット記念館」

2017-12-23 06:07:25 | 日記

 昨日冬至、

 本日より長い夜が日一日と短くなる、

 時は直線に進むも、

 大地が動き、

 季節が移る、






 事務局のある日本キリスト教会館、

 ガラスにモミの木を写す、



     



 ガラスの玄関、

 葉を落とす銀杏が写る、



     



 隣に、

 スコット記念館(日本キリスト教団早稲田教会)、

 青空に建つ、



 



     



 



 



     






 続けて附けたり、

 キリスト教保育連盟 機関紙「キリスト教保育」11月号、

 『風』記事、

 「一人ではできないこと 2」

 「孤絶」というタイトルの新聞連載記事がありました。

 そこには育児に追い詰められた親が一人孤独の中に悩み苦しむ姿が印象的に描かれていました。

 この育児うつと同じように、

 担任うつも少なからず起こっています。

 教師の中には「仕事に追われ疲れて死にそう」「一人で頑張るには限界、

 しかし一人で抱え込んでしまっている自分から抜け出せないでいる」

 「教師として保護者とうまく関係を持てない」

 「同僚や上司には自分の弱さを話せない」と感じる人もいるはずです。

 同僚や上司に自分の悩みを知られたくないと考えがちですが、

 自分が辛くて長いトンネルに入ってしまうと、内

 向きにしか考えが至りません。

 どこかでその想いを断ち切れれば、

 元の自分を取り戻せるのですが、

 抱え込んでしまうと周りが見えなくなってしまうのです。

 では、

 どうすれば良いのでしょうか。

 うまくいかない人間関係に対して、

 困ったら遠慮せずに周囲に助けを求めて良いのです。

 相手と二人きりだと、

 思い通りにいかないことを一人必要以上に深く感じてしまい、

 ついイライラしてしまいます。

 あなただけではないのです。

 遠慮せず困っていることを外に伝えてください。

 自分が思っているほどに、

 まわりは深刻に考えてはいないものです。

 小規模の園では話すことができにくい場合もあります。

 そのような時にはためらわず外に相談の機会を求めてください。

 教師は悩みを聞き指導する側だと思い込んでいませんか。

 教師こそ悩みながら、

 その悩みの中から学んでいく者なのです。

 そこにこそ本当の教師としての成長と喜びがあるのです。

 教師の悩みを聞く機関も自治体や保育園・幼稚園協会にあります。

 何時も子どもたちと祈っているではありませんか。

 祈りはあなたのためにもあります。

 教会に出向き、

 知人に話すのも一つです。

 大学時代の友人はいかがですか。

 研修会で出会った友達にメールし、

 相談してみるのも自分を取り戻す近道です。









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1321 「東高野山、長命寺の冬枯れ」

2017-12-22 06:03:48 | 日記

 東京練馬高野台の武蔵野に、

 東高野山と言われる「長命寺」の境内が広がる、

 1613年建立とか、



 早朝、



 



 梵鐘がシルエットとなる、



     



 日が登る、



 



 



 建物のすべての屋根に、

 銅が葺かれていた、

 緑青色が青い空に似合う、

 

 



 すっかり葉を落とした欅、



  



 鐘楼、



 



 境内の小さな門に、

 わらじがぶら下がっていた、



     





 附けたり、

 久しぶりですが、

 キリスト教保育連盟の機関紙「キリスト教保育」10月号、

 『風』、


 「一人ではできないこと」


 4月から始まった保育園・幼稚園・こども園での生活が半年たちました。

 新任の先生方は、

 この半年をただただ駆け抜けてきたように思いませんか。

 休みも十分に取れないまま、

 行事の準備に放課後が慌ただしく過ぎて行きます。

 心と体は大丈夫でしょうか。

 子どもたちと過ごす楽しさはあるものの、

 保護者への対応、

 はたまた同僚とのちょっとした考え方の違いからか、

 気持ちに疲れが出ていませんか。

 行事の準備は先生方みんなで協力して行ってきたのでしょうが、

 自分のクラスの中での問題には、

 自分一人だけで悩んでいませんか。

 良かれと考えて行ったことも誤解がもとで、

 保護者からの苦情となってしまっていませんか。

 また子ども同士のいざこざが双方の保護者の感情の行き違いとなり、

 問題が複雑にこじれてしまっていませんか。

 問題が小さなうちに、

 同僚や主任の先生に相談していれば良かったものの、

 相談できない何かが自分の中にあって、

 今となってはにっちもさっちも行かなくなってしまったのかもしれません。

 でもここで、

 自分は教師には向かないと思わないでください。

 教師になって、

 自分自身に悩むことが教師であることの出発点なのです。

 子どもたちは泣きながら喧嘩をしながらも目覚ましく成長していきます。

 私たち教師もまた、

 泣きながら悩みながら一人の人として大きくなっていきましょう。

 それには、

 自分一人で悩み苦しむだけでなく、

 一人だけではできないこともあるということを受け入れる柔軟な心が大切ではないでしょうか。

 問題が大きくなる前に、

 一番親しい人に相談してみてください。

 自分一人で解決しなければいけないと思い込まないこと、

 それは自分を過信していることでもあるのですから。

 気持ちを切り替えて、祈りながら再出発しましょう。



 

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