京都・静岡・宝塚・東京・横浜、
そして尾張名古屋からの季節だより
急に秋の気配、
彼岸の頃、
今日も上永谷から歩いて丘に、
舞岡、
以前住んでいた東京石神井の三宝寺池にも、
立ち尽くしていた青鷺、
最近はどこにでも見かける、
見つめている、
その目の鋭さ、
先に沼が広がる、
朽ちた杭が水面に覗く、
稲穂が重みを増す、
谷の狭間の狭き地、
埃の被った水車、
こちらもは自在鉤に鍋、
そして囲炉裏、
とうきびがぶら下がり、
秋の収穫を供え、
赤い実をついばむ鳥、
コムラサキが輝く、
名残のアザミ、
一文字蝶の瞳の愛らしさ、
忙しげに飛び交う蝶、
秋は柿、
そしてケイトウ、
秋を思う萩、
陰影こそ秋、
そして白き彼岸花、
帰りに、
明治学院戸塚キャンパス内を通り、
戸塚駅までさらに歩き、
帰る、
例年と違い、
今年の9月は、
冷夏であり台風の長雨にも見舞われる、
そして、
緊急事態宣言下、
横浜英和学院、
蒔田の丘に孤高に建つ、
新しい校舎の槌音も響く中、
キャンパスの秋に出会う、
名残りの小さな朝顔一輪、
こちらにも、
縁石の傍らに楚々と、
向日葵は朽ち、
その側に、
末成りのごとく、
しかし、
本年、
蜜柑は豊作、
鴉にとられる前に試食、
さらに、
ドングリも豊作、
なれど、
ほとんど落下、
落下と言えば、
銀杏もまた、
少し早めの、
金木製が辺りを香りで満たす、
まだ、
キバナコスモスが、
一輪揺れている、
クヌギの木に、
蜂と蝶、
柿はならずの年、
入らぬ間に秋が深まる、
日曜日の午後、
キャンパスに一人、
小学校の頃の遊び場、
近くは東本願寺の掘、
本圀寺の外囲いの築地塀の中の空洞、
はたまた、
鴨川の五条大橋を渡って、
清水坂から東山天文台まで、
祖父に連れられての史跡会に、
祖母とは四条界隈での食事、
遥か昔のことが生活の中に甦る、
緊急事態宣言下、
もう二年にもなろうか郷里に戻っていない、
止むを得なく関西に出向くことはあっても、
人を避け、
その日のうちに戻る、
誰もが同じような気持ちを心に抱いて、
日々を送っているのでしょう、
子どもたちは、
なおさらです、
横浜本牧の三渓園、
ここも、
人は格段に少なく、
時には、
広い敷地に人に出会わない時もままある、
破れ蓮池に秋の訪れを感じ、
片や、
こちらには、
なお青々と蓮の葉が茂り、
残暑、
蓮の青は、
緑青色、
気に入りの色彩、
大池の水面にさざ波、
孤高の青鷺、
小高き丘に、
一塔、
丘の裾に伽藍、
林の中に、
石畳が続く、
組み合わせの妙、
聴秋閣、
辺りは秋深し、
懸崖の茶室に日が入り、
馬酔木の蕾が時を待つ、
宮城野萩、
一輪、
小さな蜂が羽音を奏でる、
合掌造りの農家、
中央の囲炉裏、
ランプ、
陰影の世界が広がる、
床の間の空間、
欄間の扇子、
外に出ると、
せせらぎが流れる、
夏が過ぎ、
空気が透き通ってくると、
富士が薄っすらと姿を現す、
夏の名残り、
葛の花が顔を出す、
濃青紫の実が秋を告げる、
虎柄の蝶が舞う、
用水を、
アオサギが静かに歩く、
蝉が落ちる、
小学校の優歩道の蜜柑、
その先に、
コムラサキシキブが色づく、
百合の雄蕊と雌蕊、
名残りの朝顔、
陽も落ちる、
季節が変わりゆく、
ステンドグラスに当たる陽差し、
とても気に入りの意匠、
礼拝堂に収まっているパイプオルガン、
そのパイプの修復に解体、
摩滅したパイプ、
夏野菜も終わろうとしている、
紫蘇の色が秋の色に、
ドングリが落ちだし、
野分が走る、
銀杏の実、
落下、
寺院の大屋根が銀色に光る、
新校舎の屋根が立ち上がる、
白い芙蓉が、
夕刻には薄く朱に染まる、
不思議、
しかし然り、
「酔芙蓉」、